永平寺に宿る凛とした空気に圧倒され、その余韻を胸に灯しつつそろそろ福井駅まで戻ることに。『京福バス』の特急永平寺ライナーに乗車します。
永平寺からあっという間の30分、福井駅に到着。ちなみにこの路線も、「永平寺・丸岡城・東尋坊2日フリーきっぷ」で乗車可能。昨日から、このきっぷには本当にお世話になりました。
東口から西口側へと抜け、昨日ヨーロッパ軒の帰りにちらりと見かけた福井城址へ。本丸跡には県庁や警察が建っていますが、幅の広いお堀や重厚な石垣がその歴史を今へと伝えています。
お堀沿いを進んでゆくと、屋根のかけられた珍しい構造の橋が。この御廊下橋は、福井藩主が登城する際の専用の橋。明治時代まで遺っていたものが、平成になり復元されました。
御廊下橋を渡り、本丸の西側の護りである山里口御門へ。この門の瓦も、丸岡城と同じく福井名産の笏谷石。壁にも石が張られ、石材の風合いが独特なうつくしさを醸しています。
門をくぐってゆくと、敵の侵入を阻む桝形が。体感的にこれまで訪れたお城の門よりもかなり狭く、護りの堅さが感じられるよう。
門の中は展示室となっており、福井城やこの門の復元について解説されています。復元されてから6年。木材はまだ新しさを感じさせますが、この先長い時を経て渋い色味に染まってゆくことでしょう。
山里口御門を抜け本丸に入ると、すぐのところにさらに積まれた石垣が。
石段を登ってゆくと、より一層緻密に積まれた端整な表情をした石垣。ここがかつての天守台だったそう。
ここには四重五階を誇る白亜の天守が建てられていましたが、350年ほど前の大火で焼失しその後再建されることはなかったそう。
その隣には、波打つ形で遺された石垣が。この控天守台は、昭和23年の福井地震で崩壊しこの姿となりました。
控天守台の脇には、福井城築城以前からあったという井戸が。水がよく湧き出る井戸は福の井と呼ばれ、それがこの地の名の由来となったそう。
本丸で福井発祥の地に触れ、お城の北側へ。博物館の脇を歩いてゆくと、用水路に沿って整備された水辺が。ここはかつて福井城の外堀があった場所。
その一画には、かつてこの地にあったとされる舎人門が。それに合わせ、石垣や土居も往時の姿へと復元されています。
かつてのお堀端の情緒に触れつつ歩き、『養浩館庭園』へ。ここはかつての福井藩主、越前松平家の別邸だった場所。
一歩足を踏み入れれば、ここが福井の市街地であることを忘れさせる静けさ。江戸時代から守られ続けた庭園は、深い緑に覆われています。
豊かな木々の間を進むと、ふっと視界が開け現れる大きな池。御屋敷や木々を静かに映す、鏡のように穏やかな水面が印象的。
うつくしい池の周りをぐるりと巡る、林泉回遊式の養浩館庭園。進むごとにその表情はがらりと変わり、歩いていてとても心地いい。
緑豊かな庭園に風情を添える、数寄屋造りの大きな御屋敷。元の建物は空襲で焼失してしまいましたが、残された資料をもとに30年ほど前に復元されました。
屋敷の背後には、さらさらと流れる小川。その涼やかな情景に、梅雨末期の蒸し暑さなど忘れてしまいそう。
小川の流れゆく先に広がる、うつくしい州浜。縁側へと続く飛び石には領地であった越前各地の銘石が用いられ、灰色の洲浜に彩りを与えています。
水辺の情緒をより味わうべく、御屋敷の中へ。ふんだんに使われた木材が、日本家屋の良さというものを教えてくれる。
木の風合いがうつくしい廊下を進んでゆくと、突き当りには御湯殿が。総檜造りの空間は、まさに贅沢そのもの。庭園を愛で、ここで汗を流し。藩政を執り行うお殿様の、しばしの休息が目に浮かぶよう。
続いて、反対側に連なる座敷へ。畳に正座し、視座を落として眺める庭園。障子の合間に広がる、時が止まったかのような静の世界。そこを吹き抜ける穏やかな風に、いつしか心は鎮まってゆく。
限りなく水際に建てられた御屋敷は、その高さも往時のままにこだわり復元されたそう。こうして静かに座っていると、池との一体感や浮遊感といった不思議な感覚が。
一間ごとに趣向が凝らされ、それぞれ異なる庭園美を味わえる座敷。時間が許すなら、ずっとここに座っていたい。庭園は、歩くだけでなく静かに愛でるもの。そんな時間的余裕が、ある意味現代の暮らしにおいて一番贅沢なのかもしれない。
外から眺めれば庭園に表情を与え、中へと入れば豊かな情景を切り取って見せてくれる。華美とは異なる、侘びや寂びに隠された贅。日本らしい美意識が、この庭園には込められています。
福井城址から庭園へ、のんびり歩いた福井の街。この国には、まだまだ知らぬ、そして訪れるべき場所がたくさんある。初めての福井に触れ、旅することの悦びを改めて噛みしめるのでした。
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