あの航跡に逢いたくて ~海路を紡いで越前へ 4日目 ③~ | 旅は未知連れ酔わな酒

あの航跡に逢いたくて ~海路を紡いで越前へ 4日目 ③~

7月中旬初めての敦賀漁港の風情を感じさせる港周辺を街歩き 旅行記

気比の松原で瑞々しい松林と穏やかな海に出逢い、心の赴くままに港方面を目指して歩く道。しばらく行くと町の表情は変化し、古くから漁業で栄えてきたことを感じさせる雰囲気に。

7月中旬初めての敦賀いくつもの漁船が係留される漁港
漁港の予感に誘われ海沿いへと出てみれば、そこにはいくつもの漁船が係留される岸壁と立派な水産卸売市場が。この日は海の日でお休みのようでしたが、いつもは8時から競りが行われ見学もできるそう。

7月中旬初めての敦賀222年前に建てられ現存する日本海側最古の石灯籠である洲崎の高燈籠
漁港のすぐ脇には、凛と立つ立派な灯籠。ホテルの装飾かなと思いきや、日本海側で現存する最古の石灯籠なのだそう。222年前に建てられて以来、この洲崎の高燈籠は敦賀の湊の変遷を見守ってきたことでしょう。

7月中旬初めての敦賀国の登録有形文化財旧大和田銀行本店社屋
魚料理のお店が並ぶ町並みをさらに東へと進んでゆくと、漁港らしい雰囲気は薄れ重厚な建物が。明治34年に建てられたという、旧大和田銀行本店社屋。現在は氣比神宮の例大祭で運行される山車を展示する施設の別館として使われています。

7月中旬初めての敦賀敦賀市立博物館に利用されている国の登録有形文化財旧大和田銀行本店本館
その背後にも、ちらちらと見えているこれまた気になる建物。ぐるりと回りこんでみれば、町家の並ぶ通りに面して聳える重厚感ある3階建て。ビルディングと呼ぶに相応しいこの建物は、昭和2年に旧大和田銀行本店本館として建てられたものだそう。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀倉庫の国の登録有形文化財の鉄筋コンクリート造の倉庫と戦後築の土蔵風倉庫
現在は敦賀市立博物館として使用されているビルを背にし海へと歩いてゆくと、今度は貿易港としての歴史を滲ませる古き良き倉庫群が。

表情の違う建物で構成される旧敦賀倉庫。手前に並ぶ土蔵風の木造建築は、戦後の物資不足の時代に材料を集めて建てられたものだそう。それに対し、奥の鉄筋コンクリート造の倉庫はそれより古い昭和8年築。どちらも今なお現役で、倉庫として働き続けています。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅舎を再現した敦賀鉄道資料館
国の登録有形文化財に指定されている、旧大和田銀行本店の2つの建物と旧敦賀倉庫のコンクリート倉庫。この周辺が古くから敦賀港の中心であったことを今へと伝える建物を辿ってゆくと、今度は洋館風のかわいい駅舎が。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅舎敦賀鉄道資料館に展示された往時の敦賀港の様子を伝えるジオラマ
この敦賀鉄道資料館は、かつてこの近くに存在していた旧敦賀港駅舎を再現したもの。館内には港や北陸本線に関する展示がされており、古くから交通の要衝として栄えた敦賀の歴史に触れることができます。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅舎敦賀鉄道資料館に展示されたタブレット閉塞器
明治15年の開業後127年に渡り列車が運行され、2019年に正式に廃線となった敦賀港線。かつて新橋からこの地まで欧亜国際連絡列車が運行され、ヨーロッパへの玄関口として重要な役割を担ったそう。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅舎敦賀鉄道資料館に展示されたEF81形電気機関車トワイライトエクスプレス色の模型
ここ敦賀は、日本海側として初めて鉄道が通った街。それ以降も日本で初めての60Hzによる交流電化の実用化や、関西から東北、北海道へと続く日本海縦貫線を走る花形列車たちと、海路だけでなく鉄道にとっても重要な舞台に。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅舎敦賀鉄道資料館に展示された国鉄型489系白山色スーパー雷鳥
そして迎えた2024年、今春ついに北陸新幹線は敦賀の地へ。

小学生のとき、特別急行白山号に一目惚れ。あまりにも優美な編成に掲げられていた金沢という行先に、自分ではどうしても越えることのできない距離感を覚えたことが懐かしい。

その後大人になり、ハタチ祝いのひとり旅。関東と北陸の距離をぐっと縮めてくれたほくほく線のはくたかに乗り継ぎ、さらに金沢で加越に乗り換えやっと辿り着いた加賀温泉。

子供のころはきらめき、かがやき、白山に憧れ。ほくほく線が開通してからは、在来線日本最速のはくたかで。そんな鉄路で向かうには遥かなる地であった北陸、それが福井の敦賀まで一本で行ける日が来るとは。この懐かしくも今見ると斬新な塗装に、そんな温かい記憶たちが走馬灯のように甦る。

7月中旬初めての敦賀旧敦賀港駅跡地
かつては幾多もの貨物列車が発着し、欧亜国際連絡列車まで運転されていた敦賀港駅。今は貨物線も廃線となり、駅跡はコンテナをトラックへと積み替える集積地に。

7月中旬初めての敦賀港を眺める金ケ崎緑地ボードデッキ
新橋から列車に揺られ敦賀まで、ここから船でロシアに渡りシベリア鉄道で欧州へ。今では考えられない行程だが、往時はそれが最短ルートだった。一体どれほどの人々が、ここからヨーロッパへと旅立ちそして日本へとやって来たのだろう。

7月中旬初めての敦賀120年近く前に建てられた敦賀赤レンガ倉庫
横浜や神戸、函館とはまた違った趣の漂う敦賀の港。日本海側の入江の街に今なお遺る国際港の情緒をたどり、続いて旧敦賀港駅の近くに位置する赤レンガ倉庫へ。

7月中旬初めての敦賀赤レンガ倉庫にうっすらと残る紐育スタンダード石油會社の文字
この倉庫は、明治38年にニューヨークの会社が石油倉庫として建てたもの。建物の上部には、今も「紐育スタンダード石油會社」の文字がうっすらと見て取れます。それにしても、ニューヨークの漢字表記は初めて知った。

7月中旬初めての敦賀赤レンガ倉庫横に展示保存された国鉄型キハ283019
倉庫の反対側には、国鉄型のキハ28が。この3019番は、敦賀を発着する小浜線で急行わかさとしても活躍したこの街ゆかりの車両だそう。

7月中旬初めての敦賀氣比神宮の重厚な鳥居
近代から現代へと続く敦賀港の歴史に触れ、そろそろ駅方面を目指し歩いてゆくことに。その道中、もちろん寄らなければならない場所が。北陸道総鎮守、越前国一之宮の氣比神宮。境内の入口には、厳島神社や春日神社とともに日本三大木造鳥居に数えられるという大鳥居が。

7月中旬初めての敦賀北陸道総鎮守越前国一之宮氣比神宮にお参りを
戦火を免れ、建立から380年近く時を刻み続ける荘厳な鳥居。そこから境内へと足を踏み入れれば、市街地の真っ只中、交通量の多い交差点のすぐそばに位置していることが信じられないような凛とした空気感。

創建から、少なくとも1,300年以上は経つという氣比神宮。こうしてようやく敦賀の地を訪れることのできたお礼を伝え、再訪のご縁のあるよう願いを伝えます。

おいしいおそばや白砂青松の松原、近現代を支える重要な港の歴史に、この地を護る鎮守の神様。早朝にらいらっくで上陸して4時間、たっぷりと味わった初めての敦賀。期待以上の魅力に出逢い、今度はじっくり来ようと再訪を誓うのでした。

あの航跡に逢いたくて~海路を紡いで越前へ~
7月中旬新日本海フェリーらいらっく秋田沖で姉妹船ゆうかりと再会し再びそれぞれの行き先を目指す航海へ
2024.7 茨城/北海道/福井
旅行記へ
1日目(東京⇒大洗⇒商船三井さんふらわあ)
●2日目(商船三井さんふらわあ⇒苫小牧⇒新日本海フェリー)
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●3日目(新日本海フェリー)
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●4日目(新日本海フェリー⇒敦賀⇒福井⇒東尋坊⇒芦原温泉)
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●5日目(芦原温泉⇒丸岡⇒永平寺⇒福井⇒東京)
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