徳島で迎える爽やかな朝。身支度を整えホテルをチェックアウトし、駅へと向かいます。初めての徳島、いい街だったな。今度はもう少し時間をとって、ゆっくり来よう。そしてやっぱり、本場の阿波おどりを一度は見てみたい。
そんな再訪の願いを胸へとしまい、朝食を買って改札内へ。これから向かうは名勝地、大歩危。まずは四国の内陸部へと分け入るべく、特急剣山に乗車します。
車内へと一歩足を踏み入れれば、たちまち全身を包み込む国鉄の残り香。あぁ、好きだ。この時代の特別急行には、今の特急にはないある種の質量というものが宿っている。
エンジン音を轟かせ、徳島駅をゆっくりと滑りだすキハ185系。徳島線、そしてJR四国の特急に乗るのはこれが初めて。未知なる鉄路への旅は、いくつになっても童心に返らせる。
徳島駅を発ち、近郊の駅に停車してゆく剣山。この区間は、明治時代に徳島鉄道として開通した歴史ある路線。駅の跨線橋は意匠が凝らされ、その足元を見てみると大正四年の刻印が。
遠くに見える山並みも、流れる家や畑の雰囲気も。これまで訪れた場所とも異なる表情に、初めての阿波路を噛みしめる。新鮮な車窓を愉しんでいるといつしか勾配はきつくなり、いよいよ徳島平野の終わりを感じさせるように。
ここで失礼、お手洗いへ。そう思いデッキへと出ると、古き良き記憶を呼び起こさんとばかりに襲い来る国鉄の情緒。化粧板の風合い、無骨なくずもの入れ。飾り気はないけれど、質実剛健実用本位の美学がにじみ出る。
国鉄が最後の特別急行型として開発した、このキハ185系。昭和末期の空気感が車内の随所に封じ込められ、幼き日の鉄道への憧れが溢れるように甦る。
切なくも温かい感傷を胸に宿しつつ席へと戻ると、車窓には吉野川が寄り添うように。遠くに霞む、この川が刻んできた谷筋。それこそが、僕らがこれから進む道。
日本三大暴れ川のひとつ、四国三郎の異名をもつ吉野川。山裾の平地に比べ広い川幅、そこを満たす豊富な水量。讃岐山脈と四国山地に挟まれた中流域は、昔から洪水に悩まされていたそう。
徳島からひたすら西進すること1時間15分、剣山は終点の阿波池田に到着。濃厚な国鉄の残り香に別れを告げ、新鋭の2700系にここで乗り換え。それにしても、アンパンマンの圧が強い。
四国の背骨を貫通するように、南北に走る土讃線。阿波池田を出ると勾配とカーブ、トンネルの連続で山を分け入る特急南風。よくぞここに鉄道を通したものだ。そう思わせる険しい車窓に目を丸くしていると、眼下にはこれから向かう大歩危が。
深い山を、器用にすり抜ける振子車両。久々に味わうその感覚に身を委ねることあっという間の17分、今日最初の目的地の最寄りである大歩危に到着。
谷の底に佇む駅から急坂を登り、吉野川を渡る大歩危橋へ。橋上からは、圧倒的な山深さを感じさせるこの眺め。少しの平地も許さぬ深い谷、両側に迫る山の圧迫感。その対比が高度感を一層強め、思わず「ひえっ」と声が漏れてしまう。
木々の間から川の気配を感じつつ歩いてゆくと、視界は開け見事に切り立つV字の谷が。吉野川が長い年月をかけ、山を岩盤を穿ち創り上げた大歩危。その険しさに、ただただ気圧されるばかり。
駅から歩くこと20分ちょっと、『大歩危峡まんなか』に到着。ここは食堂やお土産屋、そして遊覧船のりばが併設された施設。この昭和感、いいな。
乗船名簿を記入しチケットを買い、遊覧船のりばへ。こうして真上から見下ろしてみると、谷の狭さと流れの急さが手に取るように感じられる。
時刻表はなく、満席になったら随時運行される遊覧船。出航の時を待ちつつ見上げてみれば、断崖に張り付くようにして建つ昭和の建物。今はもう、こんな感じでは建てられないんだろうな。
要塞感溢れる高度経済成長期の建物に別れを告げ、小さな舟はいざ出航。狭い川幅と急な流れをものともせず、器用に回頭しゆっくりと川下を目指します。
船着き場付近は流れが急ですが、進んでゆくと意外にも水面は穏やか。滔々と流れる吉野川を滑るように静かに走る船上からは、眩い白さを放つ特徴的な岩盤が目と鼻の先に。
かつてこの深い山の中を、古道が走っていたという大歩危。大股で歩くと危ないから、もしくは断崖を意味する「ほき」という古語が名の由来だそう。現在の動脈を担う国道も、辛うじて崖にへばりついている。
その対岸には、これまた崖の中腹を走る土讃線。これだけ険しいV字谷、それでもここを通すしか余地がなかったということなのだろう。
白く輝く岩盤、その底を滔々と流れる碧い水面。見上げると首が痛くなるほどの谷の迫力を胸いっぱいに吸い込み、遊覧船はここでUターン。見えている索道は、現役のものかそれとも遺構か。鉄道や車道とともに、人々がこの地に挑んできた交通の歴史を感じさせる。
ほとんど揺れないほど、穏やかな表情をしている今日の大歩危峡。ですがその下には、6~20mもの水深が隠されているそう。ときおり顔を覗かせる水のうねりに、救命具を付けていても背筋がひゅっとする。
30分間の水上散策を楽しんだ遊覧船の旅。谷の底でしか感じることのできない自然の創り上げる造形美と、V字に刻まれた峡谷の険しさ。水の持つ力というものに、改めて圧倒されるのでした。
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