荘厳さに満ちた甲斐善光寺に別れを告げ、のんびり歩く未知なる街。陽射し溢れる青空に、霞むように蒼く連なる盆地の縁。その山並みの上からは富士山が顔を出し、胸のすくような光景に思わず深呼吸したくなる。
甲府は何度も通ってはいるものの、こうしてきちんと旅するのは初めてのこと。この先に渋いお堂を持つお寺があるようなので、せっかくなので寄り道してみることに。
善光寺さんから小春日和の陽気に包まれ歩くこと10分、東光寺に到着。ここは武田信玄公が定めた甲府五山のうちのひとつ、鎌倉時代から続く歴史あるお寺だそう。
参道を進んでゆくと、立派な丸太の柱が瓦屋根を支える渋い山門が。正面には武田菱が彫られており、武田家とのゆかりが深いことが分かります。
山門をくぐると、まず出迎えるのが見事な紅葉。空を覆うように伸ばした枝葉が鮮烈な紅に染まり、あまりの眩さに言葉も忘れ見入ってしまう。
鐘楼のそばで風に吹かれて揺れるすすき。西日に照らされ銀に輝く姿は秋の名残りを感じさせ、先ほどの紅葉とともにあと半月で年を越すということを忘れさせるよう。
遅めの秋の情緒に染まっていると、すぐそばに小さな枯山水が。西日に照らされ陰陽を強める箒目、その中心に置かれるかりんの実。無機質と、有機物。その対比の妙に、こころを奪われる。
そして僕がこのお寺で見たかったのが、この仏殿。室町時代に建てられたという檜皮葺の木造建築は、焼き討ちや空襲にも耐え今なお往時の優美な姿を現代へと伝えています。
東光寺にはすばらしいお庭もあるそうですが、残念ながら時間の都合で今回はお預け。甲府の閑静な住宅地を歩き、15分程で金手駅に到着。ここから再び身延線に乗車します。
並走する中央本線には駅がないため、停車する普通列車は1時間に1~2本。ちょうど良いタイミングで列車を捕まえ、あっという間の1駅で甲府駅に到着。
北口のロータリーで待つことしばし、『山梨交通』の武田神社行きバスが到着。続いても当初は予定になかった目的地を目指し、バスへと乗り込みます。
バスに揺られること10分足らず、終点の武田神社に到着。ここ一帯は、かつて武田氏の居城であった躑躅ヶ崎館のあった場所だそう。
ここが城跡であることを今へと伝えるお堀。赤い欄干の橋からは、静かな水面に姿を映す晩秋の木々の彩りが。
まずは手を清めようと手水舎へ。どんと据えられた武田菱の形をした手水鉢から、きれいな水が流れ落ちています。
甲斐国総鎮護である武田神社。御祭神は、言うまでもなく武田信玄公。かつての居城の地で、今なお甲州を見守り続けています。
大正時代に創建された武田神社。重厚な拝殿でこの地を訪れることのできたお礼を伝え、境内の散策へ。立派な能舞台、甲陽武能殿は2009年に建てられたものだそう。すでに木材は風格を帯びはじめ、他の建築同様にこの地で歴史を深めてゆくことでしょう。
武田神社の鎮座する中曲輪を抜け、静かな森の広がる西曲輪へ。その境には土塁が残され、ここがかつて城郭であったことを物語ります。
土塁のすぐ先には深い掘割が横たわり、鬱蒼と繁る木々越しに望む夕刻の甲府の街並みが美しい。
静けさに包まれた西曲輪をのんびり歩き北端へ。かつてここには桝形虎口があったそうで、土塁に切られた狭い通路にその面影を見ることができます。
土橋を渡り西曲輪の外へ。振り返り眺めてみると、土橋の細さや左右の空堀の落ち込みの深さに護りの堅さが伝わるよう。
深い森に覆われた西曲輪を抜けると、現在発掘調査が行われている一帯へ。数段の石積みの先には、盆地の縁を成す美しい山並みが。
甲府盆地の北端に触れ、夕暮れの気配に抱かれつつ歩くのどかな道。すぐそばの空堀へと目をやれば、すでにそこには夜が訪れその深さを一層増すかのよう。
今は人々の暮らしの地となっている、躑躅ヶ崎館の北側。夕刻の山里の情緒に触れつつ歩き、車道に出て街側へ。するとすぐそこに現れる立派な石垣。かつてはこの辺りに大手門があったそう。
初めて訪れた、武田神社。重厚な神社にお参りし、戦国時代の城郭の面影を感じ。短いながら濃い時間を過ごし、古い城跡を後にすることに。
今日はきっと、甲府を旅しろということだったんだろうな。身延山のロープウェー運休により、図らずも生みだされた時間。当初予定していなかった偶然の出会いの連続に、初めて甲府という街に触れられた気がする。
そしてまだ、もうひとつ行きたい場所がある。欲張りな僕は、最後の最後まで甲府を満喫すべく再び駅を目指すのでした。
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