田沢湖から日本の背骨を越え走ること40分、こまち号は盛岡に到着。東京行きに乗った僕ですが、そうやすやすと帰京などするはずがない。ここでちゃっかり、ちょっとだけ盛岡の魅力をかじってゆくことに。それにしても、盛岡駅の色・・・。塗りなおされきれいにはなっているのですが、僕の好きだったあの盛岡駅が・・・。
今回はそれほど時間もないため、これまで歩いたことのない方面へと適当に歩いてみることに。いつもは開運橋を渡り市街地へと向かうのですが、今回はひとつ上流側に架かる旭橋へ。橋上からは滔々と流れる大河北上川と、優美な曲線を魅せる開運橋が。
ときおり小雨の降る中、あてもなくぶらぶらと歩く盛岡の街。でも僕は知っている、この街ではよき佇まいを魅せる建物がふと現れることを。
ほらやっぱり、そこに居た。ビルやマンションの間に、ぽつんと残された古の面影。長年かけて蓄積された街の記憶が宿るこの商店は、一体どれほど前からこの通りの変遷を見守り続けてきたのだろう。
そのすぐ先には、繊細な格子が目を引く重厚な商店と無骨なコンクリート建築の共演。ここはかつてガソリンスタンドだったのだろうか、最近では近所でもこの様式の建物はあまり目にしなくなってきた。
そのまま進んでゆくと、見覚えのある交差点へ。右には岩手医大、左へゆけば岩手発祥の地である三ツ石神社のある寺町へ。そうか、ここに出たんだ。そんな適当歩きの愉しさを噛みしめていると、タイル文字が渋さを放つクリーニング屋さんが。
マンションや民家に交じり、古き良き時代の薫り漂う盛岡。レトロな果物屋さんや洋風建築が違和感なく溶け込む街並みは、とても豊かな表情をしている。
近くをかすめたことはあるものの、初めて歩く通り沿い。新たに知る街の味わいを噛みしめつつ進んでゆくと、歴史を感じさせる書店の建つ上ノ橋へと到達。
敢えて地図も見ず、気の向くまま足の向くままの街歩きだからこそ出逢える新鮮な瞬間。いつもとは反対側からのアプローチに、黒漆喰の旧井弥商店もまた違った表情に見えてくるから不思議なもの。
川沿いの道をゆけば火の見櫓や茣蓙九といった歴史的な建物を見ることができますが、今回はもう一本東側の通りを歩いてみることに。石畳の道沿いにはわんこそばで有名な東家や仏具屋さんが並び、こちらもまた趣深い雰囲気が漂います。
いつもとは逆回りに進み、岩手銀行旧本店赤レンガ館と1年半ぶりとなるご対面。何度見ても、その威風堂々たる佇まいには圧倒される。
赤レンガに宿る重厚感と明治の美意識に触れ、そろそろ駅方面へと戻らねばならぬ時間。枯草に覆われる中津川、その先遠くに見える白い山並み。冬の夕刻前、旅の終わりに漂う情緒にきゅっと胸の深い部分が締め付けられる。
夕方の開店へと向け、店内に灯りが目立ち始めるお堀端の横丁。今まで明るい時間の白龍しか訪れたことはありませんが、ここで飲んだらきっと良い夢が見られそう。
訪れれば訪れるほど、歩けば歩くほど胸へと刻み込まれる盛岡の街。またこうして、この街を訪れることができました。そして今回も、良い湯良い旅をありがとうございました。夕方の足音迫る静かな櫻山神社で、そうお礼を伝えます。
鏡のように穏やかに静まり返るお堀、その水面に映るもの寂しげな冬の木々。このうつくしくも切なさを感じさせる一瞬の光景に、思わずはっと息を呑む。
その刹那、空に響く鳴き声。もしやと思い天を仰げば、家路を急ぐかのように飛ぶ白鳥たち。理由なき郷愁というものを呼ぶ声に、より一層甘じょっぱい感傷に染まってしまう。
いつも新たな表情を魅せてくれ、逢瀬を重ねるごとに一層味わい深くなる。やっぱり盛岡、好きだな。恋しつづける街で迎える、旅の終わり。温かい切なさを胸に抱きつつ、この旅を締めくくるべく酒場目指して歩みを進めるのでした。
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