中尊寺から歩くこと25分、平泉へと来たらやはり訪れたい毛越寺に到着。今日は一体、どんな表情を魅せてくれるのだろう。そんな期待を抱きつつ、境内へと進みます。

12年前に初めてお参りして以来、ここを訪れるのは今回で5度目。荘厳な佇まいの本堂で、こうして何度も戻ってこられることへのお礼を伝えます。

春夏秋の表情は知っているが、冬に訪れるのは今日が初めて。どんな極楽浄土が待っているのだろう。そう胸を高鳴らせつつ右手を見れば、あまりのうつくしさにはっと息を呑む。

凛とした冬の空気を思わせる薄氷、そのうえにさらっと積もる白い雪。大泉が池を中心にひろがる浄土庭園は、この季節でしか出逢えぬ独特な世界観に包まれている。

いつもは水辺と岩の質感の対比が印象的な築山も、池の凍る季節ではまったく異なる表情に。うっすらと雪の白さに覆われた大泉が池は、まさに静の世界。今日の庭園内には、池泉回遊式でありながら枯山水のようなぴんとした空気がはりつめている。

角度を変えるごとに、表情を豊かに変化させる浄土庭園。なんともいえぬグラデーションを魅せる大泉が池の先には、借景となる岩手の冬の山並みが。

芝、石、水、木、そして山と空。それぞれがこの季節だからこその感傷を帯びた色味に染まり、それなのに胸をあたためるこの情感。冬に訪れることができて、本当によかった。理屈など抜きにして、この世界観がそう思わせてくれる。

海を表現するという大泉が池、その水辺には様々な海岸線の情景が。芝生のうつくしいおだやかな浜辺から、磯の荒々しさを感じさせる力強い玉石敷きまで。これが平安時代に造られ現代まで遺されたという事実が、にわかに信じがたい。

歩くごとにさらにその先へと進みたくなる、豊かに変化する水辺の表情。そしてこの一点にたどりついたとき、文字どおり言葉を失った。水と氷、そして雪が無限に溶け合う幽玄の世界。この衝撃と感動を表す術を、残念ながら僕は持ち合わせてはいない。

大泉が池を中心に、自然の姿が表されている毛越寺の浄土庭園。山に降った雨は、川となって流れてゆく。この短い遣水には、そんな山がちな日本の水風景が凝縮されているよう。

紆余曲折を経て大地を流れ下った川は、最後はおだやかに海へと注いでゆく。この情景をうつくしいと思える感覚は、平安の世から連綿と受け継がれてきた宝物に違いない。

おとといはまったく雪がなかったのに、この2日間でうっすら積もるほどに降ってくれた。雪景色を期待し、訪れることを決めた冬の平泉。あきらめていただけに、その願いが叶ったことが素直にうれしい。

進むごとに、刻一刻と姿を変えてゆく。そう計算された庭園の造りもさることながら、冬の午後の太陽がより一層深みを与えるのだろう。うっすらと空の青さがにじんだかと思えば、こんなモノクロームに支配される瞬間も。

絶えず変化する表情に心酔しつつ進んでゆくと、優美な曲線を描きのびる洲浜が。枯色の芝生が砂浜を思わせ、そのしっとりとしたうつくしさにもう何度目かわからぬほどのため息が漏れてしまう。

さきほどまでおだやかな海岸線が広がっていたかと思えば、今度は荒磯を思わせる黒々とした石組が。その荒々しさと氷の共演に、北の海の厳しさというものすら伝わってくる。

平安時代の人々が想い創り上げた極楽浄土の旅を終え、ぐるり一周旅立ちの地へ。そしてあらためて、眼にこころに灼きつけるこの世界観。今日という日に訪れることができて、本当によかった。はじめての冬の情景をいま一度胸いっぱいに吸い込み、名残惜しくもそろそろ駅へと戻ることに。

春夏秋冬、晴雨曇天。季節、天候、そして時間の組み合わせで、この浄土の町は無限のひろがりを魅せるのだろう。次来たら、また違う顔が見られるはず。そう再訪を固く誓い、はじめての冬の平泉に別れを告げます。

ホームに佇むことしばし、一ノ関行きの普通列車が入線。東北路のお供としてすっかり慣れ親しんだ701系も、デビューしてから早30年超。関東よりもはるかに風雪の厳しいこの地で、あとどれくらい活躍できるのだろうか。

あとはもう、仙台に寄って帰るだけ。そう急ぐ旅でもないので、普通列車を乗り継いでゆくことに。一ノ関で小牛田行きに乗り換え、ふたたび揺られる701系。その大きな窓には、雪をかぶった栗駒山。あの旅から、もうまもなく1年か。そう思うと、時の流れのはやさにぎょっとする。

普通列車を3本乗り継ぎのんびり南下すること2時間14分、この旅最後の目的地である仙台に到着。一ノ関の売店とここでお土産を買い込み、東京に帰る仕度をします。

買い忘れはないよな。準備万端整ったところで、満を持してこの旅最後の東北の味を。仙台といえば、やっぱり食べたいお寿司。安定の旨さの『うまい鮨勘名掛丁支店』でたっぷりたらふく満喫することに。

まずは冷たいビールで歩き疲れた体を癒しつつ、すじこ細巻を注文。ちょうど地酒に切り替えたタイミングで、旨そうな真紅の粒々が現れます。もうこれ、本当に最高のつまみ。すじこならではの凝縮感と海苔の風味が、酒を呑まんかと誘ってくる。

本格的に地酒が進みはじめたところでにぎりへ。宮城産の活あいなめは、もっちりとした弾力ある身に詰まった濃厚な旨味がたまらない。普段あまり食べない小肌も、宮城産と自家製の文字につられ注文。ちょうど良い塩梅に〆られており、適度な脂と旨味に小肌って旨いんだと再認識。

つづいて、この季節ならではの贅沢を味わうべくかき松前焼きを注文。昆布の上で焼かれたかきはほどよく水分が抜け、ぷりっぷりに凝縮。噛めばぶわっと海の豊かさが口中にあふれ出し、シンプルだからこその味わいにため息が漏れてしまう。

食欲呑み欲にすっかり火がついてしまい、今度はあじを。その見た目通りの新鮮さで、身の締まりとほどよい脂が美味。
そのお隣は、石巻産という赤皿貝。赤西貝は食べたことあるけれど、これはたぶん初めてな気がする。そう好奇心に駆られつつ頬張れば、そのおいしさにびっくり。ぷりっととろりしっとりとした貝柱は、見た目の近いほたてよりもっと濃厚な甘さ。本当に、東北は通い甲斐がある土地だ。

またあらたな東北の味との出逢いににんまりしつつ、冬には欠かせないたら白子の軍艦を。舌の上でぷりっと弾けた刹那、どっと押し寄せる濃厚な味わい。口中を満たすとろりとした幸せに、もう頬は緩みっぱなし。

そして僕のこころを鷲掴みにしたのが、炙りしゃけとろ皮。ぱりっぱりに焼かれた皮は香ばしく、皮下の脂からは濃密な鮭のエキス。でもありがちな鮭臭さなどどこにも見当たらず、魚の皮の概念が変わってしまうような旨さ。

ここまできたら、もう止められない。さらに地酒をおかわりし、北海道産の活つぶを。貝類のなかで一番好きなつぶ。奥歯で噛めば、ごりっとした歯ごたえとともに海の景色が広がるような豊かな味わいが。
これまた大好物のすじこ、今度は軍艦で。塩で熟成されたすじこは、いくらとは一線を画すねっとり感。その塩分や旨味の凝縮感が酒を誘い、やっぱり僕はすじこ派だと謎の自負心が湧いてくる。

とはいえ、やっぱりいくらも捨てがたい。北海道産のいくら軍艦は、弾ける食感とジューシーさが美味。生うに軍艦もとろける甘さで、なんとも贅沢な余韻が舌の上へと広がってゆく。
そして感動したのが、大間産熟成天然本まぐろの大とろ。いや、昔から僕は断然中とろ派。だけどこのときはなぜか中とろとほとんど変わらないお値段だったので、試しにと出来心で頼んでみることに。
出てきたそれは、よく目にする大とろとは比べ物にならないような質感。すじなどどこにもなく、この時点で旨いと確信が持ててしまえそうな艶やかな桃色をしてやがる。
うわぁ、やっちゃったなこれ。そう思いつつ、意を決してひと口で。結論から言いましょう。こんなまぐろ、これまで食べたことがない。
こんな見た目をしているのに、脂っぽさはまったくなし。もっちりとした身は食べごたえがあり、しかしほどなくして体温で溶けてゆく。脂の甘味もさることながら、しっかりと感じられる赤身の魚としての矜持。シルキーに失われてゆく旨味の余韻が、僕をダメな人間へと堕としてゆく。

いやぁ、やっちゃった。うにいくらまぐろで〆るつもりだったのに、あまりの旨さにやってしまった。あの口福をもう一度としゃけ皮にすじこにぎり、そして大間ちゃんをおかわりし、地酒も結局3杯いってしまった。ひとりで呑んで、栄一さんがさよならしていった・・・。

まぁでもそんなこともあろうかと、行きはトクだ値で3割引、帰りはJREBANKの特典で4割引と交通費を浮かせていたのさ。なんとかそう自分に言い聞かせ、平常心を装い僕を東京へと連れて帰るこまち号へと乗り込みます。
こうして、東北の冬にたっぷりと満たされ幕を閉じた今回の旅。台温泉の力強くもやさしいいで湯のぬくもり、冬の岩手に流れるしみじみとした時間。そしてはじめて訪れることのできた、冬の平泉。かつて栄華を極めた地で、凛とした空気のなかにまたあらたな魅力と自分の想いを感じることができた。
あらためて数えてみるつもりはないけれど、東北を訪れるのはもうこれで何度目だろう。でも不思議と、飽きるの「あ」の字も出て来やしない。それどころか、行けば行くほど惚れてゆく。
東京に生まれ育ち、生活のすべてが南関東で完結してた僕の人生。そんな暮らしのなかで、これほどまでに愛せる地があるということ自体が奇跡だと思う。幸せなことに、僕はいくつかのそんな場所と出逢うことができている。
金色堂の輝きがこころに沁みた十年前。あの頃の僕にとって、旅は逃避の手段になりかけていた。でも今は違う。未知なる地を開拓し、既知のなかに眠るあらたな魅力を見つけにゆく。
逃げる旅から、自ら迎えにゆく旅へ。そんなふうに思えるまでに僕を支えてくれた、愛する地東北。いままでのありがとうを返すためにも、これからも通いつづけていきたい。自分のできることなど微々たることであるとは知りつつも、そんなあたたかい感謝の気持ちで胸がいっぱいになるのでした。




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