ある日、いつものごとく感情移入しながら、食い入るようにBSの旅番組を見ていたときのこと。その番組では湯田中の老舗旅館が紹介されており、老舗いいなぁなどと日本酒片手に激しく妄想。
そういえば湯田中の近くに位置するお気に入りの渋温泉にも、もう何年も行ってないなぁ。行きたいなぁ、でも年休取るにしてもだいぶ先の話しだなぁ、我慢だなぁ。もう頭の中は、旅に出たい衝動ではちきれんばかりに。
そして僕は、開けてはいけない禁断の箱を開けてしまった。一泊二日という名の、パンドラの箱。これまで年休取得というハードルがあったから、どれだけ旅に出たくてもある意味自制できていた部分があるのです。でも、僕はそれをやぶってしまった。
なに!?一泊二日が何か?普通旅行なんてそんなもんなんですけど。贅沢なんじゃない?そんな声も聞こえてきそう。それは重々承知だし、僕の旅が年々長期傾向になっていたことも事実。
でもひとつだけ言いたいのは、僕は泊まり勤務だということ。誰かが休むにはもう一泊、なんていうのも当たり前だし。だから僕にとって自宅以外での一泊二日は、それはもう「日常」なのです。
文明の利器は本当にこわいもの。そのテレビを見終え妄想が膨らんだままスマホを見てみると、渋温泉で好きな宿に空室があるじゃないですか。この先年休を取れる見込みもない僕は、その勢いのままポチっとしてしまったのです。
そしてそのままの流れで新幹線も予約。スマホひとつで旅の手配が完結する。もう自分の中で酒気帯びスマホ厳禁にしようか、そう本気で思ってしまいます。
スマホが手配を簡単にしてくれる文明の利器ならば、新幹線も旅のエリアを広げてくれる偉大な利器。新幹線開通により失われたものも多々ありますが、やはりその速さ、高頻度、そして手軽さには勝てません。
今回は大宮駅から北陸新幹線かがやき号で長野入り。大宮を出ると停車駅は、長野、富山、金沢。北陸新幹線に乗ったのはこれが初めて。その車内放送を聞いた瞬間、北陸も一泊二日、うへへ・・・。とよからぬ妄想が膨らみそうになります。
黒丸金星のロング缶片手に次への野望を抱いているうちに、1時間20分足らずの新幹線の旅はあっという間に終了。もう長野の土を踏みました。本当に近くなったもんだよなぁ。489系に機関車連結していたころなんて、もっと遠いと思っていなのになぁ。
実は新幹線で長野に来るのはこれが2度目。これまで長野へはバスで来る機会が多かったのです。金額的なこともそうですが、こんなにあっという間に着いてしまうと、何となく憧れの「長野感」が薄れてしまうのが怖くて・・・。
と思ったのも束の間、どんな足を使ってやって来ても長野は長野。着いた瞬間、信州に来られたという実感がむくむく湧いてくるのが不思議。やっぱり信州、好きだなぁ。僕にとって甲信東北はなぜか特別な場所。何度来てもまた来たくなる、魔法の土地。
最近は松本方面に行くことが多かったので、長野へ来るのは久しぶり。前回は工事中だった駅も、大庇と列柱が印象的な仏都らしい荘厳な佇まいに。無味無臭の建物が増える中で、現代風にアレンジされつつもこうして土地柄を匂わせる駅舎に迎えられれば、旅のワクワクは一層強いものになります。
本来ならば車内で駅弁という予定でしたが、2本前の新幹線に間に合ったため現地でお昼をとることに。すぐに頭に浮かんだのはもちろんおそばでしたが、いつ行っても同じものではつまらないと思いおそば以外のものに決定。
僕は味噌が好き、それも信州味噌が特に好き。でもそういえば信州で味噌ラーメンを食べたことが一度もない。道中ふとそう思い付き、駅に近い味噌ラーメン屋さんを軽く検索。そこで見つけた『みそ家』にお邪魔してみることにしました。
メニューは味噌、辛味噌をベースとしたラーメンとつけ麺。麺は普通と石臼の2種類から選べ、今回は石臼味噌らぁめんを注文。
まずは大好物、信州味噌を使ったスープをひと口。長野県産大豆と米をたっぷりと使った大吟醸信州味噌と名乗るだけあり、もう味噌、みそ、ミソ♪味噌の香りが強すぎず、でもふわっと広がり味噌好きにはたまらない。
スープはいわゆる味噌ラーメンをイメージすると、それよりは少し薄め。薄めといってもダシが薄いのではなく、油が控えめといった印象。最近の味噌ラーメンはどんどん濃厚になってきていますが、これは味噌の風味を殺さない適切な濃度。
麺を見てみると、これまでラーメン屋さんでは見たことのないタイプの独特な麺。長野県産の小麦を石臼で挽いたという小麦粉を使っているそうで、色は茶色く太さも結構なもの。どちらかといえばつけ麺に使う麺のよう。
縮れてはいるものの結構な太さなので、スープとの絡みはどうなのかなと思いつつひと口。すると食感もまた独特。コシはありつつもそれは硬さではなく、もっちもちとした弾力による歯ごたえ。
そのもちもちとした麺を噛めば小麦の香りと甘みをじんわりと感じ、味噌の醗酵した風味と合わさりどことなく懐かしい感覚が。そうだこれ、ラーメンの麺ではなく小麦の麺を食べているんだ。おやきやほうとうといった味噌と相性の良い、あの小麦食品の感じなんだ。
一般的に味噌ラーメンといえば、札幌のような香ばしい炒め野菜と多めの油、そしてコシの強い麺といったイメージでしょう。僕もそんな味噌ラーメンが好きですし。
そんな味噌ラーメンらしい味噌ラーメンをイメージして行くと、もしかしたらちょっと違うかもしれません。これはもう、味噌と粉食の文化によって独自の進化を遂げた、信州ならではの全くの別物。
本当に美味しい味噌があり、そして同じく美味しい小麦があり。そしてそれを昔から美味しく食べてきたからこそ生まれた、奇をてらわないそれぞれの美味しさを味わうための、味噌ラーメン。信州味噌好きの直感に訴えかけるような味噌らしい、そして小麦らしい美味しさに、猫舌ながらスープまで一気に平らげました。
もう本当に長野は食べ物で裏切らないんだから!着いて早々長野を味わい、『長野電鉄』のホームへと向かいます。そこに並ぶのは、旧小田急ロマンスカーの特急ゆけむり号と、東急時代と同じくローカル輸送を担う、田園都市線からやってきた電車。東京ではありえなかった近所同士の並びが、遠い長野の地で実現している。ここのホームに来ると、ここが何地方なのか一瞬忘れてしまいそう。
小学校に上がる前からの付き合いである、旧小田急ロマンスカーHiSE。ここ長野の地で第二の人生を送るようになってからもうだいぶ経ちますが、外も中も現役当時のままの輝きを保っています。
長電、本当にありがとう。正直譲渡されると知ったときには、見るも無残な姿になってしまうことすら覚悟していました。地方私鉄へ行った過去の車両の多くがそうであったように。
でも長電は違った。ゆけむりに乗るのはこれで4度目ですが、譲渡されて間もない頃から10年以上経った今回まで、何ひとつ変わらずきれいに使い続けてくれている。僕が渋へと向かう理由、その一端はこの車両への会いたさにあるのかもしれません。いや、そうに違いない。
幼なじみとの久々の逢瀬に思いを馳せていると、程なくしてドアが開き乗車開始。ロマンスカー、もといゆけむり号のシンボルである展望席にも空きはありましたが、敢えて僕は先頭車両の後方部、見渡せる位置の通路側へ。理由はもちろん、あるのです。
一歩足を踏み入れれば、全身を包む現役当時と何も変わらない空気感。あぁ、これだ。懐かしさとも切なさともつかないため息が、無意識のうちに漏れてしまう。こうして元気でいてくれるだけで、僕は本当に嬉しい。
子供から大人になり、箱根の地を離れて長野での想い出も。この車両には僕にとっての色々なものが詰まっている、詰まりすぎている。そんな幼なじみとの旅のお供にと選んだのは、飯田市は喜久水酒造の春・ひとひら純米うすにごりワンカップ。
春らしい名前やパッケージ同様、開けた瞬間に広がる甘酸っぱい麹の香り。味わいも優しい甘酸っぱさを感じ、これはこの時期ならでは、春の信濃路を愛でつつ飲むのに相応しい美味しさ。
春酒片手に待っていると、ゆけむり号は定刻に長野駅を発車。高めのモーター音に、抵抗特有の小刻みな加速、そして連接車のリズム。お酒だけではない何かに酔わされてしまいそう。
途中善光寺下駅までは地下を走り、地上に出た瞬間車内には春の信州の光が溢れます。僕が今回この席に座った理由は、まさにこれ。HiSEは視点の高いハイデッカー構造。窓の天地も高く取られ、連続した窓一面に信濃の美しい山並みが広がります。
そして視点を前へと向ければ、展望席からの眺めもちらっと。展望席にかぶりつくのもいいですが、空いている場合は意外とおすすめの座席。
長野の住宅街を抜けると、車窓は浅い春の色彩が溢れます。終わりかけの桜、緑をかわいらしく彩る菜の花、そして果樹の国らしい桃の花。東京から3週間遅れの春が、信州をいっぺんに染めあげます。
小布施付近では、一面に広がるりんご畑と遠くに聳える雄大な北信五岳が。雪まだ残るその姿は、夏に見たものとはまた違った印象に。信州はとにかく山がきれい。険しい中にも独特な美麗さをもっている。その表情を、白い雪が一層美しいものにしています。
遠くの雪山と、車窓を流れる春の色。畑を覆う若い緑と、紅白の桃の花。目まぐるしく変わる景色に、時が経つのも忘れ食い入るように見入ります。
信州中野駅を過ぎると、勾配は一層険しくなりよくぞここへ鉄道を通したものだと感心するほど。標高もさらに上がり、ここまで来ると桜はまさに満開の見頃に。
短くも濃厚な、長野電鉄の列車旅。もう間もなく湯田中駅に到着。一夜の夢を見にここまでやってきた。その夢の入口を彩る春景色に、早くもここへと誘われたことが正解だということを実感するのでした。
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