初めて訪れた横須賀。煌めく夜の表情を愉しみつつ賑わう街を抜け、警察署や裁判所の並ぶエリアへ。時刻は20時過ぎ。この時間の港湾ならではの静けさを感じつつ進んでゆくと、いよいよ旅立ちの地となる横須賀港フェリーターミナルが。

とその前に、はやくもその優美な姿を惜しげもなく魅せてくれる白亜の巨大船。新門司港から976㎞、一日かけて海原を越えてきた『東京九州フェリー』それいゆ。九州からの貨客を関東神奈川まで無事に送り届け、まもなくその航海を終えようとしている。

遥かなる海路のフィナーレに立ち会い、自ずと昂る自身の出航への熱き想い。これから待ち構える未知への期待を存分に高めたところで、改めてターミナル内へ。ちなみに横須賀港は珍しく駅からのアクセスが良く、横須賀中央からはほぼ道なりに歩いて15分と非常に便利。

館内へと入ると、まず出迎えるのが巨大な船の模型。2021年、久方ぶりの首都圏における新航路として誕生した東京九州フェリー。現在は同年に就航したはまゆうとそれいゆの2隻体制で運航。ちなみにそれぞれ就航地である横須賀と北九州の市の花から名づけられています。

それにしても太平洋、それも関東でこの優雅に舞うかもめに逢える日が来るとは。日本海を駆ける白き女王、新日本海フェリーにも描かれる濃淡ブルーのマーク。この航路の開設を知ってからというもの、今日という日が来るのをずっとずっと待っていた。

僕にとって初めてとなった、日本海での航海。あの体験で、すっかり新日本海フェリーに恋をしてしまった。そして今回乗船する東京九州フェリーは、そんなSHKライングループの一員。そんなのもう、最高な時間が約束されているに決まっている。

この日の乗船開始予定時刻は23:15。目の前に居るのに、まだ触れられない。「待て」をされているような感覚にひとり悶えていると、なんだか小腹が空いてきてしまった。
刺し盛りも結構ボリュームあったし、揚げ物かぶりのまぐろメンチも食べたしなぁ。でも、〆はいってないんだよな。そうだよ、これが〆だよ。そう言い訳しつつ、軽食コーナーで気になって仕方がなかったよこすか海軍カレーパンを購入。
ホットショーケースに入っていたので正直あまり期待していなかったのですが、手に持っただけで判るカリカリ感。おぉ、揚げたてみたいだ。軽く驚きつつひと口かじれば、パン粉さっくさく生地もっちりの愉しい食感。
国産小麦と海老名の地酒泉橋の酒米粉が使われているそうで、だからこんなにもちもちなのかと納得。中に込められたカレーは、具材の凝縮感あるぽってりとしたまろやかさ。郷愁を感じさせる甘さもありつつ、きちんとスパイシー。これはかなりどストライクなカレーパンだ。理想的な旨さに、やっぱり買ってよかったと嬉しくなる。

自分ではどうすることもできぬ、時間的余白。いまや飛行機ですら、数十分前に空港に着いていれば良い時代。旅するなかで忘れかけていたこの感覚もまた、船旅の大きな魅力だと僕は思う。そしてついに迎えた、その瞬間。ボーディングブリッジを歩き、僕を北九州へと連れてゆくそれいゆにいざ乗船。

2ヶ月前も船旅をしたというのに、やっぱりこの瞬間はぞくぞくする。旅立ちの高揚感に抱かれつつ船内へと入れば、そこで出迎えるのは開放感あふれる吹き抜けの明るいロビー。

まずは身軽になるため自室へ。予約した船室はエントランスと同じ4デッキの船首側。廊下には木目が多用され、これまで乗船したはまなすやらいらっくとはまた違った雰囲気。

今回予約したのは、一番安いツーリストA。両側を通路に挟まれた配置となっており、左右近いほうの出入口を使えるので意外と便利。

そしてここが、これからしばらく僕の城。個室もありか?と予約時に一瞬頭をよぎりましたが、フェリー初心者の僕は気の向くまま船内を愉しみたいのでここが最適解。

シーツを敷き短パン島ぞうりに履き替え、タオルを持っていざ船内探索へ。就航後4年経っていますが、船内にはまだまだ新造船の雰囲気が。

そして驚いたのが、ゆったりとしたパブリックスペース。巨大船に分類される全長222.5mに対し、旅客定員は268名。そのゆとりが、船内にさまざまな形の居場所を生み出しています。

これまで乗船した系列の船とはまた違った魅力にはやくも圧倒されつつ、まずはひとっ風呂浴びることに。今日から明日にかけて低気圧が通過する予報。海が荒れたら閉鎖されるため、大浴場は入れるときに入っておいたほうが吉。
浴場内はシンプルながら清潔感のある造り。洗い場にはひとりずつ仕切りが設けられ、好きな人には堪らないであろうサウナも。そして何より感動したのが、露天風呂。船上での湯浴み自体非日常体験なのに、それが景色を愛で海風を感じながらなんてもう考えられない。

いい年こいて、深夜だというのにテンションが上がってしまった。だって仕方ない。この船がそうさせるのだから。洋上での露天に芯から温められたところで、まもなく訪れるあの瞬間に立ち会うべくデッキへ。白に赤字で描かれたTKのファンネルマーク、その潔さがかっこいい。

そして迎えた、23:45。それいゆは、はるか遠く九州新門司へと向け静かに出航。何度味わっても、この瞬間は胸に来る。それはこれから出逢えるであろう未知なる航海への期待もあり、初めて魅力を知った横須賀との別れというちょっとばかりの感傷もあり。

船出のもつ唯一無二の旅情に心酔していると、地上では作業員の方々の見送りが。自宅からそう遠くない隣県の港で、こんな情景が繰り返されているなんて。それを体験してしまった今、きっとこれは取り返しのつかないことになったと本能が察知する。

ゆっくりと、しかし器用にその巨体を回頭させてゆくそれいゆ。秋の夜更け、海を渡る風はやはり冷たい。でもこのゆったりと流れる街の煌めきを、いまはこうして見つめていたい。

去りゆく横須賀の輝きを見送ったところで、そろそろ船内へと戻ることに。そのまま寝てしまうのももったいないので、ちょっとばかり飲みなおすことにしよう。

夜食営業中のレストランにも惹かれましたが、さすがに食べすぎになるため売店でワインを購入。初めて巨峰の栽培に成功したという、久留米は田主丸。そこで醸された巨峰葡萄酒を傾けながら、これから向かう九州へと想いを馳せる。

巨峰というと甘いイメージがありますが、思ったよりも辛口でほどよい渋みと酸味がおいしいワイン。慣れ親しんだ東北や甲信とも違う味わいに、12年ぶりの上陸となる彼の地への期待は高まるばかり。

いい始まり方だ。初めてとなる、西への船出。ハーフボトルをゆっくりと飲み干し、お開きにして酔い覚ましに甲板へ。12ノット、時速20㎞/hちょっとでゆっくりと進むそれいゆ。漆黒の東京湾の先には、きらきらと散りばめられた京浜の輝き。

右舷側を見れば、沿岸を彩る三浦半島の灯り。船は東京湾から浦賀水道へと差し掛かり、その先に待つ遥かなる太平洋を目指しじっくりと進んでゆく。

そして左舷側へと移れば、夜闇に瞬く房総の灯り。地図で見て、飛行機から俯瞰し、陸上から眺めて。知ってはいたつもりだけれど、洋上で体感する三浦と房総の距離感に驚いてしまう。

自分の生きる範囲でも、まだまだ知らないことばかりだな。東京湾上を航行するという貴重な体験を目にこころに灼きつけ、そろそろ寝床へ。
実は日中、荒天予想のため門司到着が1時間半ほど遅れる見込みとの連絡が。前回の船旅で出番のなかったアネロンは一応リュックに忍ばせてあるが、これからはいろいろな意味で初めての航海になるかもしれない。
寝られるときに、寝ておこう。そう少しばかり構えつつ、でも意識しすぎるのもよくないはず。まぁ、あまり酔わない体質だから大丈夫だろう。そんな思考を巡らせていたのも束の間、ゆったりとした心地よい揺れに誘われあっという間に眠りへと落ちてゆくのでした。



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