はじめて訪れた小諸。宿場に城址とたっぷりの見どころを満喫し、名残惜しくもそろそろ次なる街へと移動することに。

電車の時間まではまだちょっとばかり余裕があったため、渋い雰囲気に包まれる待合室へ。展示販売されている鉄道部品も気になりますが、ひときわ目を引くのが窓辺に置かれたボックスシート。

愛する115系の座席で様々な旅の記憶を反芻していると、そろそろ列車の時間に。ホームへと向かい待つことしばし、長野行きの普通電車が入線。

上信国境を成す山並みを愛でつつ揺られること20分、次の目的地である上田に到着。ここも今回初めてとなる地。いったいどんな出逢いが待っているのだろう。そんな期待に胸を膨らませ、未知なる街へと歩き出します。

観光案内所で手に入れた地図に従い進んでゆくと、通りの突き当りに現れるお堀と土塀。それに沿って歩いてゆくと、歴史を感じさせる重厚な門が。

現在は上田高校となっているこの場所は、かつての藩主の居館跡。お城の本丸や二の丸に置かれることが多い御殿ですが、上田では真田氏の時代から明治維新を迎えるまでこの三の丸から動かされることはなかったそう。

上田城を目指して歩いてゆくと、その手前になんとも瀟洒な佇まいの建物が。大正2年に建てられたというこの洋館は、旧上田市立図書館。窓や下見板の均整のとれた直線美、そこに華やかさを与える曲線との対比が印象的。

目の前の横断歩道を渡れば、いよいよ上田城跡公園へ。歴史を感じさせる重厚な橋が跨ぐのは、かつての堀跡。ここから先は、旧上田城の二の丸へと入ります。

水堀沿いに進んでゆくと、平成に入り復元された東虎口櫓門が。その両側に建つ南北の櫓は、市内に移築されていたものをこの地へと再移築したものだそう。

上田城の貴重な遺構である北櫓。渋い色味に染まる板張りの壁、そこに凛とした表情を添える白漆喰。本丸には7基の櫓が設けられ、いずれもこれと同じような形をしていたそう。

現在は公園となっている上田城址。その本丸の一部には、真田氏や仙石氏、松平氏と戦国時代から明治維新までの歴代の城主が祀られた真田神社が。

明治時代に松平氏を祀る神社として建立され、戦後の合祀により現在の社名となったそう。城跡を守りつづけるお社に、こうしてはじめてこの地を訪れることのできたお礼を伝えます。

真田神社の脇を進んでゆくと、西櫓のすぐそばまで行くことが。石垣の天端に立てば、眼前に広がるこの眺望。東信と中信を隔てる山並みが、黒々とした質量をもって横たわる。

上田盆地の壮大な展望を胸いっぱいに吸い込み石垣を下りると、神社の横に大きな井戸が。この真田井戸は上田城唯一の水源であり、城の北にある砦や居館への抜け穴として機能していたという伝説も。

真田神社の北側に沿って歩いてゆくと、先ほど間近に眺めた西櫓が。かつて7基あったという、本丸の櫓。そのなかで唯一移築されることなくここに在りつづける、上田城の歴史をいまへと伝える生き証人。

さきほどの展望からもわかるとおり、南側にはかなりの高低差。それ以外の三方を護るため、本丸の周囲にはぐるりと廻らされた土塁が。

高く築かれた土塁を下り、本丸堀に沿ってのんびり散策。春を感じさせるやわらかな陽射し、パステルの青空に映える見事な紅梅。

さらに先へと歩いてゆけば、今度は枝を大きく広げ旺盛に咲く満開の白梅が。

本丸の三方を囲むように廻らされる水堀と土塁。その北東にあたる部分は、鬼門除けのために角が落とされた隅欠という構造に。かつてはここに2基の櫓が建てられていたそう。

本丸と二の丸をぐるりと一周し、今度はお城の南側へ。現在は大きな芝生の広場となっているこの場所には、千曲川の分流である尼ヶ淵が流れていたそう。

そばまで近寄ってみると、見上げるほどの高さに建つ南櫓。天然の岩盤と荒々しい石垣の組み合わせは、見る者を圧倒するような迫力が。

二の丸橋からの登城ルートからは想像できなかった、この高低差。東虎口櫓門や西櫓からの展望で南側が開けているのは解っていても、こうして目の当たりにするとあらためてこの地が天然の要害であることが判るよう。

川の流れにさらされる足元は武骨な石垣で固め、岩盤部分はそのまま利用。古の人々の知恵と工夫が詰まった光景に、言葉も忘れ見とれてしまう。

建築当初から、一度もこの地から離れることのなかった西櫓。足元を石垣と岩山に支えられ、400年近くもの長きにわたり上田の街の変遷を見守ってきました。

ちょっとこれは、想像以上の迫力だ。自然と人工物の巧みな融合美に圧倒され、しばし佇みただただ俯瞰。もうそろそろ、行かなければ。そう思いつつも、唯一無二の雄姿がなかなかこころを放してくれない。

独特な力強さをもつ上田城の眺めを眼にこころに刻み、名残惜しくも街歩きを再開することに。現在はけやき並木の遊歩道となっている、二の丸の堀跡。かつてここには上田交通の線路が走っており、右手には今なお残る駅のホームの跡が。

昭和2年に上田温泉電軌の北東線として開通し、45年間地域の足を支えた真田傍陽線。重厚感あふれる二の丸橋のアーチには、忘れ形見のように残された鉄道時代の碍子。
はじめて訪れた上田城。小諸城と同じく、このお城もこの場所に築かれる必然性があったと実感させられる天然の要害。地形や岩盤といった自然と人工物の組み合わせの妙に、あらためて城郭というものの面白さを知るのでした。



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