荘厳な空気に包まれる御本社でのお参りを終え、家康公の眠る奥宮へと進みます。その入口で参拝者を迎えるのが、これまた有名な眠り猫。美しい牡丹の花に囲まれ、すやすやと眠っています。
木彫りとは思えぬほど、柔らかく穏やかな表情を湛える眠り猫。毛並みの手触りや呼吸までもが伝わってくるようで、陳腐な表現ながら「生きているよう」としか思えない。
その裏側には、竹林の中楽しそうに遊ぶ二羽のすずめ。天敵である猫が穏やかに眠っているからこそ、気兼ねなく遊んでいられる。そんな太平の世をようやくもたらしたのが家康公、ということなのでしょう。
眠る猫と遊ぶすずめに平和を想い、坂下門をくぐり奥宮へと続く参道に足を踏み入れます。かつて、この先は将軍しか参拝できなかったそう。鶴や牡丹の見事な彫刻の施されたこの門は常時閉鎖され、不開門として墓所を護り続けてきました。
贅の限りを尽くした豪華絢爛な世界観から一変、坂下門をくぐるとそこには静けさが支配する杉の森が広がります。雨に濡れ艶めく石畳、杉木立の頭を隠す濃い霧。思わず背筋の伸びてしまう、幽玄の世界。
先ほどまで溢れていた極彩色が噓のように、ひっそりとした空気に包まれる奥宮への参道。ですが、目を見張るほどの大きな石を使った石垣や、一段一段に一枚岩が使用される石段など、ここにも贅は隠されています。
雨に打たれた杉の放つ豊かな空気を胸いっぱいに吸い込みつつ、ゆっくりと登ってゆく石段。そろそろ息が切れはじめるかと思ったところで、最後の登りと銅鳥居の姿が。行く手を包む濃い霧の姿に、とてつもなく山奥まで来てしまったかのような錯覚に陥ってしまいそう。
深い霧に吸い込まれるように最後の石段を登ると、家康公が眠るという墓所、奥宮に到着。順路に従い進んでゆくと、扉以外が一つの鋳型で造られたという鋳抜門が御宝塔を護るように建っています。
そしてついに、今なお家康公が眠るという御宝塔と再会。十代、二十代、三十代。そして四十代になり、四度目の対面を果たします。
ここに立つと、その時その時で様々なことを考えてしまう。特に今回は、思うところが多すぎる。これほどまでに、自分の生まれ故郷と否応なしに対峙せざるを得ない状況に陥るなど、前回訪れたときには想像してもみなかった。
そんな長い時期を経て、今こうして日光に来ることができている。ようやく見えてきた出口の光明に、今は素直に喜んでいたい。
厳密にいえば、僕は武蔵国多摩生まれ。今住んでいるところもそう。でも間違いなく、僕の故郷は東京。四十年間染みついたその事実は、絶対に上書きすることのできない自分の芯なのだと、改めて思い知らされた。
前回訪れたときは、もう少しだけふるさとで頑張ってみようと思った気がする。そして今、どこで暮らそうと故郷と呼べる場所は東京なんだと、なんだかんだで思えるように。きっとそれは、歳を重ね、経験を積み、そして旅を繰り返してきたからこそ思えることなのかもしれない。
二十代から三十代にかけて、東京から逃げることばかり考えていた。それが今は、ちょっとばかり心境が違う。もしこの先東京を離れることがあったとしても、それは逃げるのではなく卒業であってほしい。嫌い嫌いも好きの内。きっとそのことに、自分自身で気付けたから。
若い頃の自分が見たら、びっくりするだろうな。そんな心境の変化を抱きつつ、僕のふるさと東京を創り上げた家康公にお参りし再訪のお礼を伝えます。
コロナ禍を経て、何となく気持ちの整理がついてきた気がする。これまでにないちょっとした心の軽さをお土産に、奥宮を後にします。
十代で一目惚れし、二十代、三十代と新たな魅力をもって自分的変化に気付かせてくれた日光東照宮。そして四十代となった今回、随分と穏やかな気持ちで過ごすことができている。肌に感じる心地よい湿度と共に、心の奥まで潤いゆくのを感じるのでした。
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