油伝味噌で田楽とビールに舌鼓を打ち、そろそろ駅方面を目指し引き返すことに。嘉右衛門町の終わりである大通り手前では、修復中なのでしょうか骨組みだけになった蔵の姿が。同じく蔵の街である喜多方でも目にした光景ですが、こうして古き良き建物が受け継がれてゆくのでしょう。
帰りは日光例幣使街道を離れ一本東側の通りへ。この道までが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているそうで、こちらにも歴史の滲む建物が点在しています。
先ほど通った街道筋が表の顔だとするならば、こちらは言わば普段着の顔。用水路を携えて進む小径では、人々の暮らしの息遣いがぐっと身近に感じられるよう。
古の空気感が凝縮された嘉右衛門町を離れ、かつての例幣使街道に沿って蔵の街大通りへ。いくつもの渋い建物が連なる櫻井肥料店には、荷物を運ぶトロッコの線路敷きが遺されているそう。
蔵の街大通り沿いにも、たくさんの歴史を感じさせる建物が。この重厚な雰囲気漂う建物は、昭和初期に足利銀行の栃木支店として建てられたもの。現在はダイニングとして現役で使われています。
こちらの古久磯提灯店見世蔵は、江戸時代に建てられたものだそう。漆黒の深みをまとう漆喰壁、鈍い輝きを放つ屋根瓦。その渋い佇まいからは、長年この街を見守ってきたという歴史が滲み出る。
通り沿いを彩る、年代も表情も異なる建物たち。江戸時代からの生き証人がいたかと思えば、街並みに合わせ蔵を模した木造の喫茶店も。とはいえ、この建物もかなり歴史を刻んでいそう。
この蔵の街大通りは、以前はアーケードや看板が連なる普通の商店街だったそう。それを修景事業により撤去し、隠されていた建物の顔を再び表舞台へと復活させました。
江戸、明治、大正、昭和。重厚な蔵とともに共存する建物は、それはもう表情豊か。歩くごとに新たな顔を魅せ、なかなか先へと進ませてくれない。
渋い佇まいの理容室と、これまた歴史を感じさせる建物に挟まれたお寺への参道。大通りもさることながら、そこからのびる路地もまた味わい深い。
ひときわ目を引く、大きな土蔵。屋根を共有しているため一見ひとつの蔵のように見えますが、ふたつの蔵が繋がっているのだそう。現在は栃木市出身の作家、山本有三の記念館として使われています。
モダンな佇まいが印象的な洋館は、大正時代に呉服店として建てられたもの。時代時代により移り変わる、建物に対する美意識。それらが溶け合い建ち並ぶ光景が、街並みの味というものを分厚くする。
そのすぐ隣には、明治時代に建てられた重厚感溢れる土蔵が。黒漆喰の深い色合いと大屋根が、見る者を圧倒する迫力を醸し出します。
脇の通りを覗くと、奥に赤い鳥居を発見。せっかくなので寄り道しお参りしてゆくことに。
栃木の総鎮守として600年以上もの歴史をもつという神明宮。木の風合いが経てきた時の長さを物語る拝殿で、この街を訪れることのできたお礼を伝えます。
再び蔵の街大通りへと戻り、駅を目指して南下します。時代を感じさせる大きな看板が目を引く木造建築、その奥にはこれまた歴史の滲む洋風建築。
こちらにも、趣を異にする建物が仲良く佇む姿が。荒物の並ぶ明治時代生まれの見世蔵、その隣には大正時代築という鉄筋コンクリート造の洋館。本当に、栃木の街は味わい深い。
木の渋い色味が歴史を感じさせる人形店と、奥に連なる土蔵群。幕末に4度の大火に襲われたという栃木、その教訓から広がった土蔵は市内に400棟ほども遺されているのだそう。
巴波川沿いから始まり、例幣使街道に沿ってぐるりひと回り。土蔵の点在するエリアを抜ければ、駅まであともう少し。今回は観光協会のマップに沿って歩きましたが、寄り道すればもっともっと豊かな表情に出逢えそう。
今回予定していた滞在時間は、2時間40分。これだけあれば十分だろうと思っていましたが、栃木の街は奥が深すぎた。今回はちょっと駆け足になってしまったな。見学できる蔵もいくつもあるため、これはまたたっぷり時間をとって来なければ、だな。
江戸から明治、大正、昭和まで。そのときそのときの美意識が宿る建物たちに彩られた、栃木の街。水運と街道の宿場として栄えた街の歴史に触れ、深い充実感に包まれるのでした。
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