金ケ崎で藩政時代の情緒と新緑の鮮烈さを存分に浴び、もうあとは東京目指して帰り道。途中一ノ関、小牛田と普通列車を乗り継ぎ、一路仙台を目指します。
昼下がり、列車に揺られぼんやり眺める長閑な車窓。大きくとられた窓を流れる田んぼの姿も、次に訪れるときにはきっと緑に染まっていることだろう。
次回の東北は、たぶんねぷた旅だな。愛する地にまた逢えるときを願いつつ列車に揺られ、夕刻前の仙台駅に到着。ここでお土産を買い、この旅最後の東北グルメを味わうことに。
仙台ではお寿司を食べようと決めていましたが、あれこれお店がありすぎて迷いがち。ここ2回は初めてのお店に行ったため、今夜は久しぶりに『うまい鮨勘名掛丁支店』にお邪魔します。
1貫から注文でき、三陸産のものも味わえる安定感あるお気に入りのお店。何を食べようかとタブレットを一巡し、まずはこの2貫を。
そいはもっちりしっとりとした白身に込められた、上品な滋味深い旨味が美味。真あじも新鮮で、歯ごたえのある身に乗った程よい脂が口中に広がります。
続いて注文したのは、東北に来たら食べたい筋子巻き。凝縮感あるすじこにしっかりと味が付いているので、これがまた地酒のアテにもってこい。
新幹線の時間まではまだまだ余裕たっぷり。早々に満腹になってはもったいないと、もう一品鮭皮つまみを頼むことに。塩とポン酢を選べましたが、今回はポン酢で注文。
運ばれてきたその姿を見て、思わずひとりにやけ顔。これ、旨いの確定じゃん。鮭皮は香ばしく焼かれ、パリッとした食感と香り高い鮭の風味に昇天寸前。皮下の脂が程よく残されているため、香ばしさのみならず鮭ならではの旨味も同時に味わえる至福の旨さ。
ちびちびじっくり呑むはずが、旨いつまみにどんどん酒が進んでしまう。こうなると逆に酔っぱらってしまってはお寿司がもったいないと、にぎりを色々と食べてゆきます。
大ぶりな吸盤が乗せられたたこの吸盤軍艦は、コリっとした歯ごたえとたこの持つ深い旨味が美味。大好物の活つぶは、ゴリッとした強い食感とともに広がる磯の風味と貝の甘味が堪りません。
そのお隣は、しゃこ。これまで好きでも嫌いでもなく、ほとんど自ら進んで食べる機会のなかったしゃこ。ですがタッチパネルを見ているとオスとメスが選べ、気になったのでメスを頼んでみることに。
確かに、外側からでもびっちり卵を抱いてるのが垣間見える。一体どんな味だろう、そうワクワクしつつひと口で。
うわっ、何これ、旨っ!ほくほくとした身に詰まる、これまたほっくりとした卵。食感も味わいもものすごく凝縮感があり、地味、いや失礼、その控えめな見た目からは想像つかない濃ゆい旨さ。特に卵が魅惑的で、そういえば僕の好きなかにの内子に近いものがあるとひとり大きく頷きます。
続いて、北の海でおいしい活ほっき。肉厚な身には、ほっきならではの甘味が詰まっています。火を通されたほっきのひもは旨味や食感が凝縮され、これまた好物のかつおもまた旨い。
たっぷりと甘味の詰まった、ぶりんとした食感のぼたんえび。穴子はふわふわとろとろの魅惑の食感で、炙られた香ばしさとちょうど良い塩梅のツメが口の中でふんわりと解けてゆくのを感じます。
もっとっもっと、あれもこれも。色々食べたいものはあれど、もうそろそろお腹は着陸態勢に。最後は好物中の好物で〆てゆくことに。
まずは本まぐろの中とろ。ちょっと筋が目立つかなと思いましたが頬張ってみると全く気にならず、するりと上品な脂の甘さと赤身の旨味が溶けてゆきます。まぐろは絶対、中とろが一番だと僕は思う。
そして有終の美を飾る、この3貫。いくら軍艦はプチプチとはじける食感と、それとともに広がる魚卵のエキスが魅力的。一方で筋子の握りはねっとりと凝縮され、いくらでは味わえぬまったりとした味わいが最高のひと言。
そして大トリは、金華うに軍艦。ひと口で頬張れば、口中を満たしてゆくうにの旨味と甘味の洪水。バフンほど濃厚ではなく、でも普通のムラサキウニよりもとろりと濃醇。豊満とも言いたくなる厚みある旨さに、さばだけではない金華山の凄さを思い知らされます。
はぁ~、旨かった。好みのものを少しずつたくさん選べ、どれを食べても安定感あるおいしさ。結局やっぱり、仙台では鮨勘になってしまうな。うまい鮨と宮城の酒に存分に満たされ、思い残すことなく夕暮れ時の仙台駅へと吸い込まれます。
暮れゆくホームで待つことしばし、僕を東京へと連れて帰るこまち号が入線。今回も、いい旅だったな。十年前は帰りたくない一心で迎えたこの瞬間も、今では旅の充足を感じつつ迎えられるようになった。
それはなぜか。だって僕には、重ねてきた東北との逢瀬の記憶が詰まっているから。この瞬間を切なく感じることはあっても、悲しく思うことはもうないだろう。そのためにも、また愛するこの地へと帰ってこなければ。
異動と新年度のバタバタを乗り越え、勝手知ったる地で癒されたいと思いついた今回の旅。大沢に藤三と、彼の地はよく知っているつもりだった。けれどそのふたつの宿に挟まれた至近の地に、また新たな魅惑の湯宿が待っていたなんて。
江戸時代の湯宿が今なお残り、古き良き湯治場の情緒を現代に伝える大沢温泉。同じ湯治場とは言えども、一度覗いてしまうと決して忘れることのできぬ唯一無二の濃密な世界観に支配されていた藤三旅館。そのどちらも、今の僕を作ってくれた存在と言っても過言ではない。
そして今回出逢うことのできた、山の神温泉優香苑。現代の宮大工の技が込められた見事な木造建築美は、きっとこれから時を重ねて両隣のような歴史に裏打ちされた飴色に輝いていくことだろう。
これだから旅はやめられない。知っているつもり、それがいかに盲点でもったいないことか。いや、でもそう思い知らせてくれる出逢いがあるからこそ、旅の悦びという源泉は枯れることなく湧き続けてくれる。
本当に、良い旅だった。その感慨にこころを揺さぶられ、僕はまた次の旅への衝動を胸へと宿すのでした。
コメント