松本城や松本神社で戦国から藩政時代への歴史に想いを馳せ、つづいてはこの街の近代化の歴史に触れられる場所へ。神社から小学校沿いを北へと歩くと、パステルに彩られた瀟洒な洋館が。

明治22年にカトリック松本教会の宣教師用住居として建てられて以来、100年近くものあいだ宣教師たちに住み継がれてきたこの建物。当初は松本城北側に位置していましたが、道路拡幅に伴いこの地に移築されたそう。

今年で築136年を迎える、長野県最古の西洋館である松本市旧司祭館。渋い色味に鈍く輝く木材が、経てきた歳月の長さを物語るよう。

この建物の特徴ともいえるのが、裏手の北側に設けられた開放的なベランダ。ぐるりと廻らされた華奢な窓からは、信州を染める四季折々を気持ちよく眺められそう。

明治中期の空気感が宿る洋館のすぐ隣には、文明開化の薫りを感じさせる擬洋風建築が。旧司祭館から時代を遡ること13年、明治9年に建てられた旧開智学校。その貴重さから、2019年には近代学校建築として初めての国宝指定を受けています。

10年ぶりの再会となるこの建物。前回はじめて対面したときもその姿には圧倒されましたが、今回はより端正な面持ちに。このあと見学してから知ったのですが、3年半ほどかけて耐震工事が実施され去年リニューアルオープンしたのだそう。

江戸時代が終わって十年足らず、当時の職人の瞳を通して具現化された西洋の風。その美意識が凝縮された、正面玄関。天使の見まもるバルコニー、西洋風の柱の上で睨みを利かせる龍の彫刻。この独特な世界観は、一度眼にすると決して忘れられない。

見る者の心をとらえて離さないファサードとしばし対峙し、あらためてそのうつくしさに心酔したところで校舎内へ。和洋折衷の華やかな外観から一転し、鈍く艶めく木の廊下がここが学びの場であることを感じさせる。

かつて職員室として使われていた大きな部屋には、この校舎に関する展示が。大工の手により生み出された擬洋風建築の内部は、土や木といった自然素材を用いた日本の伝統建築そのもの。

洋のなかに和を感じさせるのは、この建物の成り立ちにも関係が。明治となり廃仏毀釈により破棄されてゆく寺院。地元の人々の寄付をもとに新校舎を建てるため、費用を少しでも抑えるべく廃寺から発生した多くの古材を再利用。この丸太柱も、開校当初に仮校舎として使用していた全九院から受け継がれたものだそう。

文明開化の波のなか、手に入る素材をやりくりし持ちうる技術を駆使して洋風に仕上げる。それは単なる模倣ではなく、職人のもつ創意工夫や技、そして美意識というものが込められているからこそ、このうつくしさに到達したのだろう。

この建物が生まれたのは明治9年。十年ひと昔とはいうけれど、江戸から明治へと移ろう間に一体何が起きていたのだろう。様々なものが出そろった現代を生きる僕にとって、その変化の荒波など想像すらできやしない。

明治初期には近代的な学校制度が敷かれるも、校舎について細かい規定はなく廃寺や空き家を利用したものが大半を占めていたそう。

そんな手探りの時代において、教室の広さや独立性、日当たりも考慮されて建てられたこの校舎。その先見性のある造りから、昭和38年まで学び舎として現役を続けました。

玄関の意匠が変更されたり、水害による被害にあったり。そんな変遷をたどりつつも、90年近くものあいだ人々に親しまれた校舎。長い年月をかけすり減った飴色の階段には、ここを昇降した幾多もの生徒の想い出が宿るかのよう。

2階にも、中廊下の両側に並ぶ旧教場が。それぞれに展示された資料を見つつ進んでゆくと、これまた和を感じさせる扉が。
見事な彫刻の施されたこの桟唐戸は、隣にあったという廃寺の浄林寺から転用されたもの。館内の雰囲気に溶け込むよう金属製のドアノブが取り付けられ、ペンキを塗った上からさらに木目を再現するという手の込みよう。

飛竜の見守る桟唐戸の先には、荘厳な空気に包まれる大きな空間が。ここはかつて、式典や試験会場としても使われたという講堂。

室内をやさしく照らすシャンデリア、その周囲を飾るのは職人の技が光る漆喰の造形。そこに舶来物の色ガラスが彩りを添え、明治初期の美意識というものの鮮やかさに息を呑む。

全体的に洋を感じさせる空間ですが、そのなかにも当時の工夫の跡が。一見クロス貼りのように見える天井は、和紙を5層重ね貼りしたものだそう。

独特な装飾を施された重厚なドアの先には、建物の中央にそびえる塔屋への階段が。以前は公開されていなかったようですが、耐震化後は限られた日程ながら見学できる日も設けられているそう。

そのすぐ横には、全九院の丸太柱に支えられた廻り階段の降り口が。こうして上から見下ろすと、手すりもなく急勾配。それでもすり減った跡があるところを見ると、ある程度は使用されていたのでしょうか。

随所随所に込められた往時の美意識を存分に浴び、あらためて外から全景を。唐破風に瓦屋根、寺社仏閣に似合うはずの龍や雲の彫刻。それなのに、どことなく洋を感じてしまう。
建物の隅や足元の石積みに見える部分も、すべて漆喰細工で模したもの。手に入るものを使い、自分たちの技で表現しよう。そんな江戸から明治を生きた職人の技に圧倒され、十年ぶりの開智学校のうつくしさを胸へと刻むのでした。



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