早川から山と海の織り成す車窓を愛でること21分、列車は終点の熱海に到着。それにしても、本当に人、人、人。一昔前のあの姿からは想像できぬ賑わいに、何がきっかけで観光地が復活するか分からないものだと感嘆してしまう。
多くの人々が往来するアーケードの入口には、小さな機関車の保存車両が。これは明治から大正にかけ、小田原から熱海までを結んでいた熱海鉄道で使用されていたもの。その廃止後にのちの東海道線となる国鉄熱海線がこの地まで乗り入れ、そのときに誕生した熱海駅は今年で開業100周年を迎えたそう。
駅ビルのお土産屋さんで夜のお供を仕入れ、準備万端整ったところで宿へと向かうことに。駅前のロータリーから、事前予約制の送迎車に乗車します。
海辺以外、まったくと言っていいほど平坦な土地のない熱海。駅を出るとバスはすぐに険しい山道へと挑みはじめ、気がついたころには青い相模灘に浮かぶ初島と遠く伊豆大島の姿が。
駅から延々と山道を登ること20分、これから2泊お世話になる『ゆとりろ熱海』に到着。周囲は企業の保養所や研修所が点在する緑豊かな立地で、いわゆる熱海といって想像するものとは雰囲気を異にする静かな環境に包まれています。
到着後、ロビーに置かれた端末にQRコードをかざしチェックイン。事前にメールで送られてくるサイトから夕朝食や送迎の時間も事前予約でき、こういう合理化って必要だし利用者側も楽だよなと実感。
鍵を持ってきてくれた宿の方の説明を聞き終えたら、部屋へと向かう前にここで一服。窓際には足湯が設けられており、そこでウエルカムアフタヌーンティーセットをいただきます。
そして何よりのご馳走は、この眺望。今日は晴れてくれて良かった。新緑と青い海を愛でつつ飲む、冷たい静岡茶。その濃くまろやかな味わいに、早くも僕のなかの非日常が動き出す。
ロビーにはコーヒーやお茶のほか、赤白ワインのフリードリンクも。ワインもいっちゃおうかななんて思いつつ、それよりも逸る気持ちが勝り自室へと向かうことに。
パジャマは部屋に備え付けてあるそうなので、ロビーから歯ブラシを2本もらいひとつ下のT階へ。ここから外へと出て木々に囲まれた小径を辿り、グランピングサイトを目指します。
そしてついに、僕の2泊の城となるトレーラーハウスとご対面。なにしろ人生初のグランピング。アウトドア経験皆無の僕にとって、この過ごしやすそうな小箱にひと目惚れし予約しました。
有名な建築家の隈研吾氏とアウトドアブランドのSnowPeakがコラボしたという、住箱と名付けられたモバイルハウス。コンパクトながら寝る、くつろぐがぎゅっと込められており、四角い窓から見える切り取られた風景がまた印象的。
うわぁ、初のグランピングでこれはやばい気がする。到着後早々ひとりはしゃぎつつ、部屋に備え付けのパジャマに着替えタオルを持って大浴場へ。グランピング宿泊者も本館の温泉大浴場を利用でき、するりとした伊豆山の温泉を楽しめるのも嬉しいところ。
大きなタープの張られたウッドデッキで一番搾りを喉へと流し、ほんのり気持ちよくなったところで揺られるハンモック。
そういえば、ハンモックも生まれて初めてかも。すっぽりと包み込まれる安心感、陽射しや風を感じながら自然の中で微睡めるという甘美な贅沢。だめだ、こんなの知ってしまうともう引き返せなくなりそう。
夕刻前にもう一度大浴場で汗を流して部屋へと戻ると、ちょうど宿の方が食材をクーラーボックスへ。17時過ぎにこうして準備をしてくれ、終わったらあとは片づけてくれる。キャンプ未経験者の僕にとって、本当にありがたい。
食材と一緒に、調理の仕方やごみの分別方を書いた紙が。さぁ、いよいよこれから初のひとりバーベキュー。まずはその紙に目を通しつつ、早くも今宵の宴を始めてしまおうか。
バーベキューといえば、やっぱりワインかな。そう思い熱海駅のお土産屋さんで仕入れた、中伊豆ワイナリーの伊豆の丘プロローグ・ホワイト2024。中伊豆志太農場で育てた2種のぶどうで醸した白ワインは、すっきりとした飲み口と爽やかな酸味が印象的。
そんな辛口のワインに合わせるのは、プロシュートとサラダ盛り。この日は間違って焼肉のたれをかけてしまいましたが、それはそれで意外と白ワインに合ってしまう。翌日は添えられたシーザードレッシングで食べましたが、こんな意図しないアレンジが発生するのもまた愉しい。
はぁ、なんだかもうすごく嬉しい。なんだこれは。明るい内から、外で飲む。ただそれだけのことで、こんなにも日常から遠ざかってしまうものなのか。
サラダつまみに、きりっと辛口をのんびりちびちび。食欲中枢も刺激されたところで、いよいよ焼きはじめることに。赤えびにはまぐり、ほたてバター。初めてバーベキューコンロなるものを使いましたが、慣れ親しんだ使い勝手でまったく不便は感じない。
続いてはお肉を。牛ヒレは表面こんがり、中ジューシーに。塩こしょうでシンプルに味わえば、赤身の味わいとすっきりとしたワインが好相性。ラムチョップもくせがなく、しっかりと漬け込まれたスペアリブはじっくり焼いて香ばしさを楽しみます。
ゆっくりと食べ進め、飲み進めるという贅沢な時間。ちょっとばかり弱まりはじめた陽射し、それと反比例するかのように色味を持ちはじめる住箱の室内。なんだかもう、これだけで善きつまみになってしまう。
カセットコンロにかけ、じっくりと温めていたダッチオーブン。湯気があがり蓋を取れば、中には熱々のポトフが。柔らかく煮込まれた豚、ほっくりとした根菜。それを活かす控えめな塩味が、ワインで火照ったおなかにすっと沁みてゆく。
それに合わせるのは、スキレットで焼いた肉巻きおにぎり。全面をこんがり焼き最後にじゅっとたれを絡めれば、ポトフにもワインにも合うおいしさに。
17時過ぎから飲みはじめ、あっという間にもう18時半過ぎ。火の使用は20時半までと決まっているので、そろそろ待望のあれを始めることに。
そう、僕はこれがやりたくてグランピングに憧れていたんだ。チャッカマンで着火剤に火を点け、火ばさみで投入。あれ、くすぶるけどうまく燃えない。置き場所を考え、もう一本。すると勢いよく炎があがり、ぱちぱちとした心地よい音と鼻をくすぐる煙の香り。
あぁ、本当に愉しすぎる。揺らぐ炎を見ていると、なぜか無心になってしまう。絶えず変化する火の舞い、耳へと届く爆ぜる音。ただひたすらぼんやり眺め、気がついたところでワインをちびり。
そんなゆるい至福を静かに噛みしめつつ、炎の勢いも落ち着いたところでデザートを。食材のなかに入っていたホイル包みのお芋を焚き火にくべ、マシュマロを串にさしてじっくり炙る。初めて焼きたてのマシュマロを口にしたが、あれほどまでに別物に変身してしまうとは。
外はさっくりこんがり、中とろ~り。生まれて初めて、マシュマロを本気でおいしいと思った気がする。なんだか今日は、初めてづくしだ。そんな夜のお供にと続いて開けるのは、大井町は石井醸造の曾我梅林の梅酒。
ごみの分別も終え、あとはひとり静かに呑むだけ。甘すぎない、梅の爽やかな酸味の活きた日本酒生まれの旨い梅酒。その濃い風味をちびりと含み、この情景にこころを染める。
どうしよう。もう本当に後戻りできない気がする。これは生きてきた中で、稀に遭遇してしまう危険なやつ。
登山家のみが許されるはずの銀嶺をこの目に見せてくれるスキー、お祭りとは無縁なはずが毎年通うようになってしまった弘前ねぷた。そして、僕の人生観をいとも簡単に変えてしまった八重山のあお。それらと出逢ったときと同じように、いま自分のなかの未知がびっくりしている。
くべていた薪も燃えつき、だんだんと弱まりゆく炎。火と戯れる。これまで生きてきたなかでほんの数回しか経験してこなかったことが、これほどまでに愉しいなんて。
自分の中に眠る、僕もまだ知らなかった未開拓の部分。焚き火と遊ぶという濃密な時間にこころを委ね、火種も消えたところで室内へと戻ることに。そんな僕を包んでくれる、この空間。トレーラーハウスに住む。だめだ、そんなことを考えてはいけない。
22時前、燻された体と頭をもう一度大浴場でさっぱりさせそろそろ寝床へ。いつもより早い時間だけれど、今夜はいまが寝時だと思わせてくれる。それほどまでに、満たされた一日だった。
寝心地の良いベッドに転がり、ぼんやりと眺める天井。今日は本当に、新鮮な一日だったな。これまで経験したものとはまた違った充足感に抱かれ、ロールカーテンを閉め眠りへとつくのでした。
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