遠くから聞こえる太鼓の音。段々と近づくその響きに胸を躍らせつつ待つことしばし、ゆっくりと走る青森県警のパトカーが。弘前の夏の開幕を知らせる、ボディーに輝く白鳥の姿。すなわちそれは、僕の夏が頂点を迎えることを意味します。
僕の夏を連れてくる白鳥を見送り、いよいよそのときが。ねぷたのリズムを重厚に響かせる、津軽情っ張り大太鼓。その音色に宿るのは、腹の底を震わせる力強さ。あぁ、また来ることができた。感情をざわめき立たせるその旋律に、毎年こうして味わえることの幸せを強く強く噛み締めます。
祭りの先陣を切る、たくさんのかわいい金魚ねぷた。思い返せば6年前、津軽藩ねぷた村で金魚ねぷたに出会ったときから、僕の夏が動き出した。色褪せぬかわいさとの再会に、その衝撃が昨日のことのように思い出されます。
まだ暮れきらぬ空の下、次から次へとやってくるねぷた。昼間の暑さも嘘のような涼風を感じながら、灯りと音色の温かみを味わいます。
大きいねぷたは後から。津軽にはそんな喩があるようで、その言葉の通り小さいねぷたが隊列の先頭を切って進みます。
独特の調子とヤーヤドーの掛け声にのせて次々と続くねぷた。太鼓、笛、鐘、声。それらが混然一体となった耳触りの良い音色と灯りの協演に心酔していると、市役所の大きな卍ねぷたが。
それに続き、弘前市のマスコットであるたか丸くんの組ねぷたが。たか丸くん、毎年こうして逢えて嬉しいよ!そのかわいらしい姿に、今この瞬間に立ち会える悦びを噛み締めます。
卍の市章を掲げつつ、勇壮な武者絵を鏡絵とする市役所のねぷた。これほどのお祭りを遺すということの大変さとそれを支える弘前市に、感謝せずにはいられません。
夏の到来の歓びを表す鏡絵に対し、その儚さを表すという見送り絵。表裏一体。長い冬に対し短い夏に寄せる津軽の人々の想いが、この構図に込められています。
この凛々しい立ち姿の組ねぷたは、弘前藩の藩祖である津軽為信公。いくつものねぷたの鏡絵にも登場し、地元の方々の敬愛の念が伝わるよう。没後400年以上も経た今もなお、こうして人々に愛される。お殿様冥利に尽きるというもの。
鮮やかな色に彩られる扇ねぷた。夏夜に心地よい涼しげなものから、武者の熱情を漂わせるような激しいものも。内部から溢れる光の洪水が、その色彩を一層強烈なものへと昇華させます。
大きいものではビル3階分ほどの高さもあるねぷた。真下から見上げれば首が痛くなるほど高く、この迫力は生で見た者だけが味わえる贅沢。
最勝院の五重塔に雪が舞う姿を描いた見送り絵。こうした弘前の名勝を題材としたものも多く、溢れる地元愛がひしひしと伝わります。
次から次へと繰り広げられる、光の洪水。大小幾多ものねぷたが放つ鮮烈な色彩は、一夜の幻想であるかのような不思議な浮遊感すら感じさせます。
様々な姿で見る者を楽しませるねぷた。その違いは絵にとどまらず、形や点される灯りの色など、まるで団体ごとに美しさを競い合っているよう。
夕陽に照らされた黄金色の海原と、大空に舞う鷹に牡丹の描かれた艶やかな見送り絵。押し寄せんばかりの煌めきが、網膜を通して心の深くに焼き付きます。
人を乗せ、颯爽と駆ける光る騎馬。その勢いある姿からは、命が宿っているかのような猛りを感じます。
妖艶な美人画が描かれることの多い見送り絵ですが、中にはこんなあどけない表情をした天女の姿も。絵師の方や題材による違いを見比べるのも、ねぷたの楽しみ方のひとつ。
勇壮な姿で戦う為信公。随所に見られるその姿に、城下町としての弘前の誇りを強く感じさせるよう。
藩祖を鏡絵とするこのねぷた。その見送り絵には、月に照らされる満開の桜に包まれた弘前城が。
郷土愛。6年前に初めて弘前を訪れた僕を魅了したのは、ここに住まう人々の郷土愛なのかもしれない。その形として表現されるのが、ねぷたであり、津軽三味線であり、温かみのあることばなのでしょう。
夏の夜空に気高く咲く桜。燃え上がるような情熱に触れ、弘前での夜は一層熱を増してゆきます。
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