久々に3泊の滞在となった北海道とも、もう間もなくお別れ。お湯に景色に味にと、やはり何度味わっても北の大地は裏切らない。またの来道を胸に誓い、『道南バス』へと乗り込みます。
さよなら、赤鬼。また来るよ!最後に登別温泉に泊ったのは、もう20年近く前のこと。あの良湯をじっくり味わうため、今度来るときは宿泊だ。赤鬼にそう約束し、湯の街に別れを告げます。
バスに揺られること15分、登別駅に到着。全国的な知名度を誇るあの温泉街の玄関口にしては、意外なほど鄙びた佇まい。僕も初めて訪れた時は少々びっくりした記憶があります。
静かな駅舎内で待つことしばし、ディーゼル音を響かせて苫小牧行きの普通列車が入線。あれ?キハ143?僕の中で室蘭本線といえばキハ40とキハ150の天下。久しぶりに逢えるかと期待していたので、ちょっとだけ残念。
元々は国鉄から継承した老朽化した気動車を置き換えるため、50系客車を改造して生まれたキハ141系。それが巡り巡って今は室蘭本線へ。今できることをやる。不利な条件で分割されたJR離島3社の苦労が滲むよう。そんなことをぼんやりと考えつつ車窓を眺めていると、これから繰り出す青い太平洋が見え隠れ。
北海道らしい景色を愛でること45分、苫小牧駅に到着。苫小牧にはフェリーの発着する埠頭が2つあり、往路に上陸したのは太平洋フェリーが接岸する苫小牧西港。一方これから乗船する新日本海フェリーは、苫小牧駅から遠く離れた苫小牧東港から出港します。
苫小牧東港への公共交通機関でのアクセスは今のところ二通り。ひとつは前日までの予約が必要な、南千歳駅からのバス。もうひとつは、日高本線の浜厚真駅から徒歩で向かうルート。調べてみると丁度よい列車があったため、鉄ちゃんの僕はもちろん日高本線を利用することに。
かなり久しぶりに乗る、JR北海道のキハ40。一歩車内へと立ち入れば、甦る懐かしい記憶たち。塗装や座席のモケットは日高本線用にリニューアルされていますが、車内を包む雰囲気は僕の出逢いたかったあの頃のまま。
国鉄時代に酷寒地である北海道向けに導入されたキハ40。本州のものは見慣れた上下二段式の窓であるのに対し、道内のものは二重構造の一段窓。古の客車を想起させる小さな窓に、子供ながら北の大地の冬の厳しさに思いを馳せたことが懐かしい。
気動車とは無縁の場所で生まれ育った僕にとって、ディーゼルカーといえば祖父母の住む北海道。そんな昔懐かしい記憶を辿っていると、天井にはJNRのマークが誇らしい扇風機が。何度見ても、秀逸。これほど心に残り胸を高鳴らせるロゴを、僕は他に見たことがない。
何となくちょっとした感傷に浸っていると、愛するキハ40は大きな唸りと共に重たい体をゆっくりと起動。日高本線に乗るのはこれが初めて。度重なる災害に見舞われ、今は鵡川までしか鉄路は通じていません。これが最初で最後にならなければいいのだけれど・・・。
室蘭本線や千歳線とは全く違う、どこまでも広がる広大な平地。そんな初めての車窓に心を躍らせていると、その中心に白亜の巨大な船体が。このらいらっくが、これから僕を本州へと連れて帰る。北海道との別れの寂しさと同時に、その優美さに触れられることへの期待が高まります。
キハ40の重厚な乗り心地に心酔すること約20分、列車は浜厚真駅に到着。車掌車を流用した無人駅は周囲の風景と相まって、なんとも言えぬ絶妙な風情。北海道らしい壮大な空気感を切り取ろうと、撮り鉄さんの姿もちらほら。
旅の終わり。そんな感傷を一層強める、この旅情。浜厚真で下車したのは、僕を含めてたった3人。それぞれの思いと荷物を抱え、西日に向かいただ歩くのみ。北海道との別れのために用意された、一生忘れることのできない心を灼く光の道。
厚真川の河口近くに架かる橋まで来れば、フェリー埠頭はあと少し。その橋上でもう一度噛みしめる、北の大地の雄大さ。遠くに連なる低い山並みには白い残雪が輝き、自分の住む街とはひと月分も季節を隔てる遠い場所だと教えるよう。僕はその遠さを知っている。だからこそ、北海道との別れは胸に来る。
一歩一歩踏みしめる、港への道のり。着実に近づく北の大地との離別の気配に胸を焦がしていると、遠くから何かが近づいてくる気配が。
もしや?と思い歩みを進めると、こちらに向かいトコトコと歩いてくるかわいいキタキツネが。西日に照らされ輝く姿は、北海道が僕にくれた最高の贈り物。
最後の最後にこんな演出をしてくるなんて。人の心を惹いてやまない憎い奴。そんな北の大地との別れを彩る壮大な幕開けに、心は西日のごとく強烈に灼かれてしまうのでした。
(キタキツネにはエキノコックスという寄生虫がいます。かわいくても、絶対に触れないようにしましょう。)
コメント