次から次へとやってくる大小のねぷた。時間を追うごとに祭りの熱気は増し、その勢いを鮮やかな色彩と光りが一層盛り上げてゆきます。
街に溢れる熱さをより煽るかのように、縦横無尽に駆ける小さいねぷた。左右に延々と並ぶ観客の元へとねぷたの力強さを届けるかのように、走っては魅せ、また走っては魅せを繰り返します。
扇ねぷたに混じり、時折現れる組ねぷた。趣向を凝らした造形は、隊列に心地よいリズムを与えてくれるよう。この夜空に輝く恵比寿様からは、無条件に感じる縁起の良さが光りと共に溢れています。
側面に大きなJRマークを掲げる、弘前駅のねぷた。毎度毎度、僕を大好きな東北へと誘ってくれるJR。時代は変化し移動の形態は変われど、僕の旅の思い出は常に鉄路と共に刻まれ続けています。今年もこうして僕を弘前へと連れてきてくれたJR、深く感謝せずにはいられません。
溢れるような光と色彩の行列の中、ひときわ目を引くモノトーンのねぷた。津軽統一のきっかけとなったという神夢が題材だそうで、静かなる力が漲る様はまさに圧巻のひと言。
弘前の街を染めあげるねぷたの洪水。その熱気に絆されつつ心酔していると、ふと涼しげな妖しさをもつ見送り絵が。月夜に立つ三頭の虎からは、今にも動き出しそうなしなやかさな美しさが滲みます。
そうかと思えば、漆黒の空に龍の舞う荘厳な見送り絵も。勇壮な鏡絵もさることながら、様々な表情を見せる見送り絵もねぷたの醍醐味のひとつ。今年は特に、僕の琴線を揺さぶるものが多かったように思えます。
夜が深くなるにつれ、一層の昂りに包まれる弘前の街。この街を造ったお殿様は、勇壮な鏡絵となって平成の祭りの熱気を味わっているよう。
商店街を鮮やかに照らす組ねぷた。扇ねぷたの美しさとはまた違った躍動感が、見る者の目を愉しませてくれます。
この日は40近くもの団体が出陣予定。それなのに全く飽きないのだから不思議なもの。それだけ、各団体が競い合うかのように個性豊かなねぷたを造っているという証。
ビルの4階にも届こうかというほどの、巨大なねぷた。この大きさでも十分迫力があるのですが、実はこれ、信号や電線をくぐるために縮んだ姿。商店街の真ん中あたりでは、フルサイズでその雄姿を味わうことができます。
夏の夜を幽玄に彩るねぷた。内から溢れてくるのは、灯りや色彩だけではない何かが込められているような気がしてなりません。
故事や伝説、勇壮な戦が題材とされる鏡絵。なんでも「無難」にやり過ごしがちなこのご時世、鮮血ほとばしるこの構図に、津軽の人々の情熱と気高さすら感じるよう。
その裏には、海を時化させる雷神と美人画という妖しい対比の美しさを持つ見送り絵が。毎年毎年こうして見ていても、その度ごとに覚える新鮮な感動。安定の美しさと、それに相対する変化があるからこそ、こうして中毒になってしまうのかもしれない。
祭りの始まりから3時間以上。ひたすら繰り広げられてきた人と光の織り成す幻想も、今宵はこれで終わり。その余韻を惜しむかのように、最後のねぷたの後追いを。
商店街の道幅いっぱいに舞う、妖しいねぷた。その灯りは不思議な力を持つようで、後を追う人々の数もどんどんと増えてゆく。雑踏のざわめきと、前方から聞こえてくるヤーヤドー。この瞬間、僕は何物にも代えがたい幸せと寂寥を味わう。何度訪れても、その鮮烈さは決して色褪せることはありません。
未だ耳に残るお囃子の音。津軽の持つ熱量を全身に浴び、その余韻をつまみにひとりホテルで飲むじょっぱり。その味わいは、冠された津軽人の気質そのものともいえる力強さに満ちている。
辛さと熱さを伴い胃へと下りゆく旨い酒。今夜はまだもう少し起きていたい。じょっぱりをゆっくりと味わいつつ、自分の中に眠るその気質の手触りを久々に感じるのでした。
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