大満足の夕食を終え、あとはもう何もすることのない優雅な時間。そんな長い夜の幕開けを彩るのは、佐久市の千曲錦酒造、千曲錦純米原酒遮光・密封ボトル。表面に綴られた数々のこだわりが、飲む前から期待感を煽ります。
最近のコーヒー等と同じく、中に充填された窒素がお酒の鮮度や風味を守るというもの。蓋となっているおちょこを取りキャップを開ければ、爽やかな甘酸っぱい香りが広がります。
ひと口含めば、味わいもその香りの印象そのままといった雰囲気。適度な甘さに心地よい酸味が感じられ、思った以上にフルーティー。それでいて甘ったるさや重さは無いので、美味しいと感じるまま飲み進めることができます。
本当は、もうこのまま旅館から一歩も出ずにぐうたら過ごすつもりでした。が、大きな窓から外へと目をやればこの風情。湯本旅館の敷地内を通る細路地は、温かみのある電球の灯りで満たされています。
いてもたってもいられず、結局恒例の夜の渋さんぽへ出かけることに。夜の温泉街を照らす灯りは、どことなく懐かしさを感じさせる色合い。その温もりに浮かび上がる木造旅館の傍には、夜ならではの淡く儚げな色をした満開の夜桜が。
あてもなく歩みを進める夜の湯の街。石畳は灯りを受けてしっとりと輝き、四方八方知らない世界へと誘うかのようにのびてゆく。その沿道には古きよき旅館や、赤ちょうちん。
こんな風情ある夜の渋を歩くなら、やっぱりこいつでなければ。旅情を一層掻き立てる、湯の街に響く下駄の音。そういえば、これが今シーズン初下駄。家で眠っている愛用の下駄には悪いが、初下駄がこの地であることにちょっとした幸せを感じます。
カッ、カッ、と小気味よい音と共に味わう夜の渋の世界感。ふと見上げれば、そこには空を覆うほどの立派な桜が。この花ほど、妖艶という言葉が似合う花はないのではないか。昼の艶やかな姿から一変、夜桜ならではの妖しい美しさ。思わず吸い込まれるように見入ってしまいます。
時刻はまだ20時前。鈍く光る石畳の上でキャッチボールをする子供たち。食後の運動なのでしょうか、それともご飯前の練習なのでしょうか。宿、店、家。それぞれが入り混じるこの雰囲気もまた、渋温泉の魅力のひとつ。
夜になると、一層風情を増す渋の湯の街。温泉街のしっとりとした空気を味わい、宿の近くまで戻ってきました。せっかくなので、ここでひとっ風呂。宿泊者は無料で入れる渋の外湯。九つある外湯の中でも一番大きいシンボル的存在、大湯へと入ります。
大湯というだけあり、他の外湯よりも広めの室内。浴槽も大きなものがふたつに仕切られています。奥の湯口があるほうが熱め、手前の方が比較的ぬるめ。そう、比較的、ですよ。
大きな湯船を満たして溢れる豊富な源泉。見るからに濃そうな色、その色から連想させるイメージとぴったりの鉄っぽい香り。そして一番の特徴は、やっぱり渋らしい熱さ。何度も何度も掛け湯をし、体を徐々に慣らしてからゆっくりと入ります。すると不思議、ここのお湯は熱くても入れるのです。
一旦肩まで入ってしまえば、体全体を包んでくれる熱量と濃い浴感。肌にピタッと吸着するようなキシッとした感触が、お湯の濃厚さを教えてくれるかのよう。そしてあっという間に額には大粒の汗。ここは長湯厳禁、欲張ってはいけません。出たり入ったりを繰り返し、逆上せる前に宿へと戻ります。
流れる汗をしっかりと拭き、大湯を出れば目の前はもう湯本旅館。春の渋の夜風は冷たく、芯から火照った体から心地よく熱気を奪ってゆきます。そんな湯上がりの爽快さの中眺める木造の建物はまた格別。こんな重厚な宿に泊まっていることが誇らしくすら思えてきます。
しっとりとした夜の渋温泉街と濃く熱い大湯を楽しみ宿へと戻ります。もうここからは本当に何もしないダメな人になる時間。そんな甘美な時間のお供にと選んだのが、信濃町の高橋助作酒造店松尾純米ワンカップ。
手造りの文字とレトロなラベルに魅かれて買いましたが、その味わいもほっとするもの。しっかりと日本酒らしい味わいがありながら、無駄な甘さや派手な香りのない辛口のお酒。本当に信州はお酒にハズレがありません。
最近はすっかり小瓶やワンカップを数種類、という楽しみ方が気に入ってしまった僕。飲んでも飲まなくても持って帰れるのも嬉しいところ。といっても結局飲むのです、買った分は。
ということで今度は安曇野はEH酒造の酔園純米ワンカップを。EH酒造?と思いましたが、帰宅後調べてみると200年ほどの歴史がある酒蔵だそう。すっきりとしてクセがなく、それでいてしっかりと飲みごたえもある美味しいお酒。
さんぽして、温泉入って、ワンカップ。ちびちびやりながら、今夜は久しぶりに旅先でテレビを点けました。するとどうだろう、もうテレビの時間に振り回されることなく、のんびり過ごすことができるようになっていました。
思い起こせば6年前。初夏に訪れた岩手の旅以来、テレビを旅先でのご法度としてきた節がありました。その当時は、そうしないと日常と旅の区別ができなかったから。
その時以来、それまで読書の習慣が無かった僕は、旅の時だけは本を読むようになりました。そして本って、読んでみるとやっぱり面白いのです。一度読みだすとついつい区切りのいいところまで頑張って読んでしまう、なんてことも。
だからこそ、今回思いきって本すら持たずに旅に出てみました。うん、これはこれでのんびりできそう。長期間の旅ならやはり本は欠かせないと思いますが、一泊二日の骨抜き旅にはこんな楽しみ方もいいかもしれない。
もう限界!と突発的に思い立ったこの旅。それにしては今日一日充実しすぎ。これはまずい兆候だ。一泊二日、手を出してはいけない禁断の領域。もう僕は戻れないところまで来てしまった。そんな危険な幸せを感じつつ、渋での夜は更けてゆくのでした。
コメント