12月中旬、今年最後の旅納め。本当に旅に恵まれたこの一年、その締めくくりはどこへ行こう。そうトラベルコで湯宿を探していると、ずっと前に一度だけ立ち寄ったことのある宿を発見。お湯がよかった記憶があるので、今年の〆は塩原元湯に決定。

さすがは日曜日、東京駅は案の定大混雑。カオス状態の駅弁屋祭で揉みくちゃにされつつなんとか選び、ボロボロになって新幹線の改札へ。ホームもなかなかの混雑具合で、列に並んで乗り込みほっとひと息ついたかと思えばすぐに発車。

あぁ、すごかった。少々慌ただしい旅立ちにはなりましたが、去りゆく赤レンガ駅舎を横目にぷしゅっと乾杯。この日も3時半起きだったため、もう絶好調にお腹が空いている。さすがに待ちきれず、上野に着く前にそそくさと駅弁を開けます。
今回購入したのは、名古屋は松浦商店の調製する大エビフライ&三元豚の味噌ヒレカツ弁当。手に取ったときのずっしりとした重みに惹かれ、空腹の今にはこれしかないと即決。
ふたを開ければ、期待通りのこのボリューム感。海老にタルタルソース、ヒレカツには八丁味噌だれをかけて準備万端。まずは、大ぶりの海老フライから。
この手の揚げ物は、衣が分厚いこともあるからなぁ。そんな失礼な先入観などどこへやら、ぎっちりと詰まった海老の太さにまず驚かされる。食感もむだにぷりぷりしたものではなく、しっかりと海老の筋肉質を感じるほどよい凝縮感。これは本当に、大エビフライだ。
つづいてヒレカツへと箸をのばせば、パサつきを感じないしっとり感。淡白なヒレに甘すぎずのこく旨八丁味噌があいまって、これはご飯が進む味。そのご飯には錦糸卵と海苔、そしてきんぴらが載せられいいアクセントに。

おいしい駅弁に舌鼓を打っていると、やまびこ号は雨に煙る荒川を渡り無事東京脱出。大宮に着く前には食べ終え、残り少ない新幹線での時間を愉しみます。

東京駅からあっという間の50分足らず、乗換駅である宇都宮に到着。コンコースへと下りれば、出迎えてくれるライトラインのかわいい行燈。まさかの新規開業を果たした路面電車、いつかは乗ってみなければ。

ここで一旦改札外へと出て、駅ビルでこれから2晩のお供を購入。今度は在来線のホームへと向かい、宇都宮線の黒磯行きに乗り込みます。

普通列車にのんびり揺られること50分、西那須野に到着。新幹線利用の場合は那須塩原が便利ですが、距離的にも路線バスのルート的にもここが最寄り駅となります。

これから向かうは、8年ぶりとなる塩原。雨上がり、雲をまとったあの黒々とした山へと分け入ってゆく。そのことを思うだけで、秘湯への期待が高まってゆく。

12月らしい寒さを感じつつ待つことしばし、那須塩原からやってきた『JRバス関東』の塩原温泉バスターミナル行きに乗車します。

バスは西那須野の町を抜け、那須野ヶ原らしい牧場の広がる一帯へ。賑わう千本松牧場を過ぎて山懐へと舵をきり、車窓にはついに箒川が寄り添うように。

ひと口に塩原温泉といってもその範囲は広く、全部で11の温泉場が点在。バスは塩原大網を皮切りに、箒川に沿って並ぶいくつもの温泉街を通過。進むごとに大きな旅館が目立ちはじめ、温泉街の中心が近いことを感じさせる光景に。

西那須野から走ること45分、バスは終点の塩原温泉バスターミナルに到着。ここで事前にお願いしていた宿の送迎車に乗り換え、15分ほどでお目当ての宿である『秘湯の宿元泉館』に到着。

同じ関東で近い感覚でいたが、なんだかんだで東京駅から乗り換え含めて3時間半の道のり。その分自分の住む街と季節も異なり、奥羽山脈にほど近い山に抱かれた元湯はすでに冬の装いに。

麓のターミナルはまったく雪がなかったため、これはうれしい展開。雪の眩さに目を細めつつさっそく浴衣に着替え、一目散に湯屋へと向かいます。
元泉館には3ヶ所の浴場があり、まずは一番大きい高尾の湯へ。扉を開けた瞬間、鼻をくすぐる硫黄の香に誘われよみがえる古い記憶。湯めぐりにはまったばかりのころに会社の仲間と訪れたときのまま、大きな浴槽にはうぐいす色のにごり湯が滔々とかけ流されています。

少々熱めの内湯でさっと温まり、つづいて露天風呂へ。すぐ目の前には、さらさらと流れる赤川。そこに寄り添うちょうどよい深さの浴槽にも、ミルキーな浴感のにごり湯がかけ流し。

冷たい外気にさらされているため、こちらは文字通りの適温。肩までとっぷりと浸かり、体を包む温もりと立ちのぼる硫黄の香りを噛みしめる。そんな山のいで湯の情緒を一層掻きたてる、うっすらと積もった冬の使者。春夏秋冬甲乙つけがたいが、雪見露天のもつ魔力は別格だ。

まろやかな浴感のやさしい湯に心身の芯から温められ、畳に転がり過ごす至福の湯上がり。そんな甘美な時間に揺蕩っていると、あっという間に谷に忍び寄る夜の気配。

もう一度高尾の湯でしっかりと温まり、自室で待つことしばし。電話が鳴りしばらくすれば、夕食をお部屋へと持ってきてくれます。
事前に頼んでおいた地酒を開け、まずは前菜から。サーモンの塩麹寿司はしっとりと旨味が詰まり、湯波枝豆揚げやささみの梅和え、しその実舞茸と栃木の酒を進めるものばかり。
お隣の水菜とえのきの和え物は、しゃきしゃきとした食感と白だしでさっぱりと。小柱と松前漬けの和え物には湯波が合わされ、これまた地酒を誘うおいしさ。
熱々の筑前煮はむだな甘さがなく、だしのきいたすっきり濃口が素材の旨さを引きたてる。山のいで湯へと来たら食べたい岩魚の塩焼きは、ほっくりとした身に宿る滋味が堪らない。
おいしい品々を味わっていると、陶板がいい頃合いに。豚の朴葉焼きは肉の旨味がとても濃く、それを彩る甘味噌がまた絶妙。あつあつをはふはふ頬張り、地酒で追いかける。そんな旨さの応酬に、猫舌なのも忘れ一気に平らげてしまいます。
そして〆には、甘旨の白いご飯を赤だしとお刺身で。だしのきいたべっ甲餡のかけられた茶わん蒸しをつるりと味わい、しゃっきりとした甘さ控えめのりんごのコンポートとクリームチーズで仕上げ大満足で夕餉を終えます。

贅沢なお部屋出しでのんびりとおいしいご飯を味わい、布団も敷いてもらってあとはもう静かなる怠惰に身をゆだねるだけ。
そんな夜のお供にと開けるのは、宇都宮の虎屋本店が醸す七水純米酒。ぴりりとした酸味とともに酒の旨さがすっきりふわっと広がり、そしてさっと消えてゆく。この辛口は、するりとどんどん飲めてしまう。

ほんのりと下野の酒に酔ったところで、19時に開放される宿泊者専用の宝の湯へ。扉を開けた瞬間、むわっと包まれる濃い硫黄の香。これは期待できそうだ。

床や湯口には、真っ白な析出物。その見事な分厚さがもの語るように、高尾の湯よりもより濃厚といった印象。ですが浴感はするりとろふわ、気をつけないと湯あたりするまで延々と浸かってしまいそうなここちよさ。

一段と濃いにごり湯にすっかりほぐされ、ゆるゆるとしたこころもちで宴の続きを。つづいて開けるのは、市貝町は惣誉酒造の惣誉特別純米酒。とろりとした口当たりとともに広がるふくよかさ、その後に甘みと酸味の余韻を感じられる旨い酒。

ここ数年、甘いもので酒が飲めるようになってしまった。進むおっさん化をひしひしと感じつつ、お茶菓子として置いてあった温泉饅頭をぱくり。
その刹那、舌とこころを射抜く豊かな味わい。赤糖を使ったという生地は綿のようにふぁふぁで、中にはこしあんとは思えぬ強い豆感のある甘さ控えめのあんこ。塩原の今井屋というお店が作っているそうで、部屋にお土産用の注文票が置いてあったのも納得の旨さ。

高尾の湯は21時半で閉まるため、その前にともう一度露天風呂へ。灯りを映しゆらゆらと揺れる湯面、そこから立ちのぼる存分に硫黄の香りを含んだ白い湯けむり。思いっきり深呼吸すれば、こころの奥までにごり湯で満たされてゆく。

ゆるりと優しいお湯に心身が溶かされ、すっかり日々のあれこれがほぐれたところでココ・ファーム・ワイナリーの農民ロッソを。
足利の地で栽培されたぶどうで醸された赤ワイン。口に含めば、まず驚くのがしっかりと果実味を感じさせる濃い香り。甘すぎず酸っぱすぎず、ほどよい渋みの後から赤葡萄の良さが花開く。これまで飲んだことのない味わいに、栃木は地酒のみならずワインも旨いのかとひとり感嘆の声を漏らしてしまう。

農民ロッソを半分ほど残し、今宵最後の一浴へ。15時から女性専用、21時からは混浴となる邯鄲の湯。その入口手前には、飲泉所が。どれどれと少量含んでみれば、ぶわっと鼻腔へ抜ける硫黄の香とそれ以上にパンチのある苦味。うへぇ、こりゃ書いてあるとおり胃腸に効きそうな味だ。

良薬口に苦し。その言葉を体現したかのような味の余韻を舌に残しつつ、邯鄲の湯へ。半地下に広がる、木と岩の織り成す渋い空間。そこに湛えられるのは、3つの湯屋のなかで一番の濃さを感じさせる灰白色の湯。

浴槽奥の岩肌から自噴する邯鄲の湯と、高尾の湯の合わせ技。これがまたとてつもなくここちよく、ゆるりふわふわと自分と湯が溶けあうような不思議な浴感。しっかりと濃さがありつつ、でも嫌な圧を感じない。そんな不思議な入浴体験は、泊まった者のみが許される贅沢そのもの。
泉質でいえば、3つとも含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。でもそうとは思えぬ個性の違いに、これこそが本当の湯めぐりだとうれしくなる。
立ち寄り湯で入れるのは、高尾の湯だけ。あのときの僕はそれですっかり満足していたけれど、この宿にはこんな魅力的なお湯がさらに2つも隠されていたのか。やっぱり泊まってこそ、その温泉を知ることができる。改めてそんな当たり前のことを実感し、お湯にほどける感覚を心ゆくまで噛みしめるのでした。


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