旅の想い出の詰まった場所が、そしていつかはと憧れていた地が消えてしまう。旅という趣味を長く続けていると、どうしても避けて通ることのできないこの切なさ。
18年前、会社の仲間と訪れた湯ノ倉温泉。最寄りの駐車場から山道を20分歩き、ようやくたどり着く渓谷に佇む一軒宿。電気の通じていないランプの宿で過ごした一夜は、間違いなく僕の人生を決定づける体験だった。
そのメンバーで幾度か重ねた秘湯旅をきっかけに、すっかり山の湯宿好きになってしまった僕。その中でも湯栄館での経験が忘れられず、またいつかは行きたいと回想に耽っていた矢先。あの信じられないような大地震が起こってしまった。
2008年6月14日、午前8時43分。僕はそのとき、今日と同じく東北へと旅立つため東京駅のホームにいた。Maxやまびこ号の扉が開くのを待っていると、立っていても感じるほどの地震が。
その後新幹線は運転見合わせとなり、急遽高速バスで会津へと向かった僕ら。まだスマホもないころ、ワンセグも全然映らない。ようやく宿に着きテレビを点けて目にした光景は、自分の想像を遥かに超える惨状だった。
帰京後改めてテレビやネットを見てみると、去年訪れた想い出の地が大変な状況になっていることが断片的に解ってきた。
旅の道中レンタカーで駆け抜けた国道はいたるところで寸断され、湯栄館は堰き止め湖により水没し。たった1年前に辿った鮮烈な新緑の想い出があまりにも非現実的で、二十半ばの僕には到底受け止めることなどできなかった。
今回の旅の目的地。そこは彼の旅で栗駒山周辺の秘湯を調べていたときに知り、訪れなかったものの気になっていた木造旅館。岩手・宮城内陸地震の影響を受けて休業し、その後発生した東日本大震災が決定打となり再開を断念したと知ったときには、もう訪れることなど叶うはずもないと思っていた。
そして今月、急遽休みが取れたためいそいそと宿探し。比較サイトを眺めていると、見覚えのある温泉地と旅館の名が。いや、嘘だろ。最初目にしたとき、思わずひとりでにそんな言葉が口を衝いて出た。
今ある宿も失われてゆくこのご時世、一旦消えた灯火が復活するなんて。でも間違いなく、そこは行きたいと思っていたあの宿。そうとなれば、もう訪れる先はここ以外考えられない。すぐさま予約を入れ、そしていよいよ今日という日を迎えた。
若き日に出逢った若葉の湯旅の想い出と、翌年に起こったあの地震。僕のなかで切っても切れない表裏一体となった記憶を浮かべつつ走ること2時間13分、やまびこ号は仙台駅に到着。
この日は昼過ぎまで会議があったため、時刻はもう16時半。まずはホテルに向かおうと、駅前のペデストリアンデッキが跨ぐ大通りをまっすぐ北上。10分ほど歩いたところで、今宵の宿である『ホテルメイフラワー仙台』に到着。
実はここも、僕の想い出の宿。震災の年、三十路の節目旅で泊まったこのホテル。14年ぶりに訪れてみると、面影がないほどきれいにリノベーションされていてびっくり。今回予約したのは、靴を脱いでくつろげる和洋室。ベッドに近い寝心地の分厚い布団が敷かれ、腰掛けられるクッションもあり快適。これで素泊まり5千円台。旅費高騰の折、このお値段でいいのかと申し訳なく思えてくる。
ホテルは駅前を通る愛宕上杉通と定禅寺通の交差点に位置しており、そのまま定禅寺通を西方向へ。そういえば、仙台に泊まるのも9年ぶりのこと。帰りの新幹線を気にせず、じっくり腰を据えて呑める。そんな期待に昂るこの胸を、厳かな暮れ色が一層深く染めてゆく。
いつもは駅周辺で済ませるけれど、今夜はせっかくの泊まりのため繁華街で店探し。さすがは東北一の歓楽街として名高い仙台国分町。あまりに数が多すぎて、敢えて下調べしてこなかったことが裏目に出そう。
情緒ある稲荷小路や早くも煌びやかなネオンが輝きはじめる国分町通を歩きつつ、優柔不断な僕はなかなかお店を決められない。そこで七夕には笹が飾られるアーケードへと移動してみると、何やら気になる看板が。
ええい、ままよ!自分の勘を信じ、アーケード沿いのビル2階に位置する『蔵の庄一番町本店』へといざ入店。結論から言いましょう。ここ、ものすごく大当たり。
この日は祝日前日、早めの時間帯ではありましたが店内はすでに結構な混雑。いやこれもう少し遅ければ絶対入れなかったわ。そう安堵しつつ通されたのは、炭火の燃える囲炉裏端の席。
うわぁ、最高じゃん。そう思いつつまずは冷たいビールで旅の疲れを潤していると、すぐさまお通しが運ばれてきます。
ほくほくと甘いにんじんの天ぷら、瑞々しいトマトやかぶに紅芯大根。これらの野菜はすべてこだわりの宮城県産。そのままでも良し、添えられた仙台味噌をちょんと付ければ地酒になお良し。
最初におすすめの料理を丁寧に教えてくれる店員さん。今日はもうかの星があるのですが、もうすぐ売り切れてしまいますよ。その言葉にまんまと誘われ、思わず二つ返事で注文。
おととしのねぷた帰り、仙台駅のお寿司屋さんで初めて味わったもうかの星。モウカザメの心臓のお造りで、鮮度が命のため食べられる場所も限られてくる魅惑の逸品。
角の立った、見るからに旨そうな赤い身をまずは塩とごま油で。うわっ、旨っ!カウンターであることを忘れ、思わず独り言を口走ってしまう。コリっとプリッとした歯触り、そして広がる深い滋味。クセや臭みなどどこを探しても存在しておらず、もうひと口目から感動しきり。
続いては、しょうがとニンニクとともにしょう油で。これまたびっくり、表情ががらりと一変。ごま油と塩では甘味が引き立つのに対し、しょう油では赤身の馬刺しのような、いい意味での赤さを感じられる味わいに。
続いては、この時期ならではの仙台名物であるせりを。こちらのお店はせり鍋が名物のようで、1人前でも注文可。いつかは食べてみたいと思っていた憧れの料理を前に深く考え込みましたが、お鍋を食べるとそれだけで満腹になるためおひたしを頼んでみることに。
そして運ばれてきた、待望のひと品。まずはその特長ともいえる根っこを。しゃきっとした歯ごたえとともに、口中を駆けめぐる爽やかな芳香。そして感じる、驚くほどの甘味。
これ、僕がこれまで食べてきたせりじゃない。瑞々しく、苦みやえぐみがなく、それでいて香りは豊かで、そして何より甘味がある。根に茎に葉、食す部位ごとに食感や風味が変化し、もうこれだけで宮城の酒がいかほど吞めようか。
伊達のいろり焼きを謳うこのお店、せっかくなら食べない手はないと仙台の伝統野菜である根曲がりねぎを注文。目の前で、だんだんと仕上がりゆく様を眺める自分のねぎ。最高の景色をつまみに待つことしばし、焼き場の店員さんから直接渡されます。
お皿の上には、こんがり照り照りのうつくしいねぎ。熱いだろうな、絶対熱いよな。猫舌ならではの恐怖心とのせめぎ合いに打ち勝ち、焼き立て熱々をひと口。
まわりはしゃくっと、中とろ~り。ちょうど良い塩梅の焦げ目から広がる香ばしさ、追いかけてくるように溢れるねぎ特有の甘味と香り。もうこんなの、反則だ。ねぎ好きには堪らん旨さに、もっきり酒がみるみる消えてゆく。
続いてもいろり焼き、宮城といえばの金華さば。遠火でじっくり炙られたさばは、余分な水分が落ちきゅっと心地よい凝縮感に。皮目のぱりっとした香ばしさ、ほっくりとした身から染みだす脂と旨味。しょう油を垂らしたおろしを乗せれば、酒もいいがご飯も欲しくなる。
まだまだたくさん食べたいものはあるけれど、残念ながら胃袋はひとつだけ。仙台味噌の焼きおにぎりと激しく迷いましたが、〆はやはりこの時期には外せない三陸産カキフライを。
まずは春色をしたタルタルソースで。噛めば中からかきのエキスが文字通り溢れ出し、口のなかはもう三陸の海そのもの。かきの豊潤な旨味にしば漬けの優しい酸味が合わさり、笑みがこぼれるのを抑えきれなくなる。
残された1個は、自分的にカツやフライの一番好きな食べ方であるしょう油で。しょう油の塩分と旨味がかきの味わいをシンプルに引き立て、ジューシーさに満ちた魅惑の味に溺れてしまう。
直感で入った店が、大当たり。そんな旅の醍醐味に心酔し、大満足でお店を後にします。いやぁ、酒も肴も旨かった。9年ぶりに歩く、夜の仙台。ほろ酔いというフィルターを通して眺める街並みは、いつも以上に輝いて見える。
休前日、多くの人々で賑わうアーケードを抜け仙台駅へ。夜闇に輝く駅舎を見つめ、思い返すあの節目の旅。30になったばかりの僕は、こんな未来が待っていたなんて微塵も想像していなかったな。漆黒の夜空に浮かぶ駅舎を眺め、14年という歳月に思いを馳せずにはいられない。
特長的なレンガ色の駅舎に万感の想いを重ね、ホテルへと戻ることに。併設された大浴場で旅の汗を流し、ひと息ついたところでひとり静かに宴の続きを。
自分的にも、世の中的にもいろいろとありすぎたこの14年。でもこうして、今も変わらず旅する悦びを重ね続けることができている。そんな温かな感触を胸に灯し味わう、地元仙台の勝山特別純米酒縁。するりと優しくふくよかな味わいが、今の心境にすっとなじんでゆく。
なんだか今回は、いつも以上にいろいろと想う旅になりそうだ。久々に揺蕩う仙台の夜に、そんな予感を抱きつつ旨い酒をちびりちびりと噛みしめるのでした。
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