旧開智学校で文明開化の風を感じ、ふたたび松本の街歩きへ。北側の閑静な住宅地を歩いてゆくと、石置き屋根が目を引く建物が。この高橋家住宅は、300年ほど前に建てられた武家屋敷だそう。休日には内部も見学できるようなので、これはまた再訪せねばだな。

次へとつながる宿題を手に入れつつ、お城の方へ南下。するとそこには、突如現れる水堀が。現在も松本城天守を護る内堀と外堀、そのさらに外側にはかつて総堀がぐるりと廻らされていたそう。明治以降そのほとんどが市街地へと姿を変えましたが、ここだけは埋め立てを免れました。

表情の異なる個性的な建築が、ぎゅっと凝縮されたかのように並ぶこの一画。モダンさがにじむ旧青木医院は、昭和9年に建てられたもの。往時の面影を残しつつ、現在はカフェとして第二の人生を送っています。

その隣には、大正時代築の瀟洒な旧神戸医院が。その後住宅として使われた時期もあったようですが、現在はふたたび耳鼻咽喉科として現役を続けています。

さらに進んでゆくと、同じく大正時代に建てられたという上條医院。さきほどの2棟とはまた異なる、和洋折衷の独特な面持ち。縦長の窓や壁の装飾、そこに重厚感を与える瓦屋根の対比が印象的。

10年前も圧倒された、お堀端に華を添える建物群。そのなかでも突出して印象に残っているのが、このかき船というお店。
実はこの建物、もともとは本当の船。明治から昭和にかけて、屋形船でかき料理を提供するという形態のお店が全国に広がっていったそう。このお店も昭和8年にこの地で営業を始め、その後お堀の水面上から引き上げられ桟橋に固定された現在の姿に。

そのまま道なりに歩いてゆくと、かつて繁華街として賑わったという上土通りへ。その入口には、レトロな雰囲気を醸す上土シネマミュージアム。見事な看板建築をもつ映画館として、大正時代に建てられたものだそう。現在は鋼板で覆われていますが、その奥には往時の姿が残されているのでしょうか。

そのすぐ隣、密着するように建つモダンな看板建築。前面右と側面に残された装飾が目を引く昭和4年生まれの建物には、酒屋、居酒屋、スタンディングバーが入居しています。

丁字路を挟んだその先には、昭和初期の重厚なファサードを移築復元した松本市下町会館に、大正生まれの端正な表情をもつ白鳥写真館。

そのまま上土通りを進んでゆこうかと思っていたところ、脇を見ればなんとも味わい深い小路が。渋い佇まいの鶏肉店の先には酒場もあり、これはまた泊まりで来なければと悪巧みが頭をよぎる。

灯りのともる夜の情緒に思いを馳せつつ、国道に出てふたたび南下。その通り沿いには、なまこ壁と深みのある黒漆喰が目を引く重厚な蔵。松本一の商家が建てたという2棟の土蔵は、築130年近く経ていまもなお懐石とフレンチのお店として生き続けています。

この密度に圧倒されつつ先を急げば、またまた現れる歴史を感じさせる木造建築。この町家は明治時代に建てられたものだそうで、当時の姿を今へと伝えています。

訪れるごとに、あらたな魅力で迎えてくれる松本の街。あまりの見どころの多さに、なかなか歩みが進まない。蔵造りをはじめとする、古き良き建物が多く建ち並ぶ中町通り。これまで何度か訪れたことがあるため、残念ながら今回は入口から眺めるだけ。

なぜそんなに急いでいるのか。それはもうひとつ見てみたい建物があるから。ちょっとばかり速度を上げつつ歩いてゆくと、歩道の脇に置かれた石碑と煉瓦積みが。
明治35年、篠ノ井線の延伸により開業した松本駅。当時はもちろん蒸気機関車で、運行には大量の水と石炭が必要。そこで湧水の自噴するこの地にレンガ造りの井戸を設け、高低差を利用し松本構内まで水を供給していたそう。
SLを動かすためには水が必要なのは当たり前。でもその先の、水源のことまで考えたことはなかったな。
道端で思いがけず出逢った、鉄道遺産。電気や軽油が動力源の現代とは違い、様々な制約を受けたSLの時代。地盤や線形に加え、水の確保まで。そんな針の穴を通すようなルートファインディング力と、それを叶えた土木力。交通を切り拓いた古の人々の力に、あらためて感服するのでした。



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