枯色、極彩、湯の香り。 ~奥日光 冬支度 1日目 ③~

日光東照宮きらびやかな御水舎

早くも東照宮を包む空気感に圧倒されつつも、御水舎で手を洗いお参りを。それにしても、御水舎もこのきらびやかさ。隙間があることすら許さない。東照宮に施された濃度の高い装飾は、そんな強い意志すら感じさせるよう。

晩秋の青空に映える杉の大木と陽明門
華美なのに、嫌みではない。濃厚なのに、過度ではない。小学校中学年の僕が見た東照宮の強烈な美しさと独特な空気感は、大人になって見ても変わらぬまま。他の寺社では感じたことのない不思議な異国感は、実際にここへきて全身に浴びてみて初めてわかるもの。

日光東照宮伊達政宗奉納の鉄灯篭
立派な杉の巨木に守られた陽明門を眺めつつ、近づこうと歩みを進めます。すると目を引く異質な灯篭。当時としては珍しい鉄でできたこの灯篭は伊達政宗公が奉納したもので、ポルトガルの鉄が使われているそう。

晩秋の日光東照宮日差しに輝く陽明門
伊達男の気配を感じつつ、石段を登れば眼前に輝く陽明門。平成の大改修を終えてから3年半の時間が経ちましたが、その輝きは溢れんばかりに網膜を刺激するよう。

晩秋の日光東照宮極彩色の回廊に映える白い陽明門
眩い煌めきに目を細めつつ、色々な角度からじっくりと眺めてみることに。改修され輝きを増した陽明門は、両脇を固める回廊との対比がまた絶妙。溢れる極彩色の中心で、敢えて白、黒、金に徹する。だからこそ、その一点の美しさが際立って見えるのかもしれない。

晩秋の日光東照宮一枚板を透かし彫りにした見事な回廊
あまりにも美しい陽明門ばかりに目が行きがちですが、僕が毎回ため息を漏らしてしまうのがこの回廊。一枚板を透かし彫りにしたという彫刻は、そうとは思えないほどの躍動感をもって立体的に花鳥が再現されています。

秋晴れの空とともに見上げる日光東照宮陽明門
澄んだ青さを持つ秋晴れに際立つ、陽明門に施された贅の限り。時を忘れて見入ってしまうほど美しいことから、日暮の門の異名を持つこの陽明門。下から見上げれば無数の彫刻が見る者を圧倒し、忘れえぬ記憶となって心に焼き付くよう。

晩秋の日光東照宮拐取工事終了間際の御本社
陽明門の美しさをしかと受け止め、中へと進みます。この御本社も改修が施され、外されつつある覆いの間からは荘厳な姿を垣間見ることができます。

晩秋の日光東照宮太陽に輝く唐門
御本社の正面には、中国の故事にまつわる彫刻が隙間なくみっちりと施された唐門が。最近何かと日本文化を褒めたたえる場面を目にすることが多くなりましたが、その多くは大陸から学んできたということを忘れている気がする。東照宮では、そんな大陸からの文化を吸収し昇華させたという歴史が感じられます。

晩秋の日光東照宮奥宮へと通じる門に彫られた眠り猫
御本社は撮影禁止のため写真はありませんが、建物内部に施された装飾もまた見事。徳川家康という、実在した人間たった一人のために造られた東照宮。どれだけその力が大きかったことか。拝殿内を包むどっしりとした空気に、改めてそのことを実感させられます。

江戸を創った将軍に思いを馳せ、その家康公が眠る奥宮へ。その入口に建つ門に有名な眠り猫が彫られています。

初めてこの彫刻を目にした時の感動は、四半世紀以上経った今でも忘れない。猫ならではのしなやかさが再現された彫刻からは毛並みの一本一本までが伝わるようで、目を凝らせばお腹を上下させて息をしているような錯覚すら起こしそう。

晩秋の日光東照宮有名な眠り猫の裏で遊ぶ二羽の雀
穏やかに眠る猫の裏には、楽しそうに遊ぶ二羽の雀。天敵である猫ものんびりとうたた寝し、だからこそ雀も安心して遊べる。それほどまでに江戸時代はかつてない平和な時代になった、という意味があるのだそう。

江戸っ子ではありませんが、生まれてこの方多摩、豊多摩と、多摩地区以外で暮らしたことのない僕にとって、やっぱり何かを思わずにはいられない。僕が生きる都市を創った家康公に会いに、奥宮へと歩みを進めるのでした。