初体験の旨さの冷たい肉そばに始まり、藩政時代から明治大正へと歴史の薫りを辿った山形。初めて訪れたその街は、想像以上に濃厚だった。まだ行けてない場所、食べられてないものがある。そんな次へと繋がる宿題を残し、そろそろこの地を後にすることに。
山形からは新幹線一本で帰京できるけれど、欲張りな僕がそう簡単に帰るはずがない。ここから奥羽本線の普通列車に乗車し、この旅最後の目的地である米沢を目指します。
平成初頭、国鉄民営化直後に誕生した719系。車内に滲むその頃の懐かしい空気感、車窓を染める晩秋の田園。あぁ、この旅ももうすぐ終わりか。流れゆく枯色に、そんなありがちな感傷を重ねてしまう。
雨に煙る晩秋。そんなある意味旅の最後に相応しい情景にこころを焦がすこと50分、列車は終点の米沢に到着。あぁ、懐かしい。ここに降り立つのは8年近くぶりのこと。雪と湯に戯れたあの冬旅の記憶が、つい昨日のことのように甦る。
高湯から小野川、そして白布へ。あの魅惑の湯たちを抱く吾妻連峰も、今日は分厚い雲の中。
かつて奥州三高湯として名を馳せた、福島の信夫高湯と米沢の白布高湯。そしてもうひとつは、今回訪れた蔵王温泉。現在は山の名を冠した温泉場やスキー場としてその名が知られていますが、昭和25年までは最上高湯と呼ばれていたそう。
高湯の名は福島の温泉地のものだと思っていた当時の僕。白布温泉のご主人にその話を聞き、三高湯を制覇したと浮足立ったことが懐かしい。そんな記憶を辿りつつ歩いてゆくと、見覚えのある寺町を染める見事な紅葉が。
前回訪れたのは、冬真っ只中だった。初めての米沢、その街を埋め尽くさんばかりに積もる雪の多さに仰天したものだ。足元にぱっくりと口を開ける用水路に、雪国で暮らしの大変さを感じたことが思い出される。
雪があるとないとでは、こうも景色が違うのか。8年前の記憶を手繰り寄せ、何とか紡いで目指す米沢城址。
覚えているような、初めてのような。そんな不思議な感覚に揺蕩いつつ歩いてゆくと、レトロな佇まいを魅せる建物が。米沢織の展示や販売が行われる米織会館は、大正11年に建てられたものだそう。往時の姿を残す部屋も見学できるそうなので、これはまた再訪せねばだな。
その並びには、これまた目を引く洋風建築が。昭和10年に建てられたという、九里学園高等学校の木造校舎。柔らかな色味の壁や柱と、重厚感ある瓦屋根の対比が印象的。
駅から寺町やレトロな建築の情緒に触れつつ歩くこと25分、米沢城址の入口に到着。雨上がり、街灯が存在感を増しつつある夕暮れ時。今日という日とともに色を失いゆく紅葉が、こころの深くへと沁みてゆく。
この季節、この天候、この時間。それらの織り成す侘びの漂う園路を進んでゆくと、燃えるような紅葉に護られ佇む銅像が。財政難により崩壊寸前だった米沢藩を立て直した、上杉鷹山公。17歳という若さで藩主となり、改革を断行したというのだから驚き。
二ノ丸に位置する松が岬公園を抜け、お堀を渡り旧米沢城の本丸へ。そこに架かるのは、明治19年に架けられた舞鶴橋。親柱に自然石を配した渋い石造りのアーチ橋は、国の登録有形文化財に指定されています。
重厚な石橋を渡り切ると、お堀端には有名な戦国武将である上杉謙信公の銅像が。敵に塩を送る。去年の冬、鉄路でなぞった塩の道の険しさが思い出される。
暮れゆく空に急かされつつ、本丸跡に鎮座する上杉神社へ。こちらには、米沢藩上杉家の家祖である上杉謙信公が祀られています。
8年ぶりに、こうして戻ってくることのできた米沢の街。前回は雪に包まれる白きうつくしさ、そして今回は雨に濡れる暮れ空の紅葉の艶やかさ。そしてまた違う季節に戻ってくることができるようにと、再訪の願いを託します。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」。35歳の時、この地で身につまされたこの言葉。
あれからもうすぐ8年。何かを成すために、何かを為せたのか。四十半ばの僕には、まだ分からない。でもひとつだけ言えること。それはその年に大きな変化があり、そして再びの変化を乗り越えてなお、こうして深く旅を味わえているということ。
旅の最後に思いを馳せる、8年という歳月。色づいていた紅葉も色彩を失い、まもなく街を呑みこむ夜の闇。そんな晩秋旅を〆るべく、この旅最後の味覚を愉しむことに。宴の舞台として選んだのは、駅からもほど近い『串焼き成ル』。米沢名物のお肉を味わえるお店です。
今日一日よく歩いた体を黒ラベルで癒していると、センマイ刺しが運ばれてきます。白い色をしたセンマイは、その見た目どおりクセや臭みは全くなし。ごま油と塩でシンプルに、そして甘辛の味噌で味わう滋味深さと食感が堪らない。
さっそく山形の地酒に切り替えちびりとやっていると、続いて米沢牛モツ煮込みが。まずはおつゆをひと口。するりと口に含んだ瞬間、じゅんわりと広がる優しい旨味。柔らかい味噌のコク、そこにふんだんに溶け込む牛の良さ。全体的に丸みを帯びた深い味わいに、自ずと溜息を漏らしてしまう。
よく煮込まれたモツはふるふると柔らかく、それでいて旨味が抜けておらず噛めば広がる牛の甘味。石垣でも感じたことですが、肉が旨い牛は内臓も旨い。精魂込めて肥育しているから当然といえば当然なのでしょうが、これは現地を旅したからこそ体感できる悦ばしい実感。
そしてやっぱり食べたい、米沢牛串。絶妙な塩梅で焼かれたお肉をさっくり噛めば、口中に広がる溢れんばかりの肉汁。ただ脂が甘いのではなく、しっかりと感じる牛の赤さのもつ濃い旨味。何度味わっても、米沢牛の旨さには言葉を失くす。
米沢牛とともに、山形で忘れていけないのが山形牛。ホホ串は肉の味わいがぎゅっと凝縮され、噛めば噛むほど広がる濃い旨味。ほどよい塩梅のたれと辛味噌が肉の風味を引き立て、山形の酒が止まらなくなってしまう。
ここまで牛の旨さを存分に味わいましたが、おいしい豚の産地でもある米沢。西吾妻山の麓で育てられた天元豚を、5種の盛り合わせでいただきます。
弾力と滋味が魅力のタン、白身の甘さをダイレクトに愉しめるバラ。こりこりとした軟骨は食感が豊かで、たれで焼かれたほくほくのレバーやハラミの深い味わいがまた地酒に合う。
1時間ちょっとの短期決戦、ビール1杯日本酒3合。そんな至福の宴の〆にと頼んだのは、白いご飯。いや、知ってますよ、行儀悪いって。でも、自制することができなかった。最後はモツ煮のつゆかけまんまで仕上げ、最上の気分でお店を後にします。
今回は、牛を食べるために途中下車を決めた米沢。滞在時間は短かったけれど、濃密な時間を過ごすことができた。でもやっぱり、次はもっとゆっくり訪れよう。吾妻山麓には、逢いたいお湯がまだまだある。そんな再訪の企みを胸に、雨に濡れ輝く駅に吸い込まれます。
そんれにしても、米沢さんよぉ。お主は牛のみならず豚までも旨い地であったのか。他にも鯉やラーメンなど、おいしいものがたっぷりと詰まったこの街。その味にも逢いに来なければと、鈍く輝く牛さんにその願いを託します。
ほどなくして、僕を東京へと連れて帰るつばさ号が入線。僕が小学生の頃、日本初のミニ新幹線として開業した山形新幹線。この時間までこうして飲んで、21時前には東京に着ける。山形は、本当に近くなりました。
あとはもう、漆黒の車窓をキャンバスにこの旅の記憶を想い出へと変えてゆくだけ。夜闇でも険しいことが伝わる峠を越え、ぱっと開ける福島盆地の街の灯り。明治時代から山形と福島を結ぶ奥羽本線に別れを告げたE3系は、東京目指し疾走を始める。
あ、蔵王の湯と再会したい。そんな思い付きから実を結んだ、今回の旅。湯けむりのあがる湯の街で見た、記憶の中の若き僕らの残像。そして初めての街山形で出逢えた、江戸から明治、大正へと続く豊かな表情。今回の旅は再訪と未知、そのふたつのいいとこどりだった。
旅の余韻に包まれ降り立つ、東京駅。つばさ号に描かれるのは、山形の春夏秋冬豊かなうつくしさ。よし、今度はどの季節に向かおうか。そんな欲張りな未来を夢見て、人ごみのなか家路を急ぐのでした。
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