12月中旬、陽射しの温もりに包まれる新宿駅。いや、さすがに旅行しすぎだろ。自分でもそう思いますが、できるときに旅することが吉である。ここ数年で思い知らされたこの教訓を胸に、まだ見ぬあの湯に逢いにゆくことに。
今回向かうは、山梨県。これまで日帰りや泊まりでも訪れたことはありますが、ひとりで旅するのは今回が初めてのこと。一体どんな旅路が待っているのだろうか。そう考えるだけで、胸の高鳴りは増すばかり。
今回乗車するのは、中央本線を駆ける特別急行かいじ号。物心ついたころから知っている、僕の一番古い記憶の中に残る特別急行。
大人になった今、あのかいじ号に乗れるなんて。もう僕のふるさと三鷹には停まりませんが、僕にとってはある意味幼なじみのような特別な存在。久しぶりの再会に嬉しさを噛みしめていると、車窓には見慣れたあの古い跨線橋が。
昭和4年生まれの古豪、三鷹跨線人道橋。太宰治も好んだというこの橋も寄る年波には勝てず、94年の現役生活を終えまもなく撤去されることに。僕も何度通ったことか。あの橋上から一望する三鷹電車区の眺めが好きだった。
幼少の頃から走り続ける列車に揺られ、様々な記憶が甦る。その懐かしさに揺蕩っているとついにかいじ号は山を越え、谷の隙間からは甲府盆地の姿がちらりと垣間見えるように。
東京、神奈川、山梨に跨る深い山を駆け抜け、勝沼ぶどう郷でぱっと展望が開けたかと思えば眼前に広がるこの光景。何故こうも、甲府盆地はいつもうつくしいのだろう。
中央本線に乗る度に、毎度異なる表情を魅せる巨大な盆地。冬の穏やかな青空を、柔らかく隠す濃淡の雲。盆地にはふんわりとした靄が漂い、人々の暮らす街と間近に迫る黒々とした山並みの対比を一層印象深くする。
ほんのりパステル色に染められた、水墨画と水彩画の間の世界。そんな幻想的な景色に見とれていると、黒い稜線の上に顔を出す雪化粧をした富士山の姿。
あまりの叙情的な車窓にこころ奪われ、ただただそのうつくしさに息を呑むばかり。これまで出逢ったことのない新たな表情に、早くもこころは甲州色に。
盆地の縁から曲線と勾配を繰り返し、延々下り続けてきたかいじ号。果樹の国らしく盆地の底に広がるぶどうや桃の畑、そののどかさを見守るようにそっと佇む富士の嶺。なんだか今日の甲斐路は、こころを染める。
新宿駅を発ち中央本線で駆けること1時間33分、山梨の県都である甲府に到着。旧駅舎の遺構に出迎えられ、生まれて初めて甲府駅の改札外へと出ます。
駅ビルの酒屋さんで夜のお供を仕入れ、再びホームへ。先ほど降り立った1番線の先に、ひっそりと佇む4番・5番線。ここから、JR東海の管轄する身延線が発着します。
停車中の小さな特急列車に乗車し待つことしばし、ふじかわ号は静岡目指して定刻に出発。右手に甲府城跡の白漆喰を眺めつつ、ゆっくりゆっくり加速を始めます。
3両編成のうち、2両は自由席というのどかさ溢れる特別急行。東に向けしばらく中央本線と並走したのち、金手駅を過ぎて右へ急カーブ。ここからしばらくは、進行方向左側に日本最高峰の姿が見え隠れ。
のんびりとことこ単線を行くふじかわ号。この身延線は、国鉄ではなく私鉄が引いた路線。短い駅間や急曲線にその面影を残し、なんとなくJRの特急に乗っている感じがしないのがまたおもしろい。
住宅地を抜け、再び盆地の縁を目指しじわじわと標高を上げ始める鉄路。東京方面でも信州方面でもない、甲府盆地の第3の鉄道の出入口。初めての乗車体験には、いつもワクワクがついてくる。
小さな駅をいくつか通過し、こまめに停車してゆくふじかわ号。本数の少ない普通列車を補完するべく、短距離の自由席利用では特急料金がお得に設定されているのも嬉しいところ。
鰍沢口から先は列車の本数も減り、いよいよ身延線の核心部分へ。厳しすぎずしかし山深さ感じる車窓、短い駅間にゆったりとした運転速度。JRだけれど、JRじゃない。そんな身延線の独特なローカル感に触れ、早くも未知なる甲斐路を満喫するのでした。
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