険しいへんろ道に触れ、八十八カ所の想像を絶する行程に思いを馳せる。自分の思うそのいつかは、来るのか来ないのかはわからない。でもひとつだけ言えること、それは健脚を保たなければいけないということ。やっぱり、休みの日はなるべく歩こう。そう思いを新たに、竹林寺前バス停から『MY遊バス』に乗車します。
バスに揺られること20分、北はりまや橋バス停に到着。すぐ近くの帯屋町商店街を道なりに歩き、半日ぶりにひろめ市場へ。今回お邪魔するのは、そのお隣に位置する『土佐黒潮ひろば』。昨晩帰りに立ち寄り、気になっていたお店でお昼をとることに。
メニューの写真を確認し、お、これなら色々食べられそうだと土佐御膳を食券機で購入。渡されたブザーが鳴りお膳を受け取りに行くと、思わず目を疑うこの光景。だって鰹のたたき、見本の倍以上の厚さがあるんだもん。
想像以上のボリュームに食べきれるかと心配しつつ、まずはやっぱり鰹のたたきから。スライスにんにくを乗せ、塩をちょんと付けぱくり。
一切れの半分を口に入れましたが、それでも口中が鰹に満たされる感覚が。噛めばもっちもっちと弾力があり、赤身の旨味はあるのに臭みがない。本当に、高知の鰹には驚いてしまう。これだけ分厚いと、東京なら絶対臭いと思うもん。
続いては、定番のぽん酢で。うん、やっぱり旨い。でも鰹の力がありすぎて、ぽん酢が負けてる気がする。さらにしょう油で食べてみると、これまた違った味わいに。もうこりゃ魚というより、肉だな。いや、肉の味ではないんだけれど、この食べごたえや満足感は普通の魚では決して味わえない。
旨味の詰まった分厚い鰹をわっしわっし喰い、白ご飯へ。そんな幸せな往復を少しばかり愉しみ、ハランボの塩焼きを。うぉぉ~、これだけでご飯を丼でいけてしまう。
ハランボとは、鰹のハラスのことだそう。塩焼きにされたハランボはほどよく脂が落ち、濃厚な旨味の塊に。もっと脂っぽいのかと思っていましたが、これは上品な旨さ。それもきっと、鰹の鮮度が良いからなのでしょう。
さらに嬉しいのが、うつぼの唐揚げ。かっりかりの衣の中には、上品な滋味を宿す白身と弾力ある皮。昨日食べたたたきとはまったく異なる表情に、さらにうつぼに魅かれてしまう。
おいしいよぉ、お腹いっぱいだよぉ。そのせめぎあいの中で、何とか無事完食。このお店はセルフサービスで、ご飯もおかわり自由。こりゃおかわりしてやるぞ!と意気込んでいましたが、まさかのたたきのボリュームに敢え無く完敗。
嬉しい誤算というのは、きっとこのようなことを言うのだろう。高知の鰹は厚切りが魅力とは聞いていましたが、まさにそれを実体験しお腹もこころも大満足。苦しいお腹を抱えつつ、いよいよこの旅最後の目的地へと向かいます。
その目的地というのが、現存十二天守のひとつである高知城。さらにここは、本丸の建物が完全に残る日本で唯一のお城だそう。220年以上もの時を重ねてきた追手門の迫力に、弥が上にも期待は高まるばかり。
ここ高知城は、標高45mの大高坂山という山の上に築かれた平山城だそう。昨夜お堀の外から眺めたときには分かりませんでしたが、天守の足元には幾重にも折り重なるようにして積まれた石垣が。
柔らかい色味をした秋の空に、雄々しく聳える石垣。その姿は荒々しくもあり、それでいて優美さもあり。黒々とした力強さと曲線美に、早くもこころが掴まれる。
幾重にも積まれた高い石垣の上、人々を見下ろすかのように建つ天守。その威容は迫力を超えて威圧のようなものさえ感じさせ、白亜の姿に射竦められてしまいそう。
両側に迫るように聳える石垣に、挟まれるようにして建つ詰門。この門は藩政時代には橋廊下と呼ばれ、1階は籠城時に備えた塩の倉庫、2階は渡り廊下や家老の詰所として使われていたそう。日本で唯一現存する、とても珍しい様式の遺構。
白漆喰と石垣の対比、その凛とした表情に緑を添える松。ある意味日本という概念のひとつを具現化したような、気高さというものを感じさせるうつくしさ。
満腹を抱えながら幾重にも積まれた石垣へと挑み、ついに本丸の隣に位置する二ノ丸へ。こちらへ向いている破風が、先ほどの詰門の2階部分。こうして見ると、この門がここと本丸の渡り廊下であることがよく分かります。
いざ、本丸へ。と思ったのですが、どうしても目を奪われるうつくしい山並み。本丸を支える重厚な石垣、それに沿うように連なる白い塀。それらを見守るように連なる山影は、古の時代からそう変わらぬことだろう。
かつては訪問者を監視する家老が詰めていたという橋廊下を抜けると、目の前に現れる天守と本丸御殿。築後270年以上を経てもなお、藩政時代の記憶を今へと伝えます。
こうして天守と本丸御殿が揃って残るのは、日本全国でもここ高知城だけだそう。台風や地震といった災害、そして戦火を免れ往時の貴重な姿を遺す御殿。納戸蔵には、かつて存在した建物に使われていた欄間が飾られています。
さらには、往時の様子を偲ばせる古い駕籠が。こうして実際に見てみると、その狭さはかなりのもの。現代よりも小柄だったとはいえ、これに入り往来したとはさぞ窮屈だったことだろう。
納戸蔵を後にし、御殿の南側に位置する三ノ間へ。そこで思わず、息を呑む。土佐の荒波を表現したとされる、うちわけ波の欄間。現代にも通づる豊かな美意識に、これが江戸時代に造られたものだということに驚かされる。
高知城主は二ノ丸に住み、この本丸は来客との正式な対面所として造られたものだそう。南に開けた縁側から望む、高知の街。藩政時代は、一体どんな来客がどんなことを想いこの光景を眺めていたのだろう。
築後270年以上を経過したとは思えぬほど、現役さながらの姿を保つ本丸御殿。脳を駆けめぐる、ある種の既視感にも似た親しみ。僕が好む木造旅館と共通する木の温もりに、この時代にはすでに日本家屋というものは完成されていたのだろうと思えてしまう。
随所に繊細な美意識が込められつつ、質実剛健な佇まいの本丸御殿。お殿様の座る最も位の高い上段ノ間も、うつくしい装飾が散りばめらつつ落ち着いた表情を魅せています。
藩政時代の面影宿す本丸御殿から、その隣に建つ天守へ。高知城の天守は天守台をもたないため、御殿の奥からそのまま通路で繋がっているという不思議な造り。
ですが一歩足を踏み入れれば、先ほどまでとは用途を異にすることが直感的に分かる造り。室内に装飾はまったくなく、ここが戦時において重要な役割を担うことを感じさせます。
天守内部の無骨さを噛みしめつつ上階へ。先ほど連子窓の隙間から鬼瓦を間近に望めたと思ったら、今度は青銅製の鯱とご対面。どちらも表情がつぶさにわかるほどの距離感に、思わず興奮してしまう。
現存天守らしい急な階段を登り、いよいよ最上階へ。ここから東西南北、四方ぐるりと高知の街や山並みを一望のもとに。
この高知城天守には外に出られる廻縁がめぐらされており、そこには擬宝珠の付いた高欄が設けられています。現存天守で廻縁があるのは犬山城とここだけ、さらに擬宝珠高欄が廻らされているのは高知城だけなのだそう。
ありとあらゆる日本唯一が詰まった高知城。その貴重かつ豊かな個性に圧倒されつつ、眺望を愉しめる廻縁へ。東側には、高知駅やはりまや橋交差点といった高知の中心街が。
視座を若干南寄りへと移せば、先ほどまでいた五台山が。海抜の低い市街地に、ぽこんと盛り上がる姿が印象的。
幅の狭い廻縁での高度感に若干すーすーした感覚を味わいつつ西側へ。淡い青に染まる空の下、パステルに霞む高知の山並み。眼下には西多聞や廊下門といった建物群が並び、この本丸にいかに江戸の空気感が遺されているかが伝わるよう。
幾重にも折り重なるように組まれた石垣とともに、僕にとって印象的だったこの光景。見下ろせば天守や本丸御殿の屋根が複雑に入り組み、得も言われぬうつくしさを魅せている。
小山に緻密に造り上げられた城郭、そこから眺める高知の山々に街並み。変化に富んだ眺望はとても豊かで、なんだか自分がジオラマの中に取り込まれているような感覚さえ湧いてくる。
もうここまで圧倒されてしまうと、語彙というものは消え失せる。思っていた以上に詰まっていた高知城の濃度に気圧され、もう感想はかっこいいのただひと言。
あまりの凄さに感動しつつ、黒鉄門を出て石垣を下ります。先ほどとはまた違った角度から見上げる、白亜の要塞。入り組んだ複雑な形状をした城郭は、歩くごとにその表情を変えてゆく。
優美さの中に攻撃的な顔を覗かせる高知城。狭間や石落としとともに目を引く、鉄製の忍返し。藩政当時から現存するもので、これも日本でここだけなのだそう。
ぐるりと一周し、様々な角度から無限の表情を浴びた高知城。ただただうつくしいだけではない、要塞としての機能を兼ね備える対比の妙。その両面性に、なぜかしらこころが動かされる。
最近は、敢えてあまり下調べせずに旅先へ。ここ高知城も、知っていることといえば現存十二天守のひとつであり、本丸御殿とともに残るのは日本でここだけ、といった予備知識だけ。
本当に、圧倒された。そして感動するほど、うつくしかった。もし高知を訪れなければ、このお城に出逢うことはできなかった。そう思うと、それがどれほどもったいことなのかとゾッとする。
だからやっぱり、旅することをやめられない。うつくしく聳える白亜の威容を眼にこころに灼きつけ、初めての街を知ることの悦びを改めて噛みしめるのでした。
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