八幡神社へのお参りを終え、そろそろこの地を離れる時間。駅へ向かおうと坂の上に立てば、あまりの質量を持つ幻想的なこの光景。かつて中山道を辿った旅人も、きっとこの幽玄の世界を見ていたに違いない。
1年半前、生まれて初めて知った、僕の日常の先に繋がる非日常。中央線に特別な想いを寄せる僕にとって、また新たな夢を見させてくれる中央西線。今回の旅では最後の1本となる列車に乗り込み、僕のいつもへと帰ることに。
奈良井から雨に煙る車窓を眺めること24分、中央本線と篠ノ井線の結節点である塩尻に到着。ここまで来れば、僕の馴染みのある東線エリア。とはいいつつも、これまで乗り換えで立ち寄っただけで未知なる地。今宵はこの街で、この旅最後の夢に酔うことにします。
塩尻に寄ったらぜひ行きたい、そう企んできた『元祖山賊』。信州名物として有名な山賊焼き発祥の店、人気店ということもあり予約でいっぱいではないかとちょっとばかり心配。開店15分前にお店に着き待つことしばし、平日ということもあり無事入店。
まずは冷たい生をグイっと味わい、食欲が刺激されたところで鶏もつ煮の小が到着。甘辛いしょう油ベースのたれで、しっかりと煮込まれた鶏皮やもつ。すき焼きを想起させる味わいで、これはご飯やビールにも合うがやっぱり日本酒だ!
ふるふると柔らかい鶏皮つまみにさっそく地酒に切り替え、続いて馬刺しの小を注文。あれこれ食べたいけれどお腹に限りのあるひとり旅、こうしてサイズが選べるのがとっても嬉しい。
ほどよく脂ののった、見るからに旨そうな色。あらかじめ生姜醤油で味付けされた一切れを口へと運べば、しっとりとした身質から染みだす馬ならではの深い滋味。この一皿で、一体何合吞めてしまうのだろう。
鶏もつと馬刺し相手に信州の酒を噛みしめていると、ついにお待ちかねの山賊焼きとご対面。骨の有無やサイズが選べますが、今回は骨付きで300gあるという中を注文。カットするかどうかも、注文時に聞いてくれます。
いやぁ、初塩尻で初山賊焼き、それも元祖のお店でだよ。どうしよう、興奮してきた。そんな期待感に包まれつつ、いざがぶり。ざくっとした衣を噛んだ瞬間、皿へと滴り落ちる肉汁。僕にとっての第一印象は、とにかくジューシーというものだった。
ちょっとこのジューシーさには、出逢ったことがない。驚きつつ噛んでゆくと、鶏の味わいをきちんと感じることのできる絶妙な塩梅の味付け。松本で食べたものはもっとにんにくが立っていたけれど、こちらはふわっと香るちょうど良さ。
濃すぎず薄すぎず、でも普通の唐揚げよりスタミナの付きそうな下味。食べ進めても飽きが来ず、ときおり生キャベツを挟めばまた次へと行きたくなる。
モモの付け根はジューシーで、先端の骨に近づくにつれ染みた下味が効いてくる。その味のグラデーションも愉しく、最後には骨に付いたお肉まで夢中でむさぼってしまう旨さ。
鶏肉300gか。そう様子を見ていましたが、日本酒片手に意外と食べられてしまう。ということで調子に乗り、もう一品酒のアテを追加することに。昨日の夕食に、混ぜご飯で出てきた香茸。壁のメニューを見るとバターソテーの文字があったため、迷わず注文。
黒々とした一片を噛みしめると、ぶわっと口から鼻へと抜けてゆく芳香。続いて広がる、ほろ苦さときのこのもつ旨味。なんだろう、この味をなんて表現すればいいんだろう。
これまで生きてきた中で出逢ったことのない香り、それがバターのコクをまとい至極のつまみに。もうこれは、無限で酒が呑めるやつ。このおいしさを言い表せない感覚に首を傾げつつ、案の定地酒をおかわりしてしまいます。
いやぁ、心の赴くままに飲んでしまった。そんな満足感に抱かれ歩く、駅までの道。今回も、本当にいい旅だったな。夜に煌めく塩尻駅に、そんな素直な感想を噛みしめる。
発端は、あてもなく旅行サイトを眺めていたときに見つけたあの湯だった。その宿のある木曽路はまだ初心者だし、きっと新たな出逢いが待ってくれているだろうと決めた今回の旅。
あれこれ考えを巡らせて能動的に行程を模索する時があれば、何かしらのきっかけでふっと降りてくるときもある。今回の旅は、後者の方だった。今考えれば、きっと木曽路に湧くあの冷泉に呼ばれていたのかもしれない。
1年半前に訪れた棧温泉も、溜まった疲れなどすっきりと吹き飛ばしてくれる冷泉だった。そして今回出逢えた、大喜泉。蓄積しきった日頃の澱みをなかったことにしてくれる冷たき湯は、また違った浴感と力で僕を癒してくれた。
沿線に生まれ育ち、今なお身近に感じて暮らしている中央線。故郷の三鷹に停まるかいじや臨時のあずさに恋をし、通過するグレードアップあずさの颯爽とした姿に心酔し。古き良きカナリア色の鈍行も好きだったし、たまに乗る銀色の東西線は特別だった。
そんな僕にとっての鉄道の原風景、人生において切っても切り離すことのできない中央線。その特別な路線の先には、特別な力を持つ湯と人々の紡いできた交通の歴史が待っている。
2度目にして、すっかりその魅力にこころを打たれてしまった木曽路。40を過ぎて初めて訪れるまでは遥か遠い地に感じられたけれど、自分の暮らしと地続きであることを今の僕は知っている。
さて次は、どの季節どのお湯に逢いに行ってやろうか。また木曽路に呼ばれる日を夢見て、数々の記憶を五一わいん片手に想い出として胸へと落とし込んでゆくのでした。
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