晩秋蔵王、染められて。~白き夢見し酔いもする 3日目 ③~ | 旅は未知連れ酔わな酒

晩秋蔵王、染められて。~白き夢見し酔いもする 3日目 ③~

11月下旬晩秋の山形最上義光歴史館前の紅葉 旅行記

大正浪漫薫る文翔館からのんびり歩くこと10分ちょっと、ビルの建ち並ぶなか緑豊かな一画へ。これから向かうは、かつて山形城のあった霞城公園。地図上では線路向こうにあるはずだけれど、それらしい跨線橋が見当たらない。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園二ノ丸東大手門
おかしいな、もうすぐそこにあるはずなんだが。そう訝しく思いつつ先へと進んでゆくと、木々の途切れた先に姿を現す白亜の櫓。あぁ良かった、合っていた。でも越えるはずの線路は、どこにあるのだろう。その答えは、ちらりと覗く高圧架線。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園お堀端を走る山形新幹線と左沢線・仙山線の単線並列線路
そうか、こういう地形になっていたのか。最上義光歴史館の建つ公園から霞城公園へは一見フラットに見えますが、それらを隔てるお堀端に沿って線路が走っているとは。それもここは、全国でも珍しい標準軌と狭軌が寄り添う単線並列区間。右は山形新幹線の行き来する奥羽本線、左は仙山線や左沢線。思わず鉄ちゃんの血が騒いでしまう。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園大手橋から二ノ丸東大手門を望む
無骨なコンクリート橋で線路をまたぎ、その先に横たわるお堀に架かる木橋へ。この大手橋は、二ノ丸東大手門とともに平成初期に復原されたもの。山形鋳物で造られた艶やかな擬宝珠の先には、堅牢な石垣とそこに続く土塁の姿が。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園二ノ丸東大手門桝形から望む高麗門と北櫓
大手橋から続く高麗門をくぐると、櫓や塀にぐるりと囲まれた桝形へ。山形城の中心部だったという、二ノ丸と本丸。その玄関口となる二ノ丸東大手門は、城門としては江戸城に次ぐ規模であったそう。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園荘厳さを漂わせる二ノ丸東大手門
桝形と二ノ丸を隔てる楼門。重厚な石垣と白漆喰の対比、均整の取れた瓦屋根。その凛とした佇まいは、かつて全国で5番目の広さがあったという山形城の威厳を物語るよう。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園二ノ丸広場に色付く銀杏と最上義光騎馬像
重厚な楼門を抜けると、そこはかつての二ノ丸。広場の縁を色付く銀杏が彩り、中央には初代藩主の最上義光公の騎馬像が。その周りには、木々の冬支度を進める人々の姿。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園に移築復元された旧済生館本館
来たる冬の足音を感じつつ進んでゆくと、木々の合間に聳える立派な建物が。この旧済生館本館は、かつて病院として使われていた建物を移築復元したもの。象徴である塔屋の優美な姿が印象的。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園に移築復元された旧済生館本館円形と三層楼が印象的な擬洋風建築
明治11年に当時の宮大工により建てられ、昭和40年代の職人の技で往時の姿へと復元された擬洋風建築。竣工当時の設計図は残されておらず、その復元には相当な労苦があったそう。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園に移築復元された旧済生館本館円形の回廊から望む三層楼
現在は山形市郷土館として、郷土の歴史や医学に関する展示がされているこの建物。現在の玄関のある建物から回廊へと出れば、和洋折衷の何とも言えぬうつくしさを持つ空間が。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園に移築復元された旧済生館本館擬洋風建築と和を思わせる中庭の対比の妙
洋を思わせる手すりや柱、軒の装飾。そこに締まりを与える瓦屋根。当時の人々ならではの感性で表現した西洋と、和を思わせる中庭の対比の妙。この小さな空間に凝縮された美意識に、言葉も忘れ圧倒されるばかり。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館正面玄関ロビーへとのびる独特な形状の階段
進むごとに姿を変える造形美。その豊かな表情に溜息を漏らしつつ歩いてゆくと、階上への道しるべが。2階には、一体どんな空間が広がっているのだろう。そう期待しつつ扉を開ければ、そこにはうつくしい装飾の施された独特な形状をもつ階段が。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館2階への階段から見下ろす正面玄関ロビー
狭い通路を年甲斐もなく探検気分で進んでゆくと、その先にはさらに曲がりくねった階段が。この踊り場から見下ろすのは、正面玄関として使われたロビー。アーチを描くステンドグラスが、木と白壁の空間に華を添えるよう。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館三層楼へと続くうつくしい螺旋階段
くねくねとねじれた階段を登り2階に着くと、三層楼のさらに上へと通ずる螺旋階段が。残念ながら現在は立入禁止となっていますが、艶めく滑らかなうつくしさに思わず見とれてしまう。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館正十六角形をした2階の講堂
かつて講堂として使われていたという2階部分。正十六角形で形作られた広々とした空間には、シンプルな美意識に満ちた荘厳さが漂います。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館2階講堂から見下ろす正十四角形の1階病室回廊
講堂から1階を見下ろせば、こちらもきれいな多角形で構成されていることが見て取れます。十四角形の回廊に沿って病室が並び、150名ほどを収容できたそう。空調設備もない当時、この造りは日当たりや換気といった衛生面でも理にかなっていたのかもしれません。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館2階から下る階段から独特の雰囲気を持つ正面玄関ロビーを望む
1階へ戻ろうと踵を返せば、眼下に広がる印象的なこの光景。これまで出逢ったことのない独特な世界観に、自分がどこか違う世界へと迷い込んでしまったかのような錯覚が。

11月下旬晩秋の山形城跡に移築復元された旧済生館本館独特な世界観に彩られた和洋折衷のうつくしさ
明治初期に竣工して以来、九十余年に渡り病院として使われ続けてきた旧済生館本館。明治時代の宮大工が造り上げ、昭和の職人の技で命を繋いだ擬洋風建築。そこに込められた職人たちの美意識を胸へと刻み、優美さに溢れる空間に別れを告げます。

11月下旬晩秋の山形城跡土塁の中に重厚な石垣が築かれた本丸一文字門
旧済生館本館を包む明治の空気から、再び江戸時代へ。深い空堀に建つのは、本丸への玄関口である一文字門。山形城には主に土塁が築かれていましたが、城門付近にのみ石垣が用いられているそう。二ノ丸東大手門とともに、その対比がよく解る印象的な光景。

11月下旬晩秋の山形城跡本丸堀に残る石垣崩落跡
本丸西側のお堀の底には、密集して転がる大きな石が。これは櫓台が崩落した跡だと考えられており、周囲からは鯱瓦や鬼瓦など櫓に葺かれていた大量の瓦も出土しているそう。

11月下旬晩秋の山形城跡本丸の空堀と重厚な土塁
本丸一文字門を過ぎると、空堀沿いには再び重厚な土塁が連なるように。霞城公園は在りし日の山形城の姿を取り戻すべく、今なお復元工事の真っ最中。本丸に続く仮囲いが取れた日には、一体どんな光景が待っているのだろう。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園雨に艶めく桜紅葉と大銀杏
壊され埋められてしまった城郭を取り戻す。人々をそうまでさせる力が、お城という存在には宿っているのだろう。武蔵野多摩生まれの僕は、その象徴的存在に憧れを抱くばかり。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園芝生を埋め尽くす銀杏の黄金色の落葉
残念ながら、もうそろそろ駅へと戻る時間。今回はちょっと駆け足すぎたかな。そんな次へと繋がる宿題を胸に灯し歩いてゆくと、芝生を埋め尽くす黄金色の銀杏の絨毯。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園二ノ丸南大手門跡
羽州街道沿いの街並みに始まり、文翔館から霞城公園へ。初めての山形は、想像以上に濃密だった。今回は外観のみの見学だった建物、そして立ち寄ることのできなかった場所。それらを残しておけば、またこの街へと戻ってくることができるに違いない。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園二ノ丸南大手門を出て石垣と土塁の連続美をもう一度振り返る
再訪の願いを抱きつつ、駅を目指し速める足。二ノ丸南大手門跡を抜け、もう一度振り返る。そこに佇むのは、重厚な石垣から土塁へと繋がる連続美。

11月下旬晩秋の山形城跡霞城公園お堀の先に望む山形新幹線新型E8系
これまで訪れたお城ともまた違う表情をもつ山形城。石積みと土塁の競演を眼に焼き付け歩いてゆくと、お堀の先をかすめるように走り去る山形新幹線。

これだから、旅することをやめられない。初めての街での新鮮な出逢いがあるからこそ、もっともっとと未知を既知に変えたくなる。初めて訪れた県都山形でその悦びを今一度噛みしめ、今度はもっとゆっくり訪れようと強く強く誓うのでした。

晩秋蔵王、染められて。~白き夢見し酔いもする~
11月下旬晩秋の蔵王温泉名湯舎創白濁の湯が掛け流される陶器風呂に浸かる至福の贅沢
2024.11 山形
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●1日目(東京⇒蔵王)
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2日目(蔵王滞在)
●3日目(蔵王⇒山形⇒米沢⇒東京)
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