住箱で迎える雨の朝。それにしても、ひと晩中強い雨と風だった。今日は熱海を歩く予定。この先止んでくれればいいのだが。そんな淡い願いを抱きつつ、部屋に備え付けの傘をさして朝風呂へと向かいます。
湯上りの汗を引かせたところで、そのままレストランへ。席に着くと、昨日とは打って変わって和の朝食。卓上で炊きたての土鍋ご飯をよそい、わさび漬けやねぎとろをおかずにはふはふいただきます。
ちょっとずつのおいしいおかずでご飯を味わっていると、焼きたての目玉焼きとサラダ、赤だしが。この目玉焼きがとても香ばしく、シンプルながら贅沢なおいしさは鉄板焼きだからこそ。なんで写真、撮らなかったんだろう。
初めてのグランピングが、この宿でよかった。2泊3日を過ごし、すっかり好きになってしまった、外で過ごす時間。ハンモックに揺られ、揺れる火を眺めて酒を傾け。そして何より、住箱の居心地が本当に良かった。小さな土地にトレーラーハウス、なんて暮らし方の選択肢もあるんだな。
愛着の湧いてしまった住箱に名残惜しくも別れを告げ、帰りも宿の送迎車で熱海駅へ。チェックアウト後の人々で賑わうアーケードを、海を目指して歩きます。
心配していた雨もすっかり上がり、気兼ねなく熱海さんぽへと繰り出します。熱海は坂の街、車道に交差する細い階段がたくさん。こんな街の裏手の表情を見られるのも、歩き旅ならではの楽しみ方。
海辺へと出れば、ヤシの木並ぶサンビーチ。熱海城や昭和レトロを感じさせるニューアカオも見え、王道の熱海感に溢れる光景。
それにしても、よくこんな斜面に街を造ったものだ。そう思わせる、海へと直接落ち込む山にビルが建ち並ぶ光景。以前は廃墟も目立っていましたが、いまはすっかり新しい建物に生まれ変わっています。
青い海とはいかなかったけれど、天気が回復してくれて本当によかった。波に揺れるヨットに海辺のリゾートを感じつつ、そのままマリーナ沿いを進んでゆくことに。
ここで海に別れを告げ、山手へと方向転換。国道沿いには、昭和のまま時が止まったかのような渋い一画が。社員旅行全盛期、このあたりも夜な夜な酔いどれおじさんで賑わっていたことだろう。
すぐ近くには、往来の激しい国道に沿って残る渋い建物。角丸に装飾が施された建物は、そのサインがかつての床屋跡であることを物語る。その奥には、ムーラン座と看板の掲げられた妖しい建物。
僕にとっては記憶の中にある懐かしさを感じる昭和の空気感に触れ、たどり着いた『起雲閣』。ここは別荘として建てられ、その後旅館として使われていたそう。古き良き建物が見学できるようなので、立ち寄ってみることに。
受付で入館料を支払い、いざ中へ。まず通されるのは、大正8年に建てられたという和館。鮮やかな群青壁は、ここを旅館として営業していた三代目の持ち主が石川出身であったことから塗られたものだそう。
もともとは、静養のために別荘として建てられた和館。広々ととられた窓から眺める、庭園を染める新緑がうつくしい。
麒麟と名付けられた1階の座敷と同様、2階にも大鳳の名をもつ広い和室が。旅館として営業していた時代、いったい一泊いくらしたのだろうか。それ以前に、一般庶民の僕は泊まれなかっただろうな。
2階からは、緑豊かな庭園を一望のもとに。古い時代の硝子越しに見る揺らぎある情景は、現代の技術では再現できぬ貴重なもの。
三人の主の手により、様々な年代に増築されていった起雲閣。現在は、庭園を囲むようにぐるりと建物が並んでいます。
起雲閣の発祥ともいえる和館から、渡り廊下を通り洋館玉姫へ。そこでまず出迎えるのは、見事な空間美を誇るサンルーム。
見上げれば、弱い陽射しを透かすガラスの天井。いたるところに繊細な装飾が施され、晴天だったらその輝きはさらにすごいことになるのだろう。
まばゆい天井に目が行きがちですが、足元を見れば見事なタイル張り。その色味の組み合わせの妙に、どことなくエキゾチックな香りを感じます。
サンルームに隣接するのは、重厚感溢れる洋間。暖炉やシャンデリアといった洋を感じさせる造りですが、見上げれば日本の伝統様式である折り上げ格天井が。
玉姫に隣接する玉溪。このふたつの洋館は、二代目の主であり東武鉄道創業者である根津嘉一郎氏によって昭和7年に建てられたものだそう。暖炉の上の仏像の装飾など、洋の東西が折衷された独特の世界観に彩られています。
この旅館にゆかりのある作家に関する展示が行われている増築棟を通り、続いて昭和4年に建てられた洋館金剛へ。石造りの重厚感溢れる暖炉、その上を飾る木にはめ込まれた螺鈿細工がうつくしい。
この建物は、かつては独立した棟だったそう。落ち着いた洋間の隣にはサンルームが設けられ、建築当初は明るい空間であったことが想像されます。
金剛の隣には、同時期に建てられたというローマ風浴室が。平成の改築の際に現代の部材に変えられましたが、繊細なステンドグラスなどに往時の面影を残しているそう。
再び平成に入り建てられた棟を通り、離れの和館孔雀へ。庭園に突き出るようにして建っているため、窓の外には木々の緑が溢れんばかり。
麒麟や大鳳のある母屋と同時期に建てられたというこの建物。こちらの壁も三代目の主により、金沢の伝統色である弁柄色に塗り替えられています。
緋色と建具の木の色味が、落ち着きのある重厚感を演出する和室。もともとは母屋の隣にあったものが、2度の曳家を経ていまの場所に落ち着いたそう。濃い緑に囲まれ、ここだけひっそりとした雰囲気に包まれています。
豊かな表情に彩られる建物の見学を終え、続いて庭園へと出てみることに。ちょうどこの時季、若い緑の合間に咲くさつきがきれい。
緩やかな勾配に設けられた、緑豊かな池泉回遊式庭園。見事な枝ぶりの庭木や艶やかに咲くつつじもさることながら、その一番の背景となるのは趣深い建築美。
市街地に位置するとは思えぬ、静けさ漂う庭園。歩むごとに表情を変えるそれぞれの建物のうつくしさを愛で、ぐるりひと回り。大型観光ホテルのイメージが先行しがちな熱海に、こんなところが残されていたとは。
かつて、熱海の三大別荘のひとつとして数えられたという起雲閣。主の変遷と年代の変化により姿を変えてきた複雑な建築美に触れ、またひとつ新たな熱海に出逢うでした。
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