約2時間半、宿場や表情豊かな町並みを満喫した木曽福島。この町には、まだまだやり残したことがある。次へと繋がる宿題を残し、再訪を強く誓いこの地を去ることに。
松本へと向け、列車は定刻に出発。速まりゆく車窓の流れに目を凝らしていると、先ほど歩いた上ノ段の町並みが。こうして少しずつ塗られてゆく、自分の中の白地図。車窓に想い出が蓄積されてゆく。それは旅好きとって、堪らぬ悦び。
江戸時代の旅人気分で見上げた近代交通を、令和の旅客として辿る路。前回の木曽路で体験した峠越えの大変さ、そして今回目の当たりにした往来に対する厳しい取り締まり。
旅出来ることって、決して当たり前ではない。改めてその有り難さを噛みしめていると、中央西線が縫うように走る木曽谷は幅を狭めその終わりを予感させるように。
木曽川に沿い、谷をつめてゆく普通列車。山深さが一層濃くなったかと思うと、意を決したように長大トンネルへ。ここでついに木曽谷に別れを告げ、鳥居隧道で分水嶺を越えて日本海側へ。
木曽福島から走ること20分、奈良井に到着。駅から歩いてすぐのところに、江戸時代の宿場の面影を色濃く感じさせる奈良井宿が遺されています。
宿場内に設けられた、いくつもの水場。集落内で暮らす人々の生活用水として、延々と続く木造家屋の防火用水として。そして、街道を行き交う人馬の飲み水として。ペットボトルなど携帯できる飲料のない時代、宿場の水場は重要な役割を担っていたことでしょう。
ゆるやかな上り坂の両脇に、古き良き建物が連なる奈良井宿。その中には、窓ガラスをはめられていない障子そのままの昔ながらの造りの家も。本当に、江戸時代にタイムスリップしたようだ。
折り重なる山を背に、ゆるい円弧を描きのびる街道筋。木の渋い色味に染まる町並み、奥の山から立ちのぼる霞。その全てを染めるモノトーンと雨空が、幽玄の世界を創りだす。
中央分水嶺、難所である鳥居峠を控え、木曽十一宿で一番の賑わいを見せたという奈良井宿。その規模は、奈良井千軒とも謳われたほど。
宿場と宿場を結ぶ伝馬や人足の管理を行ったという問屋。奈良井宿には上問屋と下問屋のふたつが設けられ、現在旅館として使われているこの下問屋は200年以上も前に建てられたものだそう。
凛とした印象を漂わせる端整な格子、装飾の施された軒を支える木材。江戸時代から蓄積された、深みの宿る渋い色合い。これが現代まで遺され、今なお現役でいるということがいかに貴重であるかを噛みしめます。
その並びには、上問屋であった旧手塚家住宅が。こちらの町家も、築180年を超えるそう。現在は上問屋資料館として開放され、往時の資料とともにお屋敷の内部を見学することが。
受付で入館料を支払い、いざ建物内へ。まず目に飛び込むのが、見上げるほどの高い天井をもつ空間。土間と囲炉裏端を支える、自然の曲がりを活かした梁や太い柱。長い歳月の醸す飴色に、思わず圧倒されてしまう。
2階へと繋がる急階段を登れば、これまた息を呑むような世界観。木材の放つ鈍い輝きが、この御屋敷が長きに渡り大切にされてきたことを感じさせる。
大小いくつかの部屋がある2階部分。それぞれ趣の違う造りになっていますが、特に目を引くのが廊下やこの6畳間の天井。職人が一枚一枚手で剥ぎ取ったという天井板が用いられ、ゆらぎのある豊かな表情を魅せています。
江戸時代の職人の美意識宿る、気高さすら感じさせる重厚美。現代人の想起する豪華や贅沢にはない質量に抱かれつつ見下ろせば、格子の合間に覗く街道。こうして眺めていると、笠をかぶり草履をはいた旅人が今にも通り過ぎてゆきそうな錯覚が。
さらに奥へと進むと雰囲気は一変、屋根を支える骨格が姿を現す板張りの部屋が。
見上げてみれば、木で葺かれた屋根の内側を垣間見ることが。部屋の用途や格式により、内装までも変化を付ける。のっぺりとしたLDKに住む僕にとって、古い日本家屋のもつこの緩急は憧れそのもの。
江戸の空気感の込められた空間に圧倒され、急な階段を下り1階へ。飴色に艶めく階段箪笥。これまで飾りとして置かれていたのは目にしましたが、実際昇降したのは初めてかも。
問屋や庄屋を歴任し、木曽の御代官様とのつながりも深かったという手塚家。役人を迎える格式の高い部屋が必要となるため、母屋の奥には座敷棟が建てられています。
棟と棟の合間に設けられたうつくしい坪庭に情緒を感じ、奥に広がる二間の広間へ。ふわりと風の通る部屋、畳に正座しふと息をつく。障子から溢れる庭の緑、そして欄間を彩る彫刻のうつくしさが胸の奥へと吹き渡る。
さすがは長きに渡り、奈良井の要職を担ってきたお屋敷。まだまだ敷地は奥行きがあり、一番奥に位置する座敷棟の周りには豊かな緑に覆われる庭園が。
その座敷棟には、明治天皇の巡幸の際に御在所とされた上段の間が。ここはその時から手を加えておらず、当時のまま保存されているそう。
江戸時代から、明治大正昭和平成令和と、6つの時代を生き残ってきたこの建物。往時の宿場の情緒があったかと思えば、表情豊かな緑や格式の高い座敷まで。その複雑な内部構造と同じく、様々な時代の空気感が織り込まれている。
上問屋資料館で宿場の歴史に思いを馳せ、さらに先へと進みます。江戸寄り、駅から下町、中町と辿ってきた奈良井宿。中町と上町の境には、街道がクランク状に折れ曲がる鍵の手が。
鍵の手を過ぎると町の表情は雰囲気を変え、鳥居峠を擁する山がいよいよ間近に迫り宿場の終わりを感じさせる光景に。
今にも参勤交代の行列が現れそうな町並みを歩いてゆくと、重厚感漂う洋館を発見。この建物は、旧奈良井診療所として昭和初期に建てられたものだそう。和の建築が延々と連なるなかで、ここだけが異色を放っています。
江戸寄りから辿ってきた奈良井宿、その終端を知らせる高札場が。缶詰のように存置された、往時の宿場の空気感。その濃密さに圧倒されあまり距離は感じませんでしたが、全長1㎞にも渡る日本で一番長い宿場町なのだそう。
高札場のさらに先には、鮮やかな朱塗りの鳥居が。この鎮神社は、旧奈良井村の鎮守の神様。12世紀頃に創建し、江戸時代に奈良井宿を襲った疫病を鎮めるために香取神宮から御祭神を招いたことからその名が付けられたそう。
築360年、木曽の美林を背負い建つ重厚な本殿。雨に濡れ艶めく姿に荘厳さを受け取りつつ、こうしてここを訪れることのできたお礼を伝えます。
鎮神社を越すと奈良井宿はついに終わり、険しい山の中へと吸い込まれてゆく旧街道。この先待ち構えるのは、木曽路でも難所として知られた鳥居峠。この山を越えた先に、あの深い木曽谷が待っています。
鎮神社にお参りを終え、駅を目指して引き返すことに。江戸側からは上り基調だった宿場内の道も、都側からの下り坂ではまた違った表情に映るから不思議なもの。
山肌にへばりつくような馬籠宿、江戸時代の情緒を残しつつ様々な様式の建物の並ぶ妻籠宿。ここ奈良井宿は、それとはまた違った雰囲気が。モノトーンの世界観で統一された宿場町の姿に、往時の往来の様子を想い描かずにはいられない。
江戸時代の旅の形に想いを馳せ、宿場を離れちょっと寄り道してみることに。1991に架橋された、奈良井川を渡る木曽の大橋。樹齢300年以上の木曽檜が使用され、橋脚を持たない木橋としては日本有数の大きさだそう。
見事な木組みで形作られた木曽の大橋に別れを告げ、駅の向かいの山中へ。そこには往時の街道の風情を今なお感じさせる、旧中山道の杉並木が。
鬱蒼とした木立に誘われ先へと進むと、ずらりと並ぶ石仏。この二百地蔵は、鉄道敷設や国道開削の工事により元居た場所からこの地に集められたものだそう。
徒歩で辿るしかない中山道から、蒸機や馬車が行き交う近代交通へ。人々の通る道の変遷を眺めてきた石仏たちの穏やかな表情に触れ、その上に鎮座する八幡神社へ。
奈良井宿の下町の氏神様である八幡神社。今回も善き旅となったことのお礼と、また違う表情に出逢うための再訪の願いを伝えます。
去年の馬籠、妻籠に続き、今日訪れた福島と奈良井の宿場。それぞれ異なる情緒に触れ、宿場めぐりの愉しみというものに心惹かれはじめるのでした。
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