8月下旬、新横浜駅。ここから僕は、目的地のない旅に出る。いや、あえて言うならば、太平洋かそれとも船か。どうしてもあの感動が忘れられず、衝動的にこの旅を計画してしまった。
この日は日曜日。東海道新幹線としては珍しく、観光客でにぎわう車内。いつもならちょっとばかり肩身の狭い思いをするこの瞬間も、今日なら気兼ねなくプシュッといける。
冷たい金星で旅立ちの祝杯を挙げていると、あっという間にもう大山の姿が。三角形をした特徴的な山容は相模灘を行き交う船の目印となり、海運の神様としても信仰を集めてきたそう。
残念ながら、今日は富士山はお休み。とはいえ、普段あまり乗らない東海道新幹線。静岡らしい暴れ川を長大な鉄橋でいくつも渡り、ついには青い浜名湖が。見慣れぬ車窓の変遷に、年甲斐もなくわくわくしてしまう。
自分的に新鮮さを感じる車窓を愛でること1時間20分ちょっと、のぞみは定刻通りに名古屋に到着。数分おきに時速285㎞/hの列車が走っているのに、この正確さ。毎度のことながら、過密ダイヤをそうとは思わせないスムーズさには驚いてしまう。
東京が暑いだなんて思って、ごめんなさい。外へと出た瞬間、そう気圧されるほど今日の名古屋は死ぬほど暑い。同じ暑いのでも、質量が違う。初めて夏の大阪や京都に行ったときも感じたが、西進するごとに暑さは重みを増すのだろうか。
はやくも噴き出す汗をぬぐいつつ、まずはお昼を食べるために駅に隣接するKITTE名古屋へ。するとそこには、吹き抜けを彩る幾多もの金魚ねぷたが。その艶やかな姿に、半月前の弘前で浴びた熱さが胸へとよみがえる。
ねぷたとの思いがけない再会に胸を弾ませつつ、お目当てのお店である『スパゲッティ・ハウスヨコイKITTE名古屋店』へ一目散。さすが日曜日、お店の前にはすでに観光客で行列が。僕もそんななかの一人となり、空腹と戦いつつ粛々と並びます。
意外と回転がいいのか、15分ほどで無事入店。さっそく注文し待つことしばし、お待ちかねのあの名古屋名物と初のご対面。そうだよこれだよ、一度はこれを食べてみたかったんだよ。
名古屋名物あんかけスパ発祥のお店であるヨコイ。そのメニューは目移りするほど豊富ですが、今回は今日のおすすめというミラカン+海老フライの1.2倍を注文。もうこんなのさ、食べる前から旨いに決まってんじゃん。
いつかはと思いつつ、他の名古屋めしの誘惑に負け今日まで延びてしまったあんかけスパの初体験。その分期待も否応なしに膨らむわけで、そんなハードルの上がった状態でいざひと口。
うわぁ、ちょっとこれは、これまでの人生で食べたことのないやつだ。
ほんのりと粒々が見て取れるだけのソースですが、そこにはひき肉や野菜の旨味がぎゅっと凝縮。普通のものよりあっさりとしたミートソース、それを彩るコショーの華やかさ。片栗粉でつけられた和を感じさせるとろみが、これまたなんとも不思議な感覚。
太めの麺は食べ応えがあり、このあんかけだからこそ適度に絡みついてくれる絶妙な塩梅。郷愁を誘う炒め野菜、そこに加えられたハムや赤いウインナーの醸し出すそこはかとない昭和感。結構なボリュームながら、旨い旨いこんなの初めてとあっという間に平らげてしまいます。
いやぁ、名古屋恐るべし。あんかけスパは、あんかけスパ以外の何物でもなかった。もっとジャンキーで大味を想像していたけれど、あの完成されたバランスは代えの利かないやつ。唯一無二の旨さに心酔し、その余韻に浸りつつ名古屋の街歩きへと繰り出すことに。
しばらく歩いてゆくと、標識には那古野の文字が。あ、名古屋のなごやだ!と思ったら、なごのだったのか。そして今調べてみたら、やっぱり名古屋の古い表記だったらしい。旅好きなのに歴史を知らないって、もったいない気が最近してきた。
短い滞在となる名古屋、今日は珍しくどこへ行くか事前に下調べ。まずは名古屋で一番古い商店街とされる、円頓寺界隈へ。
円頓寺本町商店街に一歩足を踏み入れれば、そこに漂うレトロな雰囲気。巨大なビルの建ち並ぶ名古屋駅のすぐ近くに、こんな空間があったなんて。
新旧のお店が並ぶアーケードを歩いてゆくと、こんな味のある横丁も。これまで栄や久屋大通のほうばかり行っていたので、こんな「素」の名古屋に触れるのは初めてかもしれない。
頭上に高速道路の走る大通りを渡り、円頓寺商店街へ。ここにはさらに渋いお店が多く並び、その佇まいからは経てきた時の厚みのようなものが押し寄せてくる。
想像以上に濃ゆい昭和の空気感を胸いっぱいに満喫していると、銅板で造られた重厚感あふれる酒屋の看板が。中京の中心である名古屋において、この一画だけぽつりと時が止まっているかのよう。
レトロの薫る商店街を抜けると、その先には何やら歴史のありそうな橋が。この五條橋は、名古屋開府以来この地に架かる橋なのだそう。現在はかつての木橋を復元したコンクリート橋が架けられており、それも昭和13年生まれとこれまた古い。
その五條橋が渡るのは、名古屋城築城の際に物資運搬のために開削されたという堀川。江戸時代から1960年代に至るまで舟が行き交い、名古屋の物流を支えてきたそう。
いくつもの荷揚場が設けられ、古くから舟運で栄えたというこの一帯。元禄時代の大火を教訓に道幅を四間に広げられたことから、この道には四間通の名がつけられています。
城下への延焼を防ぐため、川沿いに土蔵の並ぶ四間通。その向かいには、これまた歴史を感じさせる町家が。280年ほど前に生まれたという街並みは、古の名古屋の姿を現代へと伝えています。
都会のエアポケットのように、江戸から続く街並みが遺されるこの一画。そんな渋い町家の軒には、屋根神様とよばれる祠が。これは名古屋特有のものだそうで、町内を災いから守るため火伏や厄除けの神様が祀られています。
円頓寺本町から四間通へと残された、江戸から昭和にかけての名古屋の顔。ここは事前に調べなければ、きっと自力では見つけることができなかっただろう。最近は敢えて下調べせず旅しているが、そう意固地になることもあるまいと改めて思わされる。
江戸情緒の残る四間通に別れを告げ、東海道と中山道を結ぶ美濃路をお城方面へ。大通りを渡ると現れる名古屋城の外堀、その傍らには何やら看板が。ここにはかつて、堀川という駅が。現在は栄町から出ている名鉄瀬戸線ですが、昭和51年まではここを起点とし外堀跡を走っていたそう。
すっかり緑に覆われた外堀に沿って伏見通へと進路を変え、そのまま北上。その終点には歩行者用の信号はなく、煮えるような暑さのなか致し方なく歩道橋へ。するとその正面には、端正な姿を魅せる名古屋城。これは頑張って階段をのぼったご褒美だわ。
全身つゆだくになりながら歩道橋を渡り終え、見えていた銅像のもとへ。築城の名手として知られる加藤清正公は、ここ名古屋城でも大天守の石垣造営に携わっていたそう。
時間の都合上、今回は入城を見送ることに。お城に沿って坂を下ってゆくと、満々と水を湛えるお堀が。この水堀は、名古屋城築城当時の姿をよくとどめているそう。
水辺から立ち上る重厚な石垣を愛でつつ進んでゆくと、木々の合間からすっと姿を現す天守閣。7年前、人生初のゴールデンウイーク。船出前の高揚感のなか、あの天守へと登ったことが懐かしい。
本当は、この先美濃路に沿って街歩きを楽しみつつ名鉄の東枇杷島駅まで行くつもりだった。でももう無理。これ以上歩くと、きっと熱中症になってしまう。くどいようだが、東京の暑さの比ではなかった。体表を灼き芯部を沸かすような熱射に負け、そそくさと名駅へと退散するのでした。
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