浅草から1時間50分、下今市で普通列車に乗り換え東武日光駅に到着。アルペンの山小屋風の駅舎がザ・観光地!という雰囲気を匂わせ、昭和時代を知る僕にとってはある意味心地よい「らしさ」を感じます。
これから向かう東照宮までは距離にして約2㎞。バスも頻繁に運行されていますが、晴れ渡る青空に誘われ歩いてゆくことに。じわじわと続く緩い上り坂沿いにはお店が並び、古くからの参道としての歴史を感じさせます。
途中お漬物屋さんに美味しいお漬物入りのおにぎりをもらったり、地元のおばあちゃんにこれから東照宮?紅葉残ってるといいねぇ。なんて話しかけられたり。
同じ関東なのに、僕の住む場所とは全然違う。旅先ならではののんびりとした心地よさを感じつつ歩くと、国登録有形文化財、明治時代築の日光物産商会の立派な姿が見えてきます。
そのすぐ隣には、神仏の宿る日光への入口とされる神橋が。晴れ空の青と大谷川のたてる白波に、朱塗りの橋と名残の紅葉が一層そのコントラストを増すかのように輝きます。
石段の参道の入口には、艶やかに色づいた立派な紅葉が。もうすっかり散っているだろうと期待していなかった分、その色彩は一層鮮やかとなり網膜の奥まで沁み入るよう。
まぶしい午前の太陽に透かされ、レースのように煌めく紅葉。木の葉の紅と神橋の朱の競演は、秋という奇跡の季節を持つ日本という国ならではの艶やかな美しさ。
爽快な秋晴れの下まっすぐのびる東照宮の参道。脇には黒々とした杉がかなりの密度をもって聳え立ち、玉砂利の白さとともにここが特別な場所であることを教えてくれるよう。
自ずと背筋が伸びるような空気感を感じつつ歩みを進め、いよいよ東照宮の入口へ。ここへ来るのは9年ぶり。そうとは思えないほど鮮やかに残る記憶がよみがえり、これから再び目にするであろう色彩の洪水への期待を抑えることができません。
400年間神域を守り続ける石鳥居をくぐり、多彩な彫刻の施された五重塔へ。様々な動物や文様が散りばめられる朱塗りの塔と杉の緑との対比は、まさに目の覚めるような鮮やかさ。
早くも絢爛たる色彩に圧倒されつつ、表門へ。隆々とした仁王像もさることながら、牡丹や唐獅子、獏といった緻密な彫刻もまた見事。それぞれが各々の役目をもち、日光東照宮を守り続けています。
黒と朱、金の対比が美しい三神庫。黄金に輝く妻部には、想像で描かれたという象の見事な彫刻が。たくさんの動物や花に彩られる日光東照宮の建物たち。僕がここに魅かれるのは、江戸時代の人々のフィルターを通したエキゾチックへの想いを感じられるからかもしれない。
その向かいには、見ざる言わざる聞かざるの三猿で有名な神厩舎が。鮮やかな色彩が施される建物が多い東照宮の中で、素朴な木の風合いと彫刻との対比が印象的。
人の一生を猿の姿で表現したとされる、神厩舎の彫刻。左から順番に眺めると、確かにその通りだと深く納得。まずは産まれたて、あどけない表情でお母さんをのぞき込む子猿。お母さんは子供の輝かしい未来を願うように、先々を見渡しています。
続いては一番有名な三猿。これは、悪いものは見せず、言わせず、聞かせず。幼少期には良いものだけに触れされなさい、という教え。三つ子の魂百までの言葉の通り、物心つく頃の大切さを伝えています。
その後独り立ちし、志を抱きつつ挫折を乗り越えるという場面が繰り広げられる神厩舎の彫刻。建物の側面へと回ってみると、まだその続きがあることを恥ずかしながら今回初めて知りました。
そこには恋をし、夫婦となって荒波を乗り越え、そして親になるという人生の続きが。猿も人も、生き物全てがこうして命をつないでいく。3度目の訪問にして初めて目の当たりにした一連の意味に、9年前には味わうことのなかった感慨をしみじみと噛みしめます。
20代の僕が見た東照宮と、30代の僕が見る東照宮。同じものでも見え方が違うことに、少なからず自分が前に進んでいるということを実感できる幸せ。早くもこの地の持つ空気に呑みこまれ、きらびやかな世界へと足を踏み入れるのでした。
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