水のある風景 ~むさしの水めぐりサイクリング ①~ | 旅は未知連れ酔わな酒

水のある風景 ~むさしの水めぐりサイクリング ①~

荻窪付近の善福寺川 チャリンコ

今回は水辺を求めてサイクリング。さまざまな水のある風景を楽しんできました。

善福寺川~善福寺池~井の頭池~玉川上水~ほたるの里~野川公園~野川~深大寺~野川~次太夫掘公園~野川~多摩川~等々力渓谷~丸子川~洗足池~目黒川~烏山川というコースです。

荻窪付近の善福寺川。今日はここからむさしの水めぐりを始めたいと思います。この善福寺川、姿こそ都市河川になってしまっていますが、底を見れば意外なほどきれいな水が流れています。水草も繁茂し、鴨などの野鳥が気持ちよさそうに泳ぐ姿を目にすることができます。

ここより少し下流の善福寺川緑地から先しばらくは、なだらかなV字護岸のせせらぎに姿を変えて流れますが、今日はこれより上流を目指します。

善福寺川地下水湧水口

五日市街道より上流の善福寺川の側道はかなり狭いのでご注意を。スピードを出さずにのんびり走りつづけると、こんな変わった構造物が。何かと思いよく見れば、コンクリートの川底からきれいな水がこんこんと湧き出ています。その隣の護岸からもすき間を縫って湧き水が流れ出ています。かなりの湧出量で、透明度もばっちり。

そう、善福寺川が都会の川なのに水がきれいなのは、この湧水のおかげ。このように整備された湧出口はここだけですが、和田掘公園あたりでも護岸のパイプから流れ落ちるきれいな水を見ることができます。丘を挟んだ神田川とは比べ物にならない程の、きれいな川です。

善福寺川上流端

先ほどの湧き水より上流は池から流れ出る水が主になるので、流量も水質もぐっと落ちます。やっぱり川にとってきれいな水源というのは欠かせないものなんですね。川がどんどん細くなり、突き当たるは善福寺公園。この場所から善福寺川が始まります。

善福寺下池

善福寺公園の池は上池と下池に分かれており、それぞれ異なる雰囲気を持っています。緑に覆われ静かな雰囲気の下池には、きれいな蓮が咲いていました。

善福寺公園

対照的に広くて開放的な上池の水際には、美しいあやめ(?菖蒲?花には疎い・・・)が咲いています。梅雨入り直前だったこの時期、丁度見ごろを迎えていました。これからの季節は、あやめやあじさい等、紫の花が美しくなります。梅雨の憂鬱を癒してくれる、そんな存在。

善福寺川水源遅野井の滝

善福寺川の源、遅野井の滝。現在は地下水をポンプアップしているようですが、流れる水はとても澄んでいます。

この井戸は、源頼朝が軍を引きつれこの地を通った際、渇きを癒すために7箇所の井戸を掘ったところ中々水が出ず、その渇きから遅い遅いと待ちわびていたところ、突然水が湧き出たため遅の井と名付けられたという話があります。

善福寺上池

善福寺池上池。ここから神田川合流点までの、善福寺川の水の旅が始まります。閑静な住宅街の中に佇むオアシス。その昔、あたり一帯は畑ばかりだったことでしょう。周囲の環境は変われど、この広い空と深い緑はずっとこのままでいつづけて欲しいものです。

井の頭公園お茶の水

善福寺公園から南へ下ること10分、井の頭公園に到着。ここは僕が小さい頃から馴染みある場所。やっぱりホッとします。池の上流端にあるのが御茶の水。僕が小さい頃は枯れていたように記憶していますが、今はきれいな地下水をポンプアップして放流しています。

この井戸は、昔この地に鷹狩りに来ていた徳川家康が大変この水を気に入り、お茶を点てるのに好んで使ったので御茶の水となった、という由来があります。ちなみに僕の故郷である三鷹市は、幕府の鷹場(鷹狩りをする場所)が3箇所あったことから名付けられています。

井の頭池

御茶の水から流れ出た水がつくる井の頭池。江戸の昔、神田川は神田上水と呼ばれ、そのきれいな水で江戸市中を潤しました。その源がここというわけです。

井の頭池を彩るアジサイ

池のほとりにはあじさいがたくさん咲いていました。水辺を彩る美しい手毬のようです。

神田川上流端

井の頭池から流れ出た水は、ここから神田川と名を変えて、隅田川合流点までの長い旅に出ます。かつては御茶の水や遅の井といった清冽な水源を持ち、江戸市民の命の水として大切にされた神田川。

高度成長期にはドブと化し、洗剤の泡が舞い飛ぶ死の川と称された時期もありましたが、今では自然が戻りつつあります。

人の都合で一旦死んでしまった川ですが、現在は川の姿を徐々に取り戻し、鮎や野鳥がやってくる、都会の貴重なグリーンベルトとなっています。もう死なせないように守らなければいけません。

三鷹玉川上水沿いの道

井の頭公園を後にし、一路生まれ故郷三鷹を目指します。途中に通るのは玉川上水。神田上水ではまかないきれなかった江戸の水事情を改善すべく、当時の技術としては奇跡的な早さと正確さで作られた人工水路。やはりここも江戸の人々を支えた、命の水の通り道だったということです。

僕の小さい頃は枯れて空掘になっていましたが、東京都の清流復活事業により、現在は水の流れる空間を取り戻しています。川は川である以上、水が流れてこそ本来の姿。そこにはさまざまな生物が集まり、生態系を取り戻しています。

★水のある風景
~むさしの水めぐりサイクリング~
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