初めての富士宮やきそばに舌鼓を打ち、いよいよ富士山本宮浅間大社へ。お宮横丁を出てすぐのところに建つ大きな二之鳥居をくぐります。
石造りの三之鳥居をくぐると現れる、朱塗りの楼門。この楼門をはじめ、これからお参りする本殿、幣殿、拝殿は、徳川家康公が関ヶ原の戦いに勝利したお礼として造営したものだそう。
ようやくこうして、お参りすることができる。僕の愛する富士山を御神体に持つ、富士山本宮浅間大社。その荘厳な拝殿を前にして、はやくも胸が一杯になる。
420年もの長きに渡り、この地を見守り続けてきた拝殿。太い注連縄の上に施された彫刻は極彩色に彩られ、そのうつくしさに目を奪われる。
鮮やかな朱塗りに檜皮葺の渋さが締まりを与える、優美な拝殿。朝起きて、カーテンを開けて富士山が見えるかまず確かめる。そんな毎日を過ごす僕。楽しい日も、辛い日も。いつも見守ってくれていることへのお礼を伝えます。
拝殿の奥に控える本殿は、二重構造の浅間造りとよばれる珍しいもの。全国に1,300以上もある浅間神社のなかで、この造りをもつのは4社のみなのだそう。
拝殿の脇へと回ると、並べて置かれるふたつの石が。左は富士山噴火の際に噴出した火山弾。冷えて固まってもなお伝わるドロドロとした紋様に、噴火の激しさを感じます。その隣は、南極の石。南極観測船ふじの乗組員が富士宮出身という縁から奉納されたものだそう。
そのさらに奥には、富士山から運ばれた浄砂が。いつかは登ってみたいと思いつつ、昨今の状況を見ると今ではないと思ってしまう。いつか落ち着きを取り戻し、それが自分の体力が許すときならば。そんな富士登山への憧れを、今はこの砂に託します。
朱塗りと檜皮葺の対比がうつくしい社殿にしばし見とれ、富士山への想いを紡いだところで隣に位置する湧玉池へ。
この湧玉池は、富士の雪解け水が伏流水となり湧き出す池。年間を通じて水温13℃、毎秒2,400ℓというものすごい量が噴き出しているそう。池のほとりには、そんな御霊泉を汲める場所も。触ってみると、ひんやりとした心地よい冷たさを感じます。
膨大な量が湧く富士の伏流水。水底を何の澱みもなく見通せるほど水は清らかで、そのうつくしさにふっと吸い込まれてしまいそうな感覚が。
清冽な水の流れの下には、鮮やかな緑に染まる水草が繁茂。その色彩があまりに清々しく、池のほとりのベンチに腰掛け時が経つのも忘れて見入ってしまう。
ひっそりとした雰囲気に包まれる上池に対し、広々と水を湛える下池。鏡のような水面に映る、朱塗りのうつくしい神路橋。
かつて、富士への登山者はここで身を清めたという湧玉池。どこまでも清らかで穏やかな水面、鮮烈な水草の緑がうつくしい水底。長い期間を経て湧き出す富士の恵みに圧倒され、去り際にもう一度だけ振り返りその清冽な姿を眼にこころに灼きつけます。
鏡のような穏やかさを魅せていた湧玉池は、石造りの神幸橋から神田川として流れ出ます。それにしても、この水量。1秒間にお風呂12杯分というとピンとこないけれど、こうして流れを見てみると改めてその湧出量に驚きます。
念願叶い、ようやくお参りすることのできた富士山本宮浅間大社。目の覚めるような朱塗りの社殿、清冽ということばを具現化したかのような湧玉池。ここで出逢えた鮮やかさを、大事にこころにしまっておこう。
やっぱり富士山は、特別だ。いつも眺めるだけだった富士山と、ちょっとばかり接点を持てた気がする。そんな貴重な感慨を胸に、荘厳なお社を後にするのでした。
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