モッフモフのころっころ、元気な秋田犬のかわいい姿を目に焼き付け、そろそろ駅に戻ることに。ホームへと向かえば、すでに愛するキハ110が準備を整えて待ち構えています。
発車時刻までは、まだしばらく。車内に響く、静かなアイドリングの音。床下から伝わる機関の鼓動をつまみに飲む、冷たいビール。穏やかだ。これぞ正しい、ローカル線の姿。走り出す前から滲む旅情に、早くも鉄路に切り替えて良かったと思えてくる。
出発前の静かな雰囲気に包まれていた車内も、接続列車からの乗り換えを受けてにわかに賑やかに。10時29分、キハ110はエンジンを高鳴らせ大館駅を定刻に発車。これから約3時間半、奥羽山脈越えの車窓の旅が始まります。
大館駅を出発し進路を北へと膨らませ、じりじりと標高を稼いだところで奥羽本線を越える花輪線。絵に描いたような本線からの分岐に心を躍らせていると、車窓には米どころ秋田らしい豊かな緑に染まる田園が。
あまりにも眩い夏の空、そこをぷかりとゆく白い雲。鮮烈な夏模様に目を細めていると、いつしか広々とした平地は終わり山々や杉の美林が身近に感じられるように。
今日の昼食は14時過ぎの予定、そう急ぐ旅でもない。ビールを飲み干した僕は、日景温泉で飲まなかったワンカップをリュックからごそりと取り出す。
自社田栽培米の百田で醸された、美酒爛漫の萌稲純米酒。これから始まる、日本の背骨に挑む長い道のり。キハ110には軽油が、そして僕には地酒という燃料が奥羽越えには必要だ。
腰を据え、大館駅の売店で手に入れたしょっつる風味のうずらの卵を頬張りつつ飲むワンカップ。その至極の味に心酔していると、これから延々峠越えまで仲良く寄り添う米代川が。
山の姿は近付きつつあるけれど、まだまだ田園と市街地が交互に現れる長閑な車窓。うん、夏だ。これこそが、夏の列車旅だ。初めて辿る鉄路に興味津々、車窓を食い入るように見ていると、右手から寄り添ってくるもう一本の線路が。
キハ110の大きな窓一杯に広がる夏景色を愉しむこと38分、8駅先の十和田南に到着。列車はここで、5分ほど停車します。
ここ十和田南は、日本でも珍しいスイッチバックを行う駅。ここまで乗車した区間は、大正時代に秋田鉄道という私鉄により敷設された路線。かつてこの先小坂まで延伸が計画され、ここを起点として花輪方面へと建設されたという経緯からこのような構内配線になったそう。
目指す先の小坂は、かつて鉱山で栄えた町。そして秋田鉄道も、尾去沢鉱山と関係の深かった会社。道路が使い物にならなかった時代、鉄路の目指す先には理由があった。
そしていつしか鉱山が無くなり、人々の陸上移動の主役は車に取って代わられ。主たる理由を奪われてもなお辛うじて生きながらえる鉄道の悲哀が、未成線の先に佇む車止めに重なってしまう。
乗って残そう、そんな綺麗事など僕には到底言う資格がない。でも機会があれば、できれば鉄路で移動したい。何の足しにもならないかもしれないが、交通、特に鉄道を愛する僕ができることはそれくらいしかないのだから。
十和田南で鉄路の目指した夢の跡に触れ、進行方向を変え再び走りはじめる列車。可憐なキバナコスモスに見送られ豊かな田園を軽快に駆けてゆくと、車窓にはより一層濃密な夏が広がるように。
あぁ、これに逢いたかったんだ。四季折々、いつ訪れても僕を包んでくれる豊かな東北。そのなかでも、夏の車窓が一番この地らしい。心を焦がし、忘れ得ぬ憧憬としていつまでも胸へと残る、この光景。愛する東北の田園が力強く輝く姿に、理由なき感動を覚えずにはいられない。
僕はきっと、潜在的にこの景色を欲していたんだ。だから昨日、急遽花輪線での移動を思い立ったのかもしれない。バスからの景色もいいけれど、やはり車窓の雄は鉄道である。それは地形的制約に抗わず、しかし寄り添いながら克服しようとする意志の強さを感じるからなのかもしれない。
ついに田んぼを捨て、深い谷と川を越え日本の背骨に挑み始める車窓。湯処として有名な湯瀬温泉を過ぎ、ついに越えた県境。でもおかしい、川の流れに違和感がある。これまで県境=奥羽の分水嶺と思い込んでいましたが、日本海へと流れる米代川は岩手県に端を発しているそう。
これまで通過してきた秋田県の旧鹿角郡も、かつては盛岡藩の領地だったそう。そういえば、途中陸中大里という駅も通ってきたっけ。旧国名、分水嶺、そして現県境。それらが入り混じる不思議な体験に、やはり現地を訪れることでしか得られぬものがあると噛みしめる。
途中険しさを感じさせる区間がありつつも、キハ110は無事分水嶺を越えて太平洋側へ。再び広がりを見せる水田の先には、頭を隠しつつも裾野を雄大に広げる岩手山がお出迎え。
陸羽東線も、この花輪線も。連なる険しい日本の背骨の中で、ピンポイントでここを通した古の人々のルートファインディング力に脱帽してしまう。
大館を発ってから約3時間、目くるめく車窓の広がる奥羽山脈越え花輪線の旅。どことなく安堵したかのように、エンジンの回転を落ち着かせるキハ110。まもなく好摩、旧東北本線であるいわて銀河鉄道線に合流。
冬に安比高原以東は乗ったことがあったけれど、今回初めて全線乗車が叶った花輪線。最高速度85km/h、2両編成で駆け抜けた東北横断夏の旅。やっぱりこのルートにして、正解だった。
旅はただ目的地を巡るものではない。それを繋ぐ道のりまでもが、愉しむべき旅路なのだ。そんな僕の旅の原点に立ち返り、そしてなにより、東北に満ちる夏色の濃さに魂を揺さぶられるのでした。
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