塩釜港から爽快な船旅を愉しむこと40分、遊覧船は松島港に到着。これまで幾度か訪れたこの地も、海路を経て上陸するとなるとその眺めはまた違った印象に。
空も海も、網膜を灼くほどの眩い青さ。茂る松の渋い蒼、そこに輝きを与える小島の白さ。胸のすくようなとは、このようなことを言うのだろう。これまで訪れたなかでも一番と思える鮮烈さに、己の何もかもが染められてゆく。
海辺で爽快さを胸いっぱいに吸い込み、晴れやかな心もちで港を出発。交通量の多い国道を渡り参道を進んでゆくと、渋い佇まいの総門が。
伊達家の菩提寺として厚い庇護を受け、400年以上もの長きに渡りこの地に在り続ける瑞巌寺。総門から本堂へと続く参道には、すらりと伸びる杉並木。震災による塩害で伐られた株の傍らには、力強く天を目指す若い杉。
並ぶ木立越しに垣間見える、ぽっかりと口を開けるいくつもの洞窟。かつては奥州の高野と呼ばれるほど、ここ松島は霊場として知られていたそう。今なお多く残される供養塔や彫刻が、その歴史を色濃く感じさせる。
拝観料を支払い、いざ中へ。瑞巌寺では本堂と庫裡が国宝に指定されており、くるりと一周回りながらその内部を拝観することが。
平安時代に創建され、その後伊達政宗公により復興されたという瑞巌寺。威厳ある巨大なこの庫裡も、400年以上前に建てられたものだそう。天変地異に耐えてきた歴史の重みが、その荘厳な佇まいからもにじみ出る。
ここを訪れるのは9年ぶりのこと。その後平成の大修理が完了し、完成当時の輝きを取り戻した本堂。内部には用途と趣の異なる部屋がいくつも並び、それはもう目を見張るほどのうつくしさ。残念ながら、写真撮影は禁止。だからこそ、実際に訪れその圧倒的な迫力をこの眼で受け取りたい。
手入れされたうつくしい庭の脇には、地を這うように枝をうねらす梅の古木。伊達政宗公が上棟祝いにお手植えしたとされるこの梅は、その姿から臥龍梅と名付けられています。
9年ぶりに触れた、瑞巌寺に満ちる荘厳の美。贅を尽くした煌びやかな空間でありながら、華美や派手とは一線を画す幽玄の世界。復元されより際立つうつくしさの余韻に染まりつつ、次なるお寺へと向かうことに。
瑞巌寺の鐘楼の足元を支えるのは、独特な白さをした岩窟。このあたり一帯は、こんな地質に覆われているのだろう。先ほど合間を縫ってきた小島たちも、陸上時代にはこんな姿をしていたに違いない。
瑞巌寺を出て歩くことすぐ、隣接する円通院へ。こちらは政宗公の嫡孫である光宗公の霊廟として開山されたお寺だそう。
渋い佇まいの山門をくぐると、まず参拝者を出迎えるのがうつくしい石庭。無骨な岩を囲む白砂、その陰影をくっきりと浮かび上がらせる傾きはじめた陽の温かさ。
雲外天地の庭と名付けられた、この枯山水。松島の海を白砂で、そこに浮かぶ七福神の名を冠した島を岩で表した天の庭。そこから天水橋で結ばれた苔むす小山は地の庭と名付けられ、石組みでこの世の森羅万象を表現しているのだそう。
すっとこころを落ち着かせてくれるような枯山水をしばし眺め、先へと進むことに。するとそこには、苔むした屋根と丸窓が印象的な東家が。腰掛けには、艶やかな紅白の梅が生けられています。
こちらのお寺も9年ぶりとなる再訪。前回訪れたのは6月、若葉の萌ゆる新緑の季節。そのときはとにかく緑の瑞々しさが印象に残ったけれど、芽吹きに備えたこの世界観もまた趣深い。
渋い色味に染まる苔に覆われた道を進んでゆくと、正面には光宗公の霊廟である三慧殿が。鬱蒼と繁る木々の中、静かに佇む渋いお堂。内部には絢爛かつ繊細な装飾の施された厨子が安置されており、この空間を支配する静寂との対比が印象的。
円通院の最奥に位置する三慧殿、その背後には連なる崖が。こちらにも岩窟が掘られており、幾多もの供養塔や彫刻が残されています。
お堂や岩窟に護られるようにして、ひっそりと広がる緑の世界。静けさに包まれた苔むす庭園に佇めば、ゆるやかな風や葉擦れの音が自分をすっと過ぎてゆく。
こころを鎮めてくれる森を後にし、本堂へと通ずる小径へ。渋い色味に染まる茅葺屋根の手前には、可憐に咲く梅と樹齢700年以上を誇る巨大なおんこの木が。
19歳という若さで亡くなったという光宗公。本堂として使われる大悲亭は、光宗公が江戸で涼を取っていた建物を移築したものだそう。その移築を行ったのは、父親である忠宗公。その名からも、何とも言えぬ思いが滲んでくる。
大悲亭の前に広がるのは、これまた仙台藩の江戸屋敷から移設されという遠州の庭。観音菩薩が住むという補陀落山と心字の池が、水辺のおだやかな空間を演出します。
絢爛豪華な荘厳さが、藩主の力というものを感じさせる瑞巌寺。その隣にひっそりと佇む、静の世界に包まれた円通院。短い時間ながらも濃密な対比を噛みしめ、傾きはじめる西日に旅の終わりを予感する。
9年ぶりに再会した、松島のもつ霊場としての顔。その深い世界観に改めて触れ、またの再訪をひとり静かに誓うのでした。
コメント