馬籠宿から旧街道を辿ること2時間半、ついに妻籠宿に到着。宿場の南側から北へと、江戸時代の情緒に触れながらのんびり散策することに。
宿場の全てが斜面に広がっていた馬籠宿とは対照的に、比較的平坦な地に延々と続く妻籠宿。ゆるく曲線を描く旧街道、その両脇に建ち並ぶ江戸時代から残る建物。同じ宿場と言っても、その表情の違いにまず驚き。
文字通り、タイムスリップしたかのような町並みの続く宿場町。ここ寺下地区は、妻籠宿の中でも最初に保存運動が始まった場所なのだそう。その動きがあったおかげで、現代に生きる僕らでも江戸時代の旅人の気分を味わうことができます。
経てきた時の長さが飴色となって表れた町並みを進んでゆくと、ひときわ古さを感じさせる建物が。この上嵯峨屋は、江戸時代中期に建てられた庶民向けの旅籠、いわゆる木賃宿。
中へと足を踏み入れると、一気に気分は木曽路を歩く旅人に。大きな囲炉裏の切られた板の間では、皆が膝を突き合わせて食事をとっていたのでしょうか。
その向かいには、畳の敷かれた大きな部屋が。歩き疲れた旅人は、ここで雑魚寝をしていたことでしょう。
視線を上へと上げれば、渋い色味に染まる梁や天井、土と竹でできた壁。天然素材で造られた建物は、冬はそれは寒かったに違いない。
薪代を支払い、持参した米で食事をとる木賃宿。今とは違い往来には手形が必要で、庶民が旅することが簡単ではなかった江戸時代。素朴な木賃宿に触れ、いまこうして好きなところに旅に出られる幸せを感じずにはいられない。
そのすぐそばには、馬を飼育するための厩が。宿駅制度がしかれていた江戸時代において、宿場は旅人の宿泊だけなく書状や荷物の中継地としても重要な役割を担っていました。
前の宿場から運ばれてきた荷物は、ここで別の馬に載せかえ次の宿場へ。そのための馬が、当時はたくさん飼育されていたことでしょう。
町全体が重厚感に包まれる古い宿場。その空気感を作るのは、経年により変化した深い色味だけではなくもう一つの特徴が。妻籠宿には出梁造りという2階を街道側へとせり出させた建物が多く見られ、その造りが建物により迫力を与えます。
出梁造りとともに、建物の表情を印象深いものにするのが竪繫格子。渋い風合いに染まる緻密な格子の連続からは、単なる家屋ではなく旅人を迎える施設に込められた美意識が滲み出る。
素朴さと繊細さを漂わせる旅籠の並ぶ一画に佇む、これまた渋い建物。この下嵯峨屋は先ほどの上嵯峨屋と違い、宿ではなく住居として使われていたものだそう。
上から眺めれば、目を引くのがこの特徴的な屋根。現在ではわずかに残るだけですが、かつてはほとんどがこの板葺き石置き屋根だったそう。時代劇から飛び出してきたかのような光景に、山深い地での古の暮らしに思いを馳せます。
三軒長屋だったうちの一戸を復原した下嵯峨屋。残された鍋や鉄瓶、味わい深い色味に染まる箪笥。長い土間に面して並ぶ二部屋に、往時の人々の暮らしが薫るよう。
ここ妻籠宿は、古き良き建物をただ保存するだけではなく暮らしながら守り続けているのが特徴。建物は人が住んで初めて生きるもの。現役だからこその情緒が、町のあちこちから滲んでくる。
宿場の京側の入口から続く、江戸時代の空気を閉じ込めたかのような寺下の町並み。映像や写真で目にしてきたけれど、実際に感じる生の世界観は圧倒的なもの。
ちょっとこれは、想像以上だ。あまりにも濃密な往時の情緒に浸りつつ進んでゆくと、妻籠宿にも残る桝形跡が。こうして眺めていると、今にも石垣の影から江戸の旅人が現れそう。
桝形を抜け、上町と呼ばれる地区へ。その入口には、ぽつんと佇む洋風建築。現在は観光案内所の入るこの建物は、明治時代に警察署として建てられたものだそう。その渋い佇まいは、江戸時代からの町並みの中で違和感を放つことなく不思議と馴染んでいます。
上町へと入ると、がらりと表情を変える町並み。抜けるような青空の下低い建物が連なる姿は、先ほどまでの重厚さとは異なるどことなく開放的な雰囲気。
さらに進んでゆくと、本陣の位置する中町へ。大きなうだつや漆喰の用いられた建物が目立つようになり、ここが宿場の中心部であったことが窺えるよう。
豪壮な構えの建物の並ぶ中町を過ぎると、再び渋い佇まいの町並みに。桝形付近からここ下町までは、食事処や民芸品などのお店がたくさん並んでいます。
初めて訪れた妻籠宿。そのあまりにも濃厚な空気感に、空腹も忘れ一気にここまで歩いてきてしまった。時刻はもうすぐ14時。あれだけ歩いてお腹が空かないわけがない。気づいてしまった空腹に急かされ、お昼ごはん求めてお店へと向かうのでした。
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