暗い寝台で、ふと目が覚める。いま何時なのか、自分がどこにいるのかもわからない。あまりの揺れのなさに一瞬そう寝ぼけつつもフェリーにいることを思い出し、トイレにでも行くかと一旦起きることに。

うわぁ、こりゃ大変だ。ついでに現在地をとモニターを見てみれば、小豆島を過ぎ淡路島はもう目の前。急いで甲板へと出てみれば、夜明けの曇天にひっそりと横たわる巨大な島影。霞のなかに家や漁船の灯りが揺れる幻想的な光景に、思わずはっと息を呑む。

いつまでもこの情景に浸っていたいが、そうも言っていられない。思った以上に目的地へと近づいていたことに驚きつつ、寝床から朝食を携えプロムナードへ。
大分のトキハ本店で見つけた、幻の赤しそ寿司。いまは佐伯市となった米水津村は宮野浦の郷土料理である丸寿司を、食べやすい形にアレンジしたものだそう。
もともとあじ寿司が好きで、さらに赤しそで巻いたご飯も好き。そりゃ買わないわけにはいかんだろうと、今日の朝食のために即断即決で購入。期待に胸を膨らませ、大口開けてかぶりつきます。
甘めに酢〆された小鯵が抱くのは、これまた甘めの酢飯。ほどよく脂がのっており、噛めばじゅんわり広がるあじの旨さ。それを赤しその酸味や華やかな香りがきゅっと引き締め、これはまたいい選択をしたもんだと昨日の自分をほめてあげたい。

もともと大好きな駅弁の鯵の押し寿司ですが、慣れ親しんだ関東とはまた方向性の異なる甘めで穏やかなおいしさ。また新たな食との出逢いを噛みしめていると、淡路島はより近さを感じさせるまでに。

この旅最後となる九州の味に満たされ、あさげも飲み干し朝ごはん終了。もう一度デッキの通路へと出てみれば、明石海峡大橋がもうあんな近くに見えている。淡路島一周を終え、岩屋港目指して一生懸命漕いだあの16年前の記憶が鮮明によみがえる。

あまりにも懐かしい記憶に胸を焦がしつつ、今度は左舷へ。朝日に照らされ薄い黄金に染まる雲、黒々と横たわる六甲山の麓に広がる神戸の街並み。この旅のメインともいえる船旅。その終焉の予感漂う情景に、胸がぎゅっと押しつぶされそうになる。

あぁ、もうあと少しか。切ない。愉しい時間だったからこそ、心の奥底から切なさが溢れてくる。そんな未練を断ち切り、すっかり居心地のよくなってしまった寝床に断腸の想いで別れを告げます。

荷物を整理したり身支度を整えたりと下船の準備をしていたら、もう神戸の街までこの距離感。愉しい時間といものは、本当に儚く過ぎゆくもの。残されたわずかな非日常を、この眼でしかと見届けよう。

別府湾からひと晩かけいくつもの灘を越えてきたさんふらわあぱーるも、最後の海となる大阪湾の真っただ中を航行中。沿岸にいくつもの港を擁する大阪湾、それぞれの行き先を目指す船舶の密度にも驚かされる。

はじめての光景に右へ左へと視線を遊ばせていると、ある一点だけが朝日に照らされ金色に。幾重にも重なる雲間からは少しばかりの青空も顔を覗かせ、この船旅のフィナーレを共に歓んでくれているかのよう。

本当に、豊かな航海だった。その名残をひとりじんわり噛みしめていると、轟音とともに頭上をかすめてゆく旅客機。神戸空港から飛び立ち、どこかを目指してゆくのだろう。みんなの旅立ちと、僕の旅のひとつの終わり。それぞれの旅情の交錯する瞬間に、思わず熱いものがこみあげる。

速力を落とし、ゆっくりと進むさんふらわあぱーる。この旅の発端は、西へと向かう未知なる航路への衝動だった。横須賀から門司へ、そして大分から神戸へ。太平洋から豊後水道、瀬戸内海と紡いできた遥かなる航海も、もうまもなく終わりを迎える。

感傷にどっぷりと浸りつつ去りゆく航跡を見つめていると、船は北に向け大きく針路を変更。船ならではのゆったりとした遠心力に身をゆだねつつ、大阪や和歌山を目指す船たちに別れを告げます。

右舷からは、くっきりとシルエットとして浮かび上がる大阪の街が。あの観覧車が海遊館だとすれば、その奥の頭を雲に隠しているのがきっとあべのハルカス。そうだとすれば、その横に見えているのが万博会場の大屋根リングか。

最後に大阪を訪れたのは11年前、神戸に至っては16年ぶりと京阪神地区はすっかりご無沙汰。見える景色とわずかに知っているランドマークとの照合に勤しんでいると、船の正面にはもうこの距離にまで六甲山が迫っている。

大分からひと晩かけて海を駆けてきた、さんふらわあぱーる。神戸港へと無事入港し、巨大なファンネルからはほっと安堵の息をつくかのような弱い煙が。

僕にとっては大洗苫小牧航路でなじみのあるさんふらわあも、ここ瀬戸内海が発祥であり本流ともいえる場所。船会社の変遷はありつつも、半世紀以上もの長きにわたり連綿と受け継がれる太陽マーク。そんな伝統に裏付けされた海路を今回辿ってみて、ここがフェリー銀座である理由を垣間見た。

くどいようだが、何度も言おう。本当に、驚くほど微塵も揺れない。僕自身がもともとのりものに弱くないというのもあるのだろうが、これまでのフェリー旅とは一線を画す静けさだった。そんな海況だからこそ、多くの人々に抵抗なく利用され続けているのだろう。

また新たに知った船旅の表情に思いを巡らせていると、続々と船尾に姿をあらわす甲板員。ドラムの試操作にロープの準備と、着岸に向け忙しさを増す作業。その様子を眺めていると、ついに六甲アイランドフェリーターミナルが。

あぁ、本当に終わってしまうんだな。充実した善き時間を過ごしたからこそ襲い来る、避けることのできないやりきれなさ。それすら込みで、夜行、そして船旅の魅力だと僕は思う。今回も、本当に最高の船旅だった。そんな万感の思いを胸に抱く僕を乗せた船は、音もなく神戸六甲港に無事接岸。

ついに終わりを迎えたか。門司に着いたときには、この航海が待っているからと思うことができた。でもそれを遂げてしまったいま、次の船旅がいつになるのかはわからない。
本当に強欲な奴だと、自分でも呆れてしまう。だがその欲求があるからこそ、こうしてあらたな旅へと導いてくれる。航海への想いがたまらず溢れたとき、きっとまた海原があらたな旅路を示してくれることだろう。
船に乗りたい。その思いつきからはじまった、今回の旅。これから旅の第三幕が開くというのに、どうしても船との別れの切なさが勝ってしまう。でもそれでいい。いや、それがいい。次なる旅への原動力となるべきこの感傷と感動を確かに刻み、穏やかなる船旅の終わりを噛みしめるのでした。



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