柔らかい明るさに起こされる、山の宿の朝。昨晩降った雪は、景色を一体どんな風に染めたのだろう。そんな期待を込めつつ窓を開ければ、頬を刺す冷気と共に流れ込むこの眺め。朝日の気配が溶け込む朝靄が、山々のみならず僕の心まで包んでしまうよう。
冷え切った体を温めるべく、凛とした空気の中朝風呂へ。すると残念ながら、露天風呂は凍結のため利用中止。脱衣所から最後の雄姿を眼に焼きつけ、木造りの渋い湯屋でひとり静かに白濁の湯を噛みしめます。
源泉がドバドバと掛け流される内湯はちょっと熱め。湯上りの火照りを冷まそうと、ぴんと張った空気の中岩手山にご挨拶。まだ夜の名残りを宿す空、それを一気に染めあげようと昇る朝日。雲の下には南部片富士が裾野を広げ、太陽から色彩を授けられるのを待つかのよう。
神々しさ。それを体現したかのような眺めを心に宿し、布団に転がりぼんやりと。そんな朝の隙間を愉しんでいると、お待ちかねの朝食の時間に。今日もテーブルにはおいしそうなおかずが並んでいます。
たらこや焼鮭ももちろんのこと、山で食べたい山菜たち。根曲がり竹の味噌漬けは、味噌のコクと根曲がり竹の風味が美味。ふき味噌や山うどのほろ苦さ、いぶりがっこの薫香も熱々の白いご飯を誘い、満腹になると知りつつもやっぱり2度もおかわり。
パンパンになったお腹を落ち着け、内湯で最後の一浴を。毛穴に心にと硫黄分を隅々まで染み込ませ、今年最後の営業を終えようとする宿に別れを告げます。
その刹那、「ありがとうございました。また来年!」と声を掛けられ、思わず胸が熱くなってしまう。
こちらこそ、今回も良い湯良い味良い時間を味わわせてもらい、本当にありがとうございました。毎年通えるほど簡単に来られる場所ではないけれど、絶対に、絶対にまた来ます。そう再訪を強く誓い、送迎車へと乗り込みます。
実はこの日、路面凍結のため松川温泉までの区間は一般車全面通行止め。え?帰れない?会社にごめんなさい?と思っていたところ、宿の車の先導で山を下りれるとのこと。
我々の乗ったワゴン車を先頭にみんなで慎重に山道を進み、紅葉のきれいな秋の世界へと無事に帰還。季節を遡るという貴重な体験を経て、送迎バスの乗り換え地点である八幡平さくら公園へと到着します。
輝く太陽に目を細め、全身に陽射しを受けつつ眺める岩手山。体を包む温もりに、先ほどまでの銀世界がまるで幻であったかのように思えてしまう。
愛する南部片富士の雄姿を瞼に焼き付け、盛岡へと向かう送迎バス(残念ながら廃止となりました)に乗り込みます。宿やペンションの並ぶ高原らしい道を抜け、開けたところで姿を現す八幡平。アスピーテと呼ばれる盾を伏せたような台地状の独特な山容を、ただただひたすら目で追います。
つい先ほどまで、僕はあの山の頂直下に居た。その余韻に浸りつつ、標高を下げるバスにただ身を委ねるのみ。
良い旅をした時だけに得られる、充足感と少しばかりの感傷。胸をチクリと動かすその感覚を抱き、秋色に染まる雄大な岩手の大地をぼんやりと眺めるのでした。
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