四国村ミウゼアムの濃密な世界観をこころに刻み、そろそろ高松を目指すことに。さて、駅まで行くか。そう思い歩きはじめると、すぐ隣に屋島神社の立派な鳥居を発見。

まだ時間に余裕もあるし、お参りしていこう。そう思い石段を登ってゆくと、さらに現れるその続き。
朝から歩き続けてきた今日一日、ここにきてちょっと足にくるな。そんなことを思ったのも束の間、登った先で目にした光景に息を吞む。旅の終わりにして、この荘厳さ。屋島のあまりの雄姿を、言葉も失くしただただ仰ぎ見る。

さらに進んでゆくと、西日に染まる雄々しい屋島を頂くように佇む神門が。昭和48年の火災により江戸時代築の社殿が焼失してしまうなか、この神門だけは無事だったそう。

さきほどの看板にも讃岐東照宮と書かれていたとおり、ここに祀られているのは徳川家康公。初代高松藩主が東照大神を祀ったことが起源とされ、いまから210年前にこの地へと遷されました。

葵の御紋が掲げられた荘厳な神門には、目を見張るほどの彫刻が。睨みを利かせる躍動感あふれる唐獅子、繊細なうつくしさを魅せる鳥や花。

この彫刻は、日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎の末裔が手掛けたそう。羽の一枚一枚まで緻密に表現された鳳凰の姿に、職人の技がもつ神々しさというものを感じずにはいられない。

正面の立体感あふれる彫刻に目を奪われますが、門の左右にも繊細な彫刻が。豊満な羽を感じさせる鶏もさることながら、その背景に彫られた文様の緻密さにため息がでる。

その対面には、しなやかな四肢をもつ動物が。これは馬だろうか、それとも角のようなものが見えるので鹿だろうか。いずれにせよ、そのうつくしい脚でいまにも歩き出しそうな躍動感。

お参りを終え踵を返せば、こころを焦がすこの情景。旅の終わりにきて、これは反則だろう。西日のうつろいを宿す空色が、胸をぎゅっと締め付ける。

旅のフィナーレを思わせる、夕刻に染まる讃岐平野。その絶景の余韻と旅の終わり特有の感傷に揺蕩っていると、ことでんが踏切を渡ってゆく。

横須賀からはじまり、北九州、下関、宇佐、別府、大分、神戸そして鳴門と巡ってきた今回の旅。その最後が高松屋島で、本当によかった。この旅の記憶を反芻しつつ歩くこと10分ちょっと、高徳線の屋島駅に到着。

10時20分に到着し、気づけば半日たっぷり満喫した屋島。当初は栗林公園にも寄るつもりだったけれど、もうまもなく閉園時間。これはまた高松を再訪するための善き口実ができた。そんな次へとつながる宿題を胸に、高徳線に乗り込みます。

屋島から学生の帰宅で賑わう普通列車に揺られること17分、ついにこの旅の終着地である高松に到着。7年ぶりにこの街への再訪を果たした、5月の旅。その5ヶ月後にまたこうして戻ってくることになろうとは。

高松からは、寝台特急で東京へと帰るだけ。駅ビルでお土産をしっかり買い込み、コインロッカーに預けて準備完了。高松の街は、広すぎる。この旅最後の宴はどこにしようかと悩みましたが、前回、前々回とお店の前を通り気になった『讃岐のこころ』にお邪魔してみることに。

高松名物の骨付き鳥もあり、先客はそれを食べている模様。一瞬心を惹かれますが、〆のあれを満喫したいのでつまみはちょっとばかり軽めにすることに。
ということで、まずはちりめんおろしから始めることに。讃岐の酒と一緒にちびちびつまむのにいいか。そんな軽い気持ちで頼んだ僕は、ひと口食べて思わずびっくり。これ、シンプルだけれどものすごく旨い。
生まれてこのかた、東京と神奈川でしか暮らしたことのない僕。これまでしらす文化圏で生きてきたので、ちりめんじゃこをこうして食べるのは初めてかもしれない。
しっかりと干され、しらす以上に凝縮感あるちりめん。噛めば噛むほど旨味とほどよい塩気がじんわり広がり、それが大根おろしを旨くする。味付けには、西日本らしくちょっとばかりの薄口しょうゆ。これまでしらすおろしには濃口しか合わせたことがなかったが、ちりめんの香ばしさを活かすにはこれが最適解だと思えてくる。

本当に、土地が変われば食文化も変わる。食の異文化体験に感動すら覚えていると、つづいて刺身の三種盛が運ばれてきます。
もっちりとした赤身に濃い旨味がつまった土佐の戻り鰹、こっりこりの食感と強い旨味の活〆という瀬戸内の真だこ。香川名産のオリーブハマは、見てのとおりしっかりとした脂のりながら臭みやしつこさはまったくなし。こりっと身の締まりを感じさせる歯応えの後、舌へとじゅんわり溶け出す脂の甘味と旨味が堪らない。

旨いつまみに讃岐の酒を傾けつつメニューを眺め、目に留まったちょっと春巻きを追加で注文。ぱりっぱりの皮に込められた、ちょうど良い塩梅の餡。和食続きのここにきて、この感じがまた酒を誘う。

このお店を選んだのは、居酒屋呑みができてさらに手打ちのうどんが食べられるから。だからおつまみを少しに絞っていたのです。ということで、満を持して〆にと納豆おろしうどんを注文。
大釜でゆがく様子を見つつ待つことしばし、お待ちかねの1杯が到着。まずは艶やかな見た目をしたうどんから。まず驚くのは、そのコシの強さ。これまで食べたうどんのなかで、過去一かも。でも決して硬いとか粉っぽいということはなく、半透明の断面でも判るようにしっかりと水分をもち芯まで火が通されている。
もっちもっち、わっしわっし。いい意味であごが疲れるほど強力なうどんを噛みしめてゆくと、しっかりと感じられる小麦の風味と穏やかな甘味。本当にさ、讃岐のうどんは一体どうなっちゃってんのよ。
そんな魅惑のうどんを彩るのが、少し甘め濃いめのぶっかけつゆ。それをおろしのさわやかさがちょうどよく調整し、大粒の納豆のほっくりとした凝縮感とともに啜れば自ずと笑みがこぼれること間違いなし。

三度目となる高松での夜。本当にこの街は、呑兵衛にとっては広すぎる。今度はいつ来て、何をつまみに呑んでやろう。そんな再訪の願いを胸に、ほろ酔い気分で歩くライオン通。

この旅は、本当に旨し旅だったな。あまり親しみのない西日本の味という新鮮さもあるが、そんな自分的フィルターをはるかに超える豊かな食文化にあふれていた。

自分が能動的に行き先を決めると、どうしても偏りが出てしまう。この旅で自分の知らない日本に出逢え、そして懐かしい地と再会できたのはフェリーのおかげに違いない。
旅立ち前は壮大だと思えた、瀬戸内海をぐるりと回遊する7泊8日の旅。でもいざこうしてたどってみると、あっという間だったと思えてしまう。本当に、これだから旅という奴は。自らの趣味、いや、生き甲斐の奥深さとあらためて対峙し、この旅の幕を閉じるべく夜の高松の街を駅へと急ぐのでした。



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