航行距離2,084㎞、乗船時間58時間。陸上0泊、船中3泊4日の壮大と思えた船旅も、ついに終わりを迎えてしまった。ある種達成感のようなものもあり、しかりそれをはるかに上回る喪失感が襲い来る。それは、それほどまでに最高の時間を過ごせたという証。本当にありがとうございました。必ずまた、逢いに来ます。
さんふらわあふらのの雄姿に別れを告げ、東を目指して歩くサンビーチ通り。それにしても、死ぬほど暑い。仙台、苫小牧、そして甲板上があまりにも快適な気候だったので、今がまだ夏だということをすっかり忘れていた。
かねふくのめんたいパークを過ぎると海鮮料理のお店や民宿がぐっと増え、一気に増す魚の町感。いいなぁ。今度はここで飲んで食べて、深夜便で渡道も。なんてよからぬ妄想をしていると、おいしい魚の揚がる大洗漁港が。
そのすぐ先には、分厚い防波堤の切れ間から覗く海。鮮烈な光景に誘われ浜辺へと出てみれば、太平洋らしい深い青さを湛える鹿島灘。
ごつごつとした岩を洗う白い波、はるか彼方にはどこまでも広がる水平線。僕はあそこを渡ってきたのか。ひたすら海路を追い求めた今回の旅。その終盤でこの眺めは、胸に来る。
大洗岬で太平洋の雄大さを全身に浴び、ふたたび県道へ。道なりに歩いてゆくと、すぐに大洗磯前神社の立派な大鳥居が。
県道をまたぐ一の鳥居をくぐると、大型ホテルや磯料理屋さんが海辺のリゾート感を醸しだす町並みに。初めてきちんと来たけれど、いい雰囲気だな。そう思いつつ歩いてゆけば、小高い丘のふもとに建つ二の鳥居が。
したたる汗と格闘しつつ石段を登りきると、凛々しい備前焼の狛犬に護られて建つ随神門。経てきた時の長さを思わせる木の風合い、そこに施された見事な彫刻に目を奪われる。
平安時代に創建され、大洗の町と鹿島の海を見守り続けてきた大洗磯前神社。西日に照らされその荘厳さを一層深める拝殿で、こうして初めてお参りできたことのお礼を伝えます。
先ほどの随神門や奥の本殿とともに、かの有名な水戸光圀公の命によって建てられたという拝殿。もうすぐ築300年を迎える木の放つ重厚な風合いと、極彩色の優美な彫刻の対比が印象的。
江戸時代の美意識の宿る神社へのお参りを終え、今度は海辺に向かうことに。石段から望む、白い鳥居と青い海の見事な共演。旅の終わり、西日に染まる情景にこころを奪われる。
行きは気づきませんでしたが、二の鳥居の近くには豊かな森に守られひっそりとたたずむ池が。この地にはかつて眼病を治すという目晒しの井があったそうで、今なお湧水が流れ込んでいます。
県道を渡り海辺へと下りれば、荒々しい岩場に建つ鳥居が。この神磯の鳥居の建つ岩は、大洗磯前神社の御祭神が降臨したという場所。毎年冬至の時期には、鳥居からの日の出という幻想的な光景が見られるのだそう。
旅の締めくくり、こうして望む鹿島灘。深い青に染まる夏の太平洋。その色合いを、決して忘れることはないだろう。本当に、味わい深い海旅だった。この情景を眼にこころに灼きつけ、この旅の記憶として大切にしまっておこう。
ひたすら海路を追い求めた今回の旅。その終わりにふさわしい余韻に包まれつつ、大洗神社前から『茨城交通』のバスに乗車し水戸駅を目指します。
去年の7月に、大洗鹿島線の車窓から見た一面の田んぼ。青々とした稲を、旅のはじまりの高揚感に包まれつつ眺めたことが懐かしい。そしていま、旅の幕引きの感傷に胸を焦がしてぼんやり目で追う実りの気配。
古くからの漁村の町並み、豊かな黄金に染まる田園。そんな車窓の変遷を眺めること35分、バスは水戸駅に到着。黄門様、今回も本当によい旅となりました。
黄門様ご一行へのご挨拶を終え、この旅最後のグルメを味わうことに。今回、初めてきちんと訪れる茨城県。それも水戸といえばの大好物を目当てに、駅からほど近い『喰処・飲処てんまさ』にお邪魔します。
まずは冷たい生で長旅の完結を祝い、茨城の地酒に切り替えたところで注文していた2品が運ばれてきます。刻んだまぐろにおくら、とろろ、切昆布とともに混ぜて食べる五色納豆。最初のひと口目から、思わず頬がほころんでしまう。
そのお隣は、納豆のから揚げ。これがまたもう絶品のひと言。揚げたて熱々を頬張れば、外はサクッと中ほっくり。納豆とおからかなにかを混ぜているのだろうか、ほくほくとした食感に香る加熱された納豆の芳しさが堪らない。
つづいて頼んだのは、あんこう供酢。甘めの酢味噌には肝が溶かされ、ほどよくこくのある爽やかさ。そこに弾力のある身やぶりんぶりんの皮、様々な食感や味わいの内臓をつけて頬張れば、常陸の酒が進まないわけがない。
さらに大好物を愉しんでやろうと、納豆あんかけオムレツも追加。スプーンで割れば、ふんわり玉子に混ぜ込まれたとろとろ納豆。から揚げはしっかりと加熱されほくほくとした食感になっていたが、こちらはミディアムレアの納豆感がまた魅力。和風のあんかけがほどよく絡み、旨い旨いとするする食べてしまいます。
どれも酒に合うおいしさで、思った以上に飲んでしまった。そんな飲んだくれの〆にうれしい納豆茶漬けで、有終の美を飾ることに。
納豆をほどよく溶かし、するりとひと口。なぜこれまで、納豆をお茶漬けで食べようと思わなかったのか。そんな自分を叱ってやりたい。見た目どおり、想像どおりの味といえばそうではある。がしかし、あっさりとしただしに納豆のとろみや旨味が溶け出しこれはもう堪らん味わいに。
目的地のない、船に乗ることが目的と思えた今回の旅。でもこうして最後を迎えてみれば、ある意味茨城にたどり着くための旅路だったのかもしれない。
同じ関東に住んでいて、なぜいままで来なかったのだろう。次は、もっとしっかりゆっくり訪れよう。大洗の鮮烈さと納豆の豊かな変化にこころを奪われ、再訪の誓いを胸に夜のラッシュで賑わう水戸駅に吸い込まれます。
あぁ、本当に愉しかったな。あとはもう、帰るだけか。そんな充実した旅だからこその喪失感に襲われていると、僕を東京へと連れて帰るひたちが入線。あれ、E657系のはずなのに懐かしい。よりによってやってきたのは、常磐の海をモチーフにしたフレッシュひたちのリバイバルカラー。
最後の最後まで、海尽くしだな。先ほどまでの寂寥感もどこへやら、最後を彩るにくい演出にこころの奥が温かくなる。
名古屋苫小牧航路は隔日運航のため、もしかしたらこの順路の逆を回っていたかもしれない。きっとそこにも、善き旅路が待っていたはず。でも今回の旅は、あまりに濃密で鮮やかすぎた。
生まれてはじめてのあんかけスパを体験し、船上で鮮烈な青さに染まる時間。仙台では念願のヤマト冷麺を味わい、苫小牧では海鮮丼の豊かな味に舌鼓。帰りの太平洋は往路以上に青く輝き、その眩さは忘れえぬ宝もの。そして最後は、初めて知ることのできた茨城の魅力。こんなに完璧な旅程は、そう出逢えるものでもない。
陸上0泊、ようやくたどり着いた北の大地にすら半日しか滞在しない。最初はばかげた行程だと思えたけれど、こうして振り返ってみればあまりの充実感に胸が押しつぶされそうになる。
よし、また行こう、船旅へ。こころの欲するそのときが、千載一遇の旅立ち時。それは偶然のようであって、もしかしたらおいでと呼ばれる必然なのかもしれない。
豊かな時間が待ち構える、未知なる旅へ。その呼ぶ声を聴き逃さぬよう、旅への情熱を持ちつづけたい。改めてこの趣味、いや、生き甲斐の奥深さに触れ、ひとり静かにこころを奮わせるのでした。
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