九州鉄道記念館で鉄分を補給し、門司港レトロの街歩きを再開。小高い丘の上に建つ、昭和6年築の三宜楼。昭和30年ころまで料亭として営業され、現在はふぐ料理のお店が入っているそう。

あんな料亭でふぐなんて、きっと死ぬまで縁がないんだろうな。木造3階建ての威容にそんなことを思いつつ目の前の道を下ってゆくと、独特な雰囲気をまとう中華料理店の跡。

その先には、なんとも妖しげな空気のただよう小路が。今度は門司港に一泊して、夜の情緒にも触れてみたい。

大通りに出ると、交差点には威厳に満ちた建物が。昭和9年に横浜正金銀行門司支店として建てられ、現在も北九州銀行の店舗として現役を続けています。

国道3号線沿いを歩いてゆくと、つづいて現れる重厚な建物。この旧福岡銀行門司支店は、意外にも戦後の昭和25年に建てられたもの。現在は結婚式場として使われています。

廃線となった貨物線を利用し土休日のみ運行する門司港レトロ観光線の踏切を渡ると、そこに広がる穏やかな海。沖止めされた船から荷物を運ぶ艀が係留されていたという、第一船だまり。この地で一番最初に整備された港湾設備で、いわば門司港発祥の地だそう。

その船だまりの近くには、白と薄いピンクに彩られた瀟洒なビルが。このホーム・リンガ商会は昭和37年の竣工だそうですが、周囲に並ぶレトロな建物に違和感なく溶け込んでいます。

その対面に建つのは、大正6年建築の旧大阪商船。レンガとモルタルの質感の対比、そこにそびえる八角形の塔。庇や窓にはアーチが用いられ、重厚感がありつつもなんとも優美な姿をしています。

船だまりの反対側には、下関を対岸に望む関門海峡。あらためてこの距離感を目の当たりにすると、思わず驚きの声がもれてしまう。

はね橋を渡り対岸へ行くと、レンガととんがり屋根が印象的な建物が。てっきり古いものだとばかり思っていましたが、この大連友好記念館は平成6年築。大連にある東清鉄道汽船会社の建物を現地のレンガや石材で複製したものだそうで、そうと言われなければまったく分からない。

その向かいに建つのは、明治45年竣工の旧門司税関。緻密に積まれたレンガに締まりを与える御影石、その重厚感と繊細さの共演に目が奪われる。

ギャラリーやカフェとして開放されているようなので、中を見てみることに。吹き抜けの高い天井、そこにのびる窓。差しこむ陽射しがレンガの質感を照らし出し、館内を包む空気感は荘厳そのもの。

2階からさらにのびる階段を上ってみれば、窓いっぱいに広がる関門海峡。その眩いほどの爽快な青さが、網膜を通してこころへと押し寄せる。

あまりに見どころが多すぎて、ほとんど外観だけの駆け足になってしまった。そろそろ時間も押してきたので、先へと進むべく門司港レトロ地区を後にすることに。北に向け歩いていると、突如現れる赤レンガ。ここにはレンガ倉庫群があったそうで、外壁のみ保存されています。

その向かいの駐車場には、かつて北九州の地を駆けめぐっていた路面電車、西鉄北九州線の保存車両。

海辺を離れ大通りへと進んでゆくと、交差点に建つ凛とした表情をもつビル。この建物は大正13年に旧門司郵便局電話課の庁舎として建てられたもので、現在は電信電話の歴史を学べるNTT西日本の門司電気通信レトロ館として開放されています。

交通量の多い県道を歩いてゆくと、ぱっと視界が開けふたたび海が。関門海峡のなかでも一番狭い早鞆瀬戸を、1,068mの関門橋が九州から本州へとひと跨ぎ。

海峡最狭部は、なんと幅630mしかないとのこと。しつこいようだが、九州と本州のこの距離感。現地を訪れてはじめて実感できることがある。これがあるから、旅することをやめられない。

間近に海を感じつつ進んでゆくと、関門橋の足元で工事のため遊歩道は通行止め。一旦県道に戻り歩いていると、海に面した神社の入口が。

九州最北端の神社であり、創建1,800年もの歴史をもつという和布刈神社。潮の満ち引きを司る神様が祀られた神社で、初めて門司を訪れることのできたお礼を伝えます。

関門海峡に、ぽつんと佇む海中灯篭。毎年旧暦の元旦早朝に、松明の灯りを頼りにわかめを刈り神前にお供えするという和布刈神事。古から連綿と続く神事が、この地で行われます。

神社からさらに先へと続く、和布刈観潮遊歩道。真っ青な海の爽快さに誘われ進んでゆくと、この狭い海峡をゆったりと通過してゆく巨大なコンテナ船が。

東は瀬戸内海、西は日本海。ふたつの海をつなぐ関門海峡は、その潮位の差により激しい流れが発生。一番狭いここ早鞆瀬戸では、大潮のときには10ノット、18.5㎞/h以上に達することもあるのだそう。

写真ではなかなか伝わらないが、激しい潮流と幅の狭さも相まってもうこれは川だよ、川。耳には波というより水の流れる音が絶えず届き、自然の神秘というものを間近に感じられる。

そんな狭い海峡を、ひっきりなしに往来する大小の船。地下には国道と新幹線のトンネル、頭上には橋と陸の交通の要衝であるとともに、海路にとっても重要な場所。

大正13年に初点灯を迎えたという歴史ある門司埼灯台を過ぎれば、もうそこは瀬戸内海周防灘。川のような幅の海峡から一転、この場面展開がこころを打つ。

さて、そろそろ対岸の山口へと渡ろうか。そう思い人道トンネルの入口を探していると、銀色の電気機関車が。関門トンネルの塩害を防ぐため、ステンレスで造られたEF30。その1号機が、和布刈公園に保存されています。
想像以上に、見どころがぎっしりと詰まっていた門司港。本当に今日は駆け足になってしまった。古き良き建物は内部を見学できるものも多く、そして今回は見られなかったものも。これはまた、じっくり腰を据えて訪れるべきだな。はじめての門司に手ごたえを感じ、再訪を強く強く誓うのでした。



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