じゃじゃ麺のもつ魅惑の旨さの余韻に浸りつつ、こころの赴くままにのんびり盛岡さんぽへと繰り出します。肴町商店街から、赤い鳥居を目指しまっすぐ伸びる八幡通り。この界隈は、味わい深い建物が点在する歩いていて楽しい街。
飲食店や物販の並ぶ中、夜のお店がちらほらと。この一帯は古くから花街だったようで、現在でも妖艶な空気を漂わせる建物が。
帯広がそうだったように、きっとここも日が暮れると表情が一変するのだろう。そういえば、盛岡はいつも帰りに立ち寄るばかり。今度は泊まりで、じっくりと夜の素顔にも触れてみたい。
表情豊かな建物や横丁を愛でつつ歩いてゆくと、りんごや大根の看板がかわいい八百屋さんが。人々の生活の場であり、歴史ある盛り場でもあり。昼夜の入り交じる独特な空気感は、いつ歩いても趣深い。
じゃじゃ麺㐂作から八幡町の情緒に触れつつ歩くこと10分、盛岡総鎮守である盛岡八幡宮に到着。その名の通り、いま歩いてきた八幡町はこのお社の門前町として栄えてきた街。
冬にこの街を訪れるのは15年ぶり。これまで何度もお参りしてきた境内も、冬の凛とした冷たさのなか歩くとまた違った雰囲気に。威厳ある石造りの狛犬たちも、頭に純白の雪を頂いています。
すっかり大好きになってしまったこの街に、こうしてまだ戻ってくることができた。それも今回は、久々に味わう冬景色。また新たな盛岡を知ることのできる悦びを、お礼とともに朱塗りの荘厳なお社に伝えます。
あれは、安比高原スキーと鶴の湯本陣を満喫した旅の帰り道だった。まさかあのときは、これほどまでに盛岡を訪ねるようになるとは思ってもみなかった。直感でピンと来て、それ以来逢瀬を重ねてきた愛する街。鎮守様を背中に感じ眺める冬の空は、いつも以上に清々しく眼に映る。
凛とした空気に背中を押され、心なしか背筋を伸ばし下る石段。その右手にはずらりと並ぶ、干支の仕える神様を祀った十二支神社。
そういえば、こちらには最近お参りしていなかったな。そう思い、自分の干支である酉年のお社へ。ご無沙汰していたことのお詫びと、今年の無病息災をお願いします。
八幡様へのお参りを終え、前の通りを西へ。盛岡の誇る銘酒あさ開の蔵を通り過ぎてしばらく行けば、古の情緒を色濃く感じさせる一画が。今なお多く残る町家を中心とした街づくりにより、ここ鉈屋町一帯は往時の面影を残しています。
望楼が目を引くコミュニティ消防センターの脇を覗くと、その奥には歴史のありそうな白亜の土蔵が。あれ、こんなところこんな建物あったっけ。これまで何度か通りつつも気づかなかった空間に誘われ、ふらり立ち寄ってみることに。
ここはかつて、岩手川酒造という酒蔵があった場所。2006年に長い歴史に幕を閉じ、その後残された建物を活用しお店やイベントスペースとして利用されています。
酒蔵として大正時代に建てられたというこの土蔵。1階は小さなお店の並ぶ物販飲食スペース、2階は蔵の構造美が間近に迫る空間で常設展示が行われています。
重厚な木材の力強さを頭上に感じつつ、蔵の奥へ。ガラス張りの窓の外には、床のない骨組みだけの一画が。大きな酒造道具を上げ下げするためにもともと床板が外れる構造のようで、その道具は阿弥陀車と呼ばれる大きな昇降装置により運ばれていたそう。
大正時代から用途を変えつつも現役を続ける蔵。それを支える骨格の力強さを感じていると、階段の壁では年季の入った梁を間近に見ることが。渋い色味に美しい木目を浮かべる太い梁には、他の木材を組むために彫られた跡が。
1階へと下り、先ほどの床板の外された部分へ。見上げれば、首が痛くなるほどの高さをもつ荘厳な空間。この巨大な建物を支えるために、縦横に張りめぐらされた太い木材。本当に、古の職人の技というものには圧倒されるばかり。
大正蔵から外へと出れば、江戸から明治にかけて建てられたという隣の蔵と挟まれた空間へ。
ここ鉈屋町は、陸の街道と北上川の舟運が交わる盛岡の玄関口として栄えた場所。藩政時代には、物流の主役として北上川を行き交っていたという平舟。東北絆まつりの盛岡開催に際し、陸前高田の舟大工が復元した小舟が展示されています。
明治初期に産声を上げ、それ以来134年に渡り酒造りを続けてきたという岩手川。その火が消えたのは、2006年。そうか、僕が秘湯に目覚める直前、もしくは直後だったか。残念ながら、ニアミスしながらもこの銘柄を知ることも、飲むこともできなかった。
ですがこちらの酒造会社は有名だったようで、テレビでCMも放映されていたそう。昭和の空気を色濃く感じさせるレトロな行灯に、酒飲みとしてはやはり逢ってみたかったと思わずにはいられない。
番屋と町家の裏手に隠されていた酒蔵の歴史に思いを馳せ、再び街歩きを再開することに。繊細な格子のうつくしい町家三㐂亭の隣には、これまたレトロな火の見櫓とモダンな建物が。
こちらはかつて消防団の番屋として使われていたそうですが、現在は山車が格納されています。盛岡八幡宮の例大祭に合わせ、豪華絢爛な山車が街を行く盛岡秋まつり。いつかはその時に来てみなければ、だな。
新旧の住宅が軒を連ね、深みのある表情を魅せる鉈屋町。朗らかな冬の晴れ間、その鮮烈な青さと町家の重厚な佇まい。はっと目の覚めるような対比が何ともうつくしく、これまで訪れた季節とはまた違った表情に改めてこころを奪われる。
都市化されてもなお、数多くの湧水が残されている盛岡。この大慈清水もそのひとつで、盛岡三大清水にも数えられています。現在でも生活用水として利用されており、今日もやっぱり清掃中。それだけ地元の方々に大切にされているという、揺るぎない証。
これまで何度か大慈清水に立ち寄りましたが、清掃中率なんと100%。いつかは湧水を味わってみたい。そんな次へと繋がる宿題を今回も残し、味わい深い道を北へと進みます。
黒々とした町家の色味、その渋さに眩く映える雪の白さ。晴れ空に照らし出された濃密な冬の情緒に心酔していると、吞兵衛心をくすぐる看板が。この細重酒店、帰宅後調べてみるとなんと角打ちが愉しめるのだそう。なんだよ、やっぱり盛岡泊まりに来なきゃ。
魅惑の佇まいを魅せる酒屋に別れを告げ、ここでちょっと左へ寄り道。するとそこには、見事な看板建築が。年季を感じさせるタイル、幾重にも走る水平。その端正な表情に味を添える、時を経たモルタルの滲ませる独特な風合い。
この道は、かつての奥州街道。この先には、滔々と流れる北上川。陸を行く旅人に、船から積み下ろしされた荷物。藩政時代から交通の要衝として栄えてきた歴史を、渋みをまとう古民家が今へと伝えています。
八幡町から鉈屋町へ。人々の生活に寄り添うようにして滲む、歴史の薫り。その時代は幾重もの層をなし、それでいて現代という時間軸に溶け込んでいる。
きっと僕は、そんな雰囲気が好きなのだろう。雪の季節、初めてじっくり歩く盛岡。愛する街の新たな表情を求め、街並み散策はまだまだ続きます。
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