愉しい時間というものは、本当にあっという間に過ぎゆくもの。濃密な3泊4日の旅程も終わりを迎え、名残惜しくも道後温泉駅前から『伊予鉄バス』のリムジンバスで空港へと向かうことに。
17年前に広島目指してペダルを漕いだ道を、今こうしてバスから眺めて帰路に就く。そんな旅の終わりにありがちな幾許かの寂しさに浸っていると、あのときも僕の眼を釘付けにした愛媛県庁本館の優美な姿が。
まもなく築100年を迎えようとする庁舎の建築美にこころを染めていると、山の頂に聳える松山城。全体的に平坦な市街地にあって、あの勝山だけがこんもりと。凛とした気高いその姿は、ここがお城が建つべくして建った場所だと教えてくれるよう。
ほらやっぱり、路面電車の走る街は良い街だ。前回訪れた高知でも再確認したところだが、僕はそう信じて疑わない。それは単なる思い込みではなく、今まで重ねてきた体験がそんな結論をもたらしてくれる。
大街道、県庁、お堀端と松山の街を進むリムジンバス。JRの駅に到着する前、車窓に現れるのは何とも珍しい光景。線路と線路が直交する、ダイヤモンドクロスと呼ばれる踏切。鉄道線と軌道線の組み合わせではここが日本で唯一。あのときも、大きな電車を小さな路面電車が待つ姿に感動を覚えたものだった。
道後温泉駅前から走ること40分足らず、愛媛の空の玄関口である松山空港に到着。ここ最近空路で旅する機会が増えてきたが、この時間まで現地を満喫し夕方には帰京できるのだからやはりその速さはありがたい。
空港へと入ると、入口で迎えてくれるみきゃん。そのお隣は、あまりにも有名なみかんジュースの出る蛇口。このときはお腹いっぱいだったので飲みませんでしたが、今思えば飲んでおけばよかったな。
それにしても、愛媛は本当にみかん推し。シャンパンならぬみかんジュースタワーの前には、みきゃんとともに佇むキャラクターが。松山空港イメージキャラクターのまっくうは、みきゃんと同じ2011年生まれだそう。
二十代、自分の足で駆け抜けたしまなみ海道。あれはちょうど10月、段々畑の枝もたわわに実るみかんに感動を覚えた。あの原体験が、僕にとっての瀬戸内の印象を確固たるものにしてくれた。
段々畑に、さよならするのよ。そう歌いつつ走った、伯方島への道。若かったあの日の僕は、この地で本当に良き旅をしたんだな。そんな温かな回想に揺蕩っていたら、瀬戸内との別れが一層辛くなってきてしまった。
四十半ばにして、ようやく再訪が叶った瀬戸内。辿る手段も変わり、受け取る自分も変化し。それでもこの地の穏やかさは、あのときと変わらぬままだった。
風光明媚。そのことばがこれ以上ないというほど似合う地、瀬戸内。再々訪の誓いを新たにする僕を乗せた飛行機は、羽田へと向け離陸。眼下には、小さくなりゆく城下町松山。
17年前に初めて四国を訪れて以来、穏やかな海や多島美が僕にとってのこの地の印象だった。そこに新たな記憶を加えてくれた、去年の旅。機窓に広がる分厚い山地も、四国の魅せる表情のひとつだといまの僕は知っている。
二十代、夢中になっていたサイクリング。その好奇心に誘われ辿った瀬戸内は、自分にとってかけがえのない鮮烈な想い出に。そしていま、改めてその地をぐるりと回ってみる。そこには僕にとって懐かしい、そしてまだ知らぬ魅力が詰まっていた。
未知を求めて旅に出て、時を経て良き想い出をなぞってみる。同じものを見ても、懐かしく思うものもあれば新たな発見もあり。そして以前は訪れることのできなかった街で、また次へと繋がる未知と出逢い。
そんなことを、ひたすら重ねてゆく旅という趣味。続ければ続けるほどその質量は増し、自分の記憶も分厚くなる。そして胸の奥に蓄積されてゆく、手離せない大切なもの。本当に、厄介な生き甲斐に出逢ってしまったものだ。そう苦笑いしつつ、その確かな温かみをしずかにぎゅっと握りしめるのでした。
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