フェリーに抱かれ迎える朝。途中起きることもなく、いつになくすっきりとした目覚め。いま何時なのだろうか。そうスマホを見てみると、5時半を過ぎたころ。これは、もしかしたらもしかするかも。そう思い島ぞうりをつっかけ、そそくさとデッキへ向かいます。
今日という一日のはじまり、日常でも繰り返される日の出という現象。それを非日常へと昇華させるのが、船旅のもつ不思議な魔力。黄金に輝く海、茜色が強まりつつある空。その荘厳な眩さを、ここにいるみんなが目を細めて見つめている。
それにしても、出航からここまで驚くほど穏やかな航海。太平洋フェリーはこれで3度目ですが、今回が一番静かかもしれない。ちりめんのようなわずかなさざ波、その濃紺を染める朝日の煌めき。あまりに静謐なうつくしさに、思わず吸い込まれそうになる。
輝きに満ちる船首とは対照的に、船尾の先にはほんのり残る夜の気配。いまだそこまで太陽の力が及んでいないのだろう、海と空のないまぜになった水平線。その先へとすっとのびゆく航跡に、これまで辿ってきた遥かな海路に想いを馳せる。
黄金に染まる甲板で荘厳な情景に灼かれ、船内へと戻ることに。そういえば、今はどのあたりにいるのだろう。そう思いモニターを見てみれば、関東千葉の房総沖。自分の住む街と同じ地方、そう遠からずの海の上。そこでこんな壮大な儀式が毎朝繰り広げられているなんて、そう考えるだけで胸が熱くなる。
あぁ、いい朝だ。こんな瞬間に逢いたくて、この船旅を決めたんだ。朝日の眩さにこころを焦がし、自室に戻りベッドにごろり。とろとろとここちよく微睡んでいると、レストランサントリーニから朝食の準備ができたとの船内放送が。
当初は軽食スタンドで名古屋コーチンの卵かけご飯を食べるつもりでしたが、意外にがっつりお腹がすいてしまったため朝食バイキングを利用することに。
塩さばや筑前煮、焼うどんに磯辺揚げ。好みのおかずを少しずつ取り、白いご飯とともに味わう至福。そして何よりのごちそうが、この景色。目を細めずにはいられないほどの眩さに満ちた海原に、もう幾度目かわからぬため息が漏れてしまう。
多くの船客で賑わう広々としたレストランで、温かいご飯を味わえる。これが乗り物の中だなんて、毎度のことながら俄かに信じがたい。僕の慣れ親しんできた乗り物とは一線を画す船という存在に改めて心酔し、食後の余韻に浸ることに。
おかずを選んでいるときに、ふと目に留まったかき氷機。大好物の納豆ご飯で仕上げたあとは、自分で作るブルーハワイでさっぱりと。童心に戻りつつ、がりがりがりがり。数年ぶりに口にした冷たさに、懐かしき歓びがこみあげる。
案の定食べすぎてしまい、お腹を落ちつけるためにふたたび寝床へ。見るつもりはなかったけれど、せっかくテレビもあるので試しに点けてみることに。なにが映るんだろう。そう思いチャンネルを変えていると、なんと操舵室からのライブ映像が。
これはいいものを見つけてしまった。寝るでもなく映像をぼんやり眺め、ただひたすらにのんべんだらり。あり余る時間を、何もしないをして過ごす。そんな船旅の一番ともいえる醍醐味に身をゆだねれば、気づけばもう10時前。
そろそろお腹も落ち着いたところだし、やることもないし。そうとくれば向かう先はただひとつ、展望大浴場へ。その入り口横には、いしかりが寄港してきた港の盾が。人間が生み出した、最古の長距離移動手段である船。この独特な文化も、世界中を結んできたという歴史の厚みを感じさせる。
いつもは波に合わせてもてあそばれる船上での湯あみも、くどいようだがほとんど揺れなし。本当に気持ちの良い航海だ。そんな湯あがりの爽快感を一層鮮やかにしてくれるのが、この開放感あふれる瀟洒な空間。
適当な場所に腰掛け、ほっとひと息。そしてうれしいのが、無料の給茶機がいつでも動いているということ。自室にペットボトルは置いていますが、こうして気が向いたときに飲める冷たいほうじ茶がありがたい。
流れているテレビ番組を見るでもなく、その音声をほのかに耳にとらえるだけ。時速40㎞/hで過ぎゆく海原をひたすら見送れば、周囲の音すらどこへやら、自分と海しかない無心の境地に。
日々のあれこれでさざ波だったこころも落ち着いたところで、ふたたび自室へ。あとはもう、本能のままに流れる時間を費やすのみ。ときおり入る電波にスマホをいじり、それに飽きたらうとうとまどろみ。あっという間に正午を回り、風呂好きな僕はまたまた浴場へ。
海風を浴びに甲板へと出れば、もう福島沖までやってきた模様。路線バスと同じ速度とはいいつつも、こうして着実に目的地へと進んでゆく。当然といえば当然だが、船が巨大であるがゆえに建物のなかにいるような感覚だからこそ不思議でもあり。
そしてもちろん、手に携えるのは冷えたビール。久々に味わう、キリンのクラシックラガー。のどへと落ちゆく泡の刺激、ぐっとくるほろ苦さ。その大人の旨さを、青く輝く航跡が最上級のものへと昇華させてゆく。
青い空に青い海、涼しい海風冷たいビール。絵に描いたような至福のもたらす解放感に存分に身をゆだねていると、そろそろスタンドが開く時間に。
危ない危ない、デッキでのんびりしすぎた。かろうじて席を確保し待つことしばし、13時ちょっと前にヨットクラブが営業開始。おにぎりにそばもいいけれど、どうしようかなぁ。そんな形式的な悩みを一旦経由し、今回も結局まかないカレーを注文。だって、太平洋フェリー伝統の味って書かれちゃねぇ。
3度目の乗船にして、このカレーと逢うのも3回目。6年ぶりとなる再会に、思わず懐かしさがこみあげる。親しみを感じる黄色いカレーをひと口頬張れば、まろやかでこくのある王道の旨さ。
その見た目どおり、奇をてらわぬ安定感ある味わい。ぽってりとしたやさしいルーには、たっぷりの豚肉に玉ねぎ、マッシュルーム。少し甘めで、食べやすくて。それでいて具材は食べごたえがしっかりと残され、あと味はほどよくスパイシー。きっとまた次も、迷ったふりをしつつこのカレーを頼んじゃうんだろうな。
6年ぶりのおいしいカレーとの逢瀬を愉しみ、後方へとつづく展望通路へ。午後の陽射しが差しこみ、ぽかぽかとここちよさに満ちるプロムナード。居たいところに、居ていい。そんなゆるい自由に揺蕩えるのも、船のもつ包容力があるからこそ。
上級個室で贅沢な時間を独り占めするのもあこがれるが、きっと僕にはこんな自由な過ごし方が合っているんだろうな。そんなことをS寝台で転がり考えていると、まもなく姉妹船きそとすれ違うとの船内放送が。
もうそんな時間か。急いでデッキへと向かえば、肉眼でもしっかりと見えるほどの距離まで接近。あぁ、僕のフェリー愛を再燃させてくれた想い出の船だ。そう感慨に浸っていると、僕の乗るいしかりが空気を震わせ汽笛を発する。
つづいてきそも、大きな声でそれに応える。1,330㎞という遥かなる旅の途中、この姉妹が逢うのはこの一瞬だけ。大海原で繰り広げられる再会と別れに、なぜだか目頭が熱くなる。
前回も、前々回も、あの船からこの船を見送ったんだった。そしていま、6年越しの願いが叶いこうしていしかりから去りゆくきそを見つめている。そのことが、ただ純粋にうれしくて。
船旅という非日常がもたらす感傷か、それとも念願叶った感慨か。きっと、そのどちらもなのだろう。小さくなりゆくきそを目で追ういま、胸の奥深くをぎゅっと掴むような切なくも温かいここちよさが。
善い旅だ。まちがいなく僕はいま、全力で善き船旅に身を置いている。この圧倒的な質量をもつ旅情を一度知ってしまうと、もう二度と後戻りはできなくなる。
ほんの数分だけ許された姉妹同士の再会、それが終われば人々も船内へと戻りデッキにはふたたび静寂が。風と波を蹴る音のみが響く洋上で、そんな静かなる豊かさがこころをじんわりと満たしてゆくのでした。
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