2021年ブログ納め 40代、そして原点へ。 | 旅は未知連れ酔わな酒

2021年ブログ納め 40代、そして原点へ。

10月下旬藤七温泉彩雲荘雪と岩手山を照らす輝かしい朝日 その他

2021年。この一年を僕はきっと忘れることはないでしょう。

2020年、突如失われたこれまでの日常。1回目の緊急事態宣言が出てからは在宅勤務となり、7月には担当替えとなって新たな仕事に挑戦し。そして迎えた、今年という新たな年。その時は、まさかこんな形で年末を迎えるとは思っていなかった。

思い返せば4年前、入社以来ずっと携わってきた鉄道部門を離れて本社へと異動。未知なる仕事や環境に四苦八苦しつつも、いつしかそんな仕事も楽しくなりこのままここで頑張りたいと思っていた。

そして今年、言い渡された突然の辞令。4年前の辞令も衝撃だったけれど、今回の辞令はそれを遥かに超えるダメージだった。だってそれまで未経験のことを必死に頑張り、まだまだこれからという想いがあったから。

そうだよね、そりゃ、そうだよ。だって僕は、鉄道員として採用されたんだから。そんな風に自分に言い聞かせても、なかなか埋められない心の穴。3年9カ月という年月は、僕を浦島太郎にしてしまった。

久々に駅員に戻った僕を待ち構えていたのは、すっかり変わってしまった環境と自分。取扱いや機器は知らぬ間に変更され、失われたこれまでの知識や技能というものを否応なしに見せつけられる日々。

自慢ではないが以前の僕は歩く規則書と呼ばれることもあり、自信をもって業務に取り組んでいた。だからこそ、その武器を失ってしまった自分が死ぬほど情けない。こんな思いをするくないなら何故現場を離れさせたのかと、考えても仕方のないことばかり頭に浮かんだ。

そして追い打ちをかけたのが、新たな役職。出世を望む人がいる一方で、残念ながら僕はそうではなかった。だって自分は、まだその器に達していないことを自覚しているから。そして何より、堅い仕事をきっちりとこなすという縁の下の力持ちが自分に合っていると思うから。

でもそんなことは言ってもいられず、皆に助けてもらいつつ辛うじて記憶の底に残っていた経験を頼りに我武者羅に頑張った。だって自分は今、頼られたら何とかしてあげなければいけない立場にいるのだから。

失われた時間というものは想像以上に大きく、慣れない業務となかなか取り戻せない感覚にもがく日々。あぁ、やっぱりだ。自分にはまだそんな力量はなかったんだ。強い自己嫌悪と、「こうなったのは自分の責任ではないのに」というやり場のない虚無感ばかりが去来する。

10月下旬秋の大沢温泉湯治屋夜闇に浮かぶ湯宿の灯り
これまでも、自分的に辛い時期は幾度かあった。そんなとき、必ず救ってくれたのが「旅」だった。でも今年は、生き甲斐とも言えるその趣味に逃げることすら許されない。閉塞感。ただその一言に尽きる日々は、今思い返しても胸が痛い。

でも今の僕は知っている。それでも何とかなってしまうことを。

大きな環境の変化が苦手な僕にとって、駅員からサラリーマンへの転向はとてつもなくしんどかった。それでも最後には、まだまだもっと頑張りたいと思えるようになっていた。だからきっと今回も、時間が何とかしてくれるはず。

この前までは、環境の変化が苦手という自分の弱点にしか目が行かなかった。でも今は違う。相変わらず環境の変化は苦手だけれど、単に自分がスロースターターなだけなのだと思えるようになってきた。

インプットを降る雨に、アウトプットを流れる水に例えるならば、人は「川型」と「湧水型」に分かれるのかもしれない。そして僕は、間違いなく後者のタイプ。

降っても降ってもなかなか水の流れが見えず、焦りばかりが先行してしまう。でもそれが地中深くまで浸透し、一度溢れ出してしまえば枯れることなく湧き続けてくれる。だからこそ、蓄えるための層を厚くしようと努力をし、溢れ出させるためにと多く雨を降らせてきたつもりだ。

よくよく考えれば、子供の頃から器用なタイプではなかったじゃないか。それでも折れずに何とかここまで辿り着くことができたんだ。だから今経験しているこの難局も、きっと後から湧いてくれるに違いない。そう思えるようになったのも、もしかしたら前回の異動のおかげなのかもしれない。

10月下旬秋の盛岡城跡赤い紅葉と岩手山
これまでずっと、自分のことを認めてあげられなかった僕。それが40歳となった今、こんなに自信をもって自分の経験を認められるようになるなんて。色々なことに怯えていた昔の自分に言ってあげたい。自分が思っているより、大丈夫だよって。

5歳からの夢を持ち、それに向かって頑張る十代。入社し様々な経験を積み、そして壁にぶち当たることもあった二十代と三十代。その道のりがあったからこそ立てた、四十代としてのスタートライン。

この先もきっと色々なことがあるだろうけれど、それでもきっと何とかなる。「なるようになるさ」の境地には達してはいないけれど、「なるようにしかならない」と思えるまでにはなった。そう思えるのも、これまで何とかしてきたという経験を積んだから。

「なるようにしかならない」というとネガティブな言葉に聞こえそうですが、僕は決してそうは思わない。「なるようにならせる」ために自分がどう考えどう動くか。その結果として、「なるようにしかならない」という結論に至ることができると思うから。

「なるようになるさ」に憧れはあるけれど、その結果を受け入れるだけの器量が僕にはまだ備わっていない。そう思える日が来るまで、「なるようにしかならない」と納得できる日々を過ごしたい。少々息苦しいときもあるけれど、そんな考え方が僕の性に合っているのかもしれない。

そして2021年ももうすぐ終わろうとしている今日、こうして今年を振り返る記事を書いている。更には今年は到底無理だと思っていた旅行記も、幸せな時間を振り返りつつ噛みしめるように書けている。

異動直後に覆っていた暗い気持ちも、おかげさまで今ではきれいさっぱり消えてしまった。そして久々の現場で感じる「社会を支えている」という手ごたえに、やはり今のところこれが自分の本業なのだと思えるまでに復活。一度離れて他の景色を知り、そして原点に立ち返る。そんな時期が、きっと僕には必要だったのかもしれない。

不安や恐怖は、未知や不慣れという環境からくるもの。「できない」という言葉は、やってみてからしか言えない言葉。「やらない」という選択肢はもちろんあって然るべきだけれど、やらずに「できない」と決めつけてしまうのは非常に悔しい。

やってできなければ仕方がない。やってみれば、意外とできてしまうかもしれない。できてしまえば儲けもん。四十にして、初めてそんな風に前向きに考えられるようになってきた。そんなことに気づけたことが、2021年の僕の成果。

10月下旬秋の盛岡開運橋から望む岩手山の夕景
ここ数年、年の瀬最後の記事はいつも自分語りになってしまう。でもいいや。だってこのブログは、自分のために始めた自分のための備忘録だから。こうして書くことでお腹にすとんと落とし、新年を新たな気持ちで迎えられるのだから。

最後になりましたが、2021年もこのブログに遊びに来てくださりありがとうございました。昨年から引き続き色々ありすぎた一年でしたが、来年こそは皆さんにとって、そして僕にとっても良い年となりますように。この願いをもって、今年の更新を終えたいと思います。

それでは、よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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