善治郎で溺れた至極の口福を惜しみつつ、次なる目的地へと移動することに。これから目指すは、好きな神社の待つあの港町。そこへの足となる仙石線に乗るため、あおば通駅へと向かいます。
仙石線の仙台駅は、駅の東側の深い地下。そのため、西口から利用するならこの駅が近くて便利。さらに始発なので座れるのも嬉しいところ。
今年の冬には、新型が投入されることが決まったこの線区。慣れ親しんだ通勤電車の活躍に触れられるのも、もしかしたらこれが最後の機会になるのかもしれない。
高校の時、毎日毎日通学で揺られた山手線や埼京線。今なお宿る当時の空気感にしみじみと感じ入ること30分、電車は本塩釜に到着。久々の訪問に、嬉しさとともに懐かしさを噛みしめます。
北側に位置する神社参道口を出て、ロータリーに面した大通りを左へ。道沿いには、木造家屋や蔵といった歴史を感じさせる建物が点在。ここが鹽竈神社の門前町として古くから栄えてきた歴史を、今へと伝えています。
渋い佇まいの味噌蔵の向かいには、これまた目を引く重厚な蔵。地元産の塩竈石で建てられたこの酒蔵は、銘酒浦霞の醸造元。そうか、ここがあの旨い酒のふるさとだったのか。そう考えると、途端にあの味を欲してしまう。
あと数時間後には、お寿司相手に呑めるはず。ひとまずここは我慢と決め、眩い春の陽射しに目を細めてその先へ。うららかな陽気にすっかり汗も滲んだところで、久々の再訪となる鹽竈神社に到着。
創建は定かではないものの、少なくとも平安初期にはその名が残されているという歴史ある神社。陸奥国一之宮、そして東北鎮護として、古くから多くの人々の信仰を集めています。
前回ここを訪れたのは2016年のこと。あのとき僕はまだ三十半ば。四十代となった今、目の前に立ちはだかる表坂と対峙し背筋を伸ばす。一歩一歩踏みしめ202段。確かに息切れはするものの、登り詰めたときの爽快感はあの頃よりもはるかに深い。
そんな強がりを言いつつも、やはり時の流れを感じずにはいられない。上がった息を必死に落ち着けたところで、荘厳な隋身門をくぐります。
お参りする前に、まずはあの撫で牛に逢いにゆくことに。曇りなきつぶらな瞳、優しい笑みをこぼすその表情。本当に、この牛さんは愛らしい。
かわいい撫で牛との再会を果たし、いよいよお参りを。やわらかな春の青空に映える、朱塗りの門。その優美さに目を奪われますが、その手前にはこれまた愛嬌のある狛犬が。奉納されて以来280年近くもの間、神社を護り幾多もの参拝者を出迎えています。
震災の年の8月に初めて訪れて以来、幾度かお参りした鹽竈神社。前回はついこの前のように思えたけれど、気づけば9年近くも経ってしまった。そんなご無沙汰のお詫びと再訪のお礼を、荘厳な社殿に伝えます。
武運と海の神様を祀る鹽竈神社を後にし、すぐ隣に鎮座する志波彦神社へ。このお社に祀られる志波彦大神は、農業や殖産、国土開発の神様だそう。昭和期にこの地へと遷座して以来、鹽竈の神様とともに海と陸の両方を見守り続けています。
鮮やかな朱塗りに金の装飾、白壁といった鹽竈神社に対し、朱と漆黒の対比が印象的な志波彦神社の拝殿。地の神様らしさを感じさせる重厚な佇まいに、9年ぶりの想いを伝えます。
神苑越しに望む、人々の暮らし息づく塩竈の街。その先には春の海が穏やかに煌めき、それら全てを包み込む広い空のうららかさ。お参りを終えた空っぽの胸に、このあまりの清爽さが流れ込む。
ここから眺める海、好きなんだよな。これまでで一番の青さを胸へと灼きつけ、そろそろ港へと向かうことに。その道中、博物館の前には見事な枝ぶりの桜が。まさに満開を迎えたこの四季桜は、秋から春にかけ二度開花するのだそう。
東京でも開花の気配すらないこの時期、思いがけずの桜にすっかりこころも春色に。穏やかな陽気も手伝いゆるりとのんびり歩いてゆくと、今度はあたり一面を鮮やかな黄色に染める菜の花が。
めくるめく花の競演にため息をもらしていると、春の青空にくっきりと映える紅梅が。目の覚めるような対比の妙、艶やかな花弁が放つ次の季節を目指す力強さ。春夏秋冬様々な良さはあるけれど、生命力というものを一番強く目の当たりにできるのはこの季節に違いない。
栗駒山に抱かれた花山から、太平洋の息吹を感じる塩竈へ。宮城県内を移動したこの数時間で、季節が二分の一個分、進んでしまった。
今朝まで残雪の地にいたのが、なんだか幻のように思えてくる。半日で浴びた春へと移ろう活劇に、改めて日本の広さ、厚み、そして四季のもつ豊かさにこころを動かされるのでした。
コメント