ただただ部屋と浴場への雪道を往復するという、贅沢な時間。ふと気が付けば、白銀の谷底に佇む一軒宿に早くも夜の気配が漂い始めます。
気配として淡く空を染めていた夜は一気に存在感を増し、ついにあたりは真っ暗に。そうすれば、お待ちかねの夕食の合図。どんな旨いものが食べられるのかと期待を膨らませ、食事場所である本陣へと向かいます。
玄関を出れば、視界に広がるこの世界。屋根から落ちた雪で作られた灯篭には蝋燭が灯され、温かな揺らぎをくれる様はまさに幻想的のひと言。鶴の湯は、絶対に泊まったほうがいい。日帰りでは味わえぬ一番の美しさは、もしかするとこの夜の風情なのかもしれない。
窓から漏れる温もりに誘われるかのように、本陣の室内へと吸い込まれてゆきます。するとそこには、江戸時代から時が止まったかのような空間が。
あぁ、懐かしい。9年前、まだ20代だった僕を魅了したこの情緒。太い梁に、切られた囲炉裏。そこでは岩魚がいい香りを漂わせ、上にはしっとりと灯るランプ。この空間だけでもうご馳走。美味しいご飯が一層旨くならない訳がない。
言われた席に着くと、お膳には美味しそうな品々がずらり。僕の大好物である山菜の競演に、食べる前からご満悦。何から箸をつけようかと迷う中、まずは大好物であるミズのこぶのしょう油漬けから。
瑞々しい若い茎もさることながら、このむかごの付いた秋のミズの旨さも絶品。こぶはシャキッと、コリっと、そしてちょっとしたでんぷん質を感じられ、食べてみなければ分からない独特の食感。ミズ、これを食べられただけで山の宿へ来た甲斐があったと思える僕の大好物。
その隣には、山うどの炒め煮やぜんまいの白和えといった、これまた滋味深い山の恵みたち。それぞれこの土地で長い間山菜を食生活に活かしてきたということが分かる味付けで、風味を活かしつつ食べやすい丁度良い塩梅。煮物には見たことのない白くふわっとしたきのこが使われ、噛めば鶏の旨味の出ただしがジュワっと溢れます。
お刺身は、なかなか食べることのできない岩魚。淡白ながらじんわりとした旨味が詰まり、それでいて海の魚にありがちな魚介臭さは全くなし。淡水魚は臭い。得てして言われがちなこの風説は、いったいどこから来たのだろう。山で淡水魚の旨さに触れるたび、僕はそう思うのです。
真ん中の丸いものは、きのこのあんが掛けられたこまちだんご。半殺しのあきたこまちで作ったお団子の中身は、しっかりとした味付けのそぼろ。揚げられているので、表面のご飯は香ばしく、中は甘くてもちっとした食感を楽しめます。
左上の銀色の包みは、きのこのホイル焼き。様々な種類のきのこが蒸し焼きにされ、豚から出た美味しい脂と旨味をじゅんわりと吸い込んでいます。シンプルだけど、旨い。焼くでも煮るでもない、ホイル焼きという調理法を今一度見直してしまいます。
続いては、熱々の岩魚の塩焼きが囲炉裏から運ばれてきます。生で旨い岩魚は、焼いても旨い。炭火でじっくりと焼かれた岩魚は余分な水分と脂が抜け、ふっくら、しっとり、凝縮された旨味が堪らない。
これまた囲炉裏でじっくりと煮込まれた、鶴の湯名物の山の芋鍋。粘りの強い山芋をすりおろし、そのままお鍋に落とせばもっちりとしたお団子に。具材にはきのこに豚肉、とろっと甘い長ねぎがたっぷりと。それらをコク深い鶴の湯自家製の味噌がまとめ、秋田と言えばのせりがいい香りを添えてくれています。
見ての通り、ここまででもかなりの品数。そこで運ばれてきたのは、茹でたてのおそば。太め黒めの田舎そばは、歯ごたえ食べ応えのある僕好み。少々濃い目のつゆに浮かぶなめこと揚げ玉が、コクと食感のいいアクセントに。
〆にいぶりがっこと山の芋鍋でほかほかのあきたこまちを味わい、もうお腹ははち切れんばかり。そうそう、そうだった。鶴の湯は、お湯も風情もいいけれど、食事もバッチリ僕好みだった。9年前と変わらぬ地の旨さの洪水に、もう大満足としか言いようがない。
満たされた気持ちで本陣を出ると、そこには目を見張るほど明るい真ん丸な月が。そういえば、明日は話題のスーパームーン。流行アレルギーの僕は、普段なら絶対写真など撮らないはず。そんな僕でさえ、思わずレンズを向けてしまう。それほどまでの明るさが、雪に埋もれた谷底を優しく照らします。
部屋へと戻り、満腹が落ち着くまで布団にごろり。食後のお風呂を味わったところで、秋田の恵みを味わうことに。山間での静かな夜にと選んだのは、大仙市は刈穂酒造が醸す、純米極辛口なまはげ。
刈穂は好きなお酒のひとつですが、これはまた違った趣。極辛口といってもどうだ辛いぞ!という嫌な感じは全くなく、思い浮かべる辛口の日本酒というより、スッキリとした潔さを持ち合わせたお酒といった印象。
続いて開けたのは、湯沢市は木村酒造の福小町純米吟醸。さらりとした飲み口の中に、ふんわりとお米の甘味や酸味が溶け込んだやさしい雰囲気のお酒。
ちびりと酒を飲み、湯の温もりが欲しくなったら風呂へと向かう。外へと出れば、頬を刺す冬の冷たい清らかさ。体が程よく冷えたところで味わうお湯は、その存在感を一層強める。そして見上げる、明るい月。これ以上の贅沢があるだろうか。心の深くから、満たされゆくのを感じます。
そして部屋へと戻れば、怠惰なごろり。酒の余韻を感じつつ見上げる裸電球は、これがある意味理想の暮らしとすら思わせる。やっぱりいつかは、和室に住みたい。肌に感じる畳の優しさに、穏やかな暮らしへの憧れを夢見るのでした。
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