在りし日の栄華と使命を色濃く残す八甲田丸。その内側に秘めた濃厚な昭和を久しぶりに味わい、旅先での切なさは一層強まるばかり。
そう思わせるのは、もうこの旅が終わりだという寂しさからか、それともやはり、憧れ続けることしか許されない海峡の女王への焦がれる想いからなのか。
今は自由通路となった青函連絡船への跨線橋。そこから眺める青森駅は、幾多もの旅客が本州に別れを告げ、もしくは上陸したときに目にしたものとそう違わないはず。
当時の繁栄の面影を残す広い構内。でも今はもう、北への航路は無い。長大編成の夜行列車が停まる姿も、過去のものになってしまった。剥されたレールが、その事実を一層強く印象付ける。
僕もかつて、上野発の夜行列車で降りたった青森駅。はくつる、ゆうづるが客車化され、583系が姿を消した。その後東北の雄であった両列車も廃止され、ついに庶民の乗れるブルートレインはこの国から姿を消した。
国鉄末期の栄華の残り香を経験しつつ、今の鉄道の衰退を悲しむことしかできない。そんな中途半端な世代であるということが、僕を一層苦しめる。
かつて溢れんばかりの乗客を乗せ、本州最果てのターミナルまでやってきた夜行列車。上野や大阪から北の大地を目指してきた人々は、この跨線橋からちらりと見える青函連絡船を、どんな気持ちで眺めたのだろうか。
昭和を嫌というほど経験していたならば。もしくは資料としてしか見られないほど、過去のものだったなら。僕はやっぱり、昭和生まれの平成育ち。この岸壁一帯を、無感情で眺めることなど到底できない。
数えきれないほどの人々が駆け抜け、踏みしめたであろう跨線橋。人間の営みが未だに染みついたかのような空気に、鼻孔の奥がつんとする。
だめだ、もう泣きそう。閉じ込めておいた感情が溢れ出る前に、八甲田丸の優美な姿をもう一度目に焼き付け、この場を去ります。
再開発され、すっかりきれいになった青森駅周辺。ですが一歩改札内へと足を踏み入れれば、そこに漂う濃厚な昭和の気配。本州最北のターミナルとして君臨し続けてきた歴史が、渋い色合いとなって全てに染みついているかのよう。
表日本と裏日本、それぞれ北を目指して駆け抜けた東北本線と奥羽本線。その鉄道のバトンを北海道へと受け渡すという大切な役割を担った青森駅も、今ではその役目を隣の新青森に奪われてしまった。
そしてその東北本線すら、もう今はここまで来ない。それでも多くの貨客を捌いた広い構内に架かる長い跨線橋は、僕が初めて青森駅に降りたときと同じ姿のまま。上野発のはくつるを降りたときの朝の寒さが、一瞬にして蘇る。
はつかり、白鳥、北斗星。海峡、はくつる、そしてスーパー白鳥。全て過去のものとなってしまった列車で何度も通った、青森駅。かつて賑わいを見せた長大ホームは、今や数両の銀色の電車が佇むのみ。
長い長いホームを、ゆっくりと滑り出す2両編成の電車。そして車内に響く、数多くの転轍器を渡る音。こればかりは、ロマンスシートでも、寝台でも、そしてロングシートでも変わらない。初めて青森駅を通ったとき以来、四半世紀以上の想い出が詰まった、僕の大切な音風景。
そんな感傷に浸る間もなく、奥羽本線の短い列車は新青森駅に到着。駅ビルでお土産を買い込み、いよいよ帰京することに。何度訪れても、青森はやっぱり青森。美しい津軽塗で彩られた姿は、この県の豊かさそのものを表しているよう。
広く小奇麗な新幹線コンコース。そこには北海道新幹線開通を祝い、棟方志功の屏風絵が飾られています。そう、今はここが北の大地との結節点。北海道新幹線開通後初めて訪れた新青森駅ですが、未だにその実感が全く湧きません。
威厳とは、時間と経験が創るもの。僕にとってここがターミナルとなるには、しばらく時間が掛かりそう。そんな連絡船と青森駅の余韻を引きずっているうちに、いよいよ新幹線の発車時刻が。コンコースに輝く美しいねぶたに再訪を誓い、ホームへと向かいます。
颯爽としたロゴが輝くはやぶさ号。確かに旅情は薄れた。夜通し走りたどり着くという遠さも感じられない。でも、それでもE5系が頑張ってくれるから、こうして何度もやって来ることができる。新幹線により、青森は確実に近くなりました。
新青森を発つ頃にはすっかりあたりは真っ暗に。トンネルと夜闇に支配された車窓は、見るものの無い漆黒の世界。そうとなれば、あとはこの旅の思い出つまみにワンカップを傾けるだけ。
鰺ヶ沢は尾崎酒造の、山廃純米白神山地の橅。すっきりと飲みやすいお酒で程よくいい気分になったところで、この旅最後の青森グルメを。今回選んだのは、青森の幸福の寿し本舗が調製する津軽の笹寿司。
蓋を開けると広がる、爽やかな笹の香り。鮭と鯛が具材として使われており、そのサイズは掛け紙の写真の通り、酢飯の半分程度といった控えめの大きさ。
笹の葉に包まれた酢飯は香りがよく、適度に締まった食感も押し寿司ならでは。鮭や鯛もしっかりと〆られており、それらの風味が酢飯に程よく味わいを添えます。
これは魚介を食べるというよりも、保存食としての寿司の旨さを味わうタイプ。このしみじみとしたじんわり感、僕は大好き。
笹の香りと米の甘味を噛みしめ、ワンカップをちびりとやる至福のとき。時速320キロで疾走する時代になりましたが、車内での楽しみは今も昔も変わらぬまま。
東京まではまだまだ掛かる。次なる供として選んだのは、僕の大好きな酔仙酒造のにごり酒、活性原酒雪っこワンカップ。酔仙は以前から好きなお酒ですが、この雪っこも大好物。
このお酒を初めて飲んだのはもうだいぶ前。八戸駅で新幹線からの乗り換えの際に買い、函館へと向かう白鳥車内で飲んだことが今でも思い出されます。
どろりとした濃度から伝わる、お米の強い甘味と味わい。それでいて甘ったるすぎず、すいすいと進んでしまう旨さ。でもそこは原酒、20度以上あるのでゆっくりじっくり楽しみます。
最近困ったことに、甘いものでお酒が飲めるように。これってやっぱり、歳なのでしょうか。以前では絶対に考えられない組み合わせでしたが、ここ数年ですっかり嗜好が変わりました。
ということでそうなることを見越し、新青森駅でお菓子をゲット。弘前に訪れる度に気になっていた、ラグノオのパティシエのりんごスティックを買ってみました。
所謂アップルパイなのですが、大ぶりのりんごと一緒にスポンジも包まれています。しっとりめのパイを噛めば、しゃきっとした食感と共に広がるりんごの爽やかさ。やっぱり青森は、りんごが旨い!
訪れる度に、裏切らない素朴な豊かさで包んでくれる青森路。今回は自ら寒さと雪を求め、冬を迎えにやってきた。寒くなると、なぜ敢えて寒い場所に行きたくなるのだろうか。その答えを、僕は少しだけ知っている。
春夏秋冬、様々な顔を見せる日本列島。平等に冬という季節が訪れる中でも、雪国と呼ばれる土地はそう多くない。厳しい冬に覆われるその場所には、長い冬を乗り越えるための温かさが根付いているように思えるのです。
それは生まれも育ちも東京の僕にとって、特別なもの。雪と戦う日々の暮らしの大変さは想像すらできませんが、その中には、東京では感じられない「意味のある寒さ」があるように思えて仕方がありません。
容赦なく吹き付ける、東京の空っ風。その乾きに心のうるおいすら奪われ、気持ちまで底冷えしてしまいそう。そんな冬を嫌いにならないために、自分の好きな冬を見つけに行く。そうすれば東京の無機質な冬も、何とか越せると思うから。
その気持ちはきっと、我儘な無いものねだり。でも、この無いものねだりこそが、僕の旅の原動力。この気持ちがある限り、僕は旅を続けたい。初冬の青森で来たる寒さの懐に飛び込み、その想いは一層強く形を成すのでした。
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