盛岡からこまちに揺られること30分ちょっと、日本の背骨を越えて秋田県は田沢湖駅に到着。玉川、八幡平、乳頭・・・。数々の魅惑の世界への玄関口であるこの駅に降り立つのは、もう何度目のことだろうか。これから出逢う3泊という時間に思いを馳せ、浮足立った気持ちで駅舎を出ます。
次のバスはすぐに発車するのですが、まずは駅前に位置する『田沢湖 市』でお酒を購入。このお店には酒屋さんのほか、お土産屋さんやはちみつ専門店なども入り、乗り換えの合間でのお買い物にとても便利。併設されたお蕎麦屋さんも美味しいので、駅前での食事にもおすすめです。
市でのんびりお買い物をしつつ過ごすことしばし、『羽後交通』の乳頭温泉行きバスが到着。この路線は日中1時間に1本程度の頻度で運行されているため、秘湯に向かうにしてはとても便利。
各温泉へのお客さんをたっぷり乗せたバスは、いざ山懐へ。その途中、人もまばらなオフシーズンの田沢湖を経由します。半年前、繁る緑越しに眺めた夏の煌めきもさることながら、このひっそりとした冬の鈍い輝きもまた趣深い。
バスは田沢湖に別れを告げ、北東へ。走るごとに増す標高に比例するかのように、深くなりゆく積雪。遠くには白い帯を幾筋も垂らすたざわ湖スキー場が見え、久々にまたスキーを履きたいという衝動に駆られます。
水沢温泉やスキー場を経由しつつ揺られること35分程、まもなくアルパこまくさバス停に到着。その直前、厚い雪壁越しにちらりと覗く田沢湖の煌めき。その残像に目を細めつつバスを降り、ここで宿の送迎バスに乗り換えます。
送迎車は雪に覆われた深い谷底へと突き進み、待ちに待った『鶴の湯温泉』との再会の時が。立ち寄り湯では何度か訪れていますが、泊まるのは今回が2度目。前回の宿泊は9年前だったので、もうそんなに年月が経ったのかと時の流れの速さに軽い戦慄すら覚えてしまいます。
時代劇からそのまま出てきたかのような、独特な世界感を持つ鶴の湯。久々に味わうその風情に早くも心酔しつつ、渋い建物に守られた雪道を帳場へと進みます。
両側に連なる木造の長屋。向かって左側には、江戸時代からここに在り続ける、茅葺屋根の本陣。佐竹のお殿様がここへ宿泊した際、その警護をしたお侍が詰めたというこの建物。時代を超え今なお現役で客をもてなす古老の姿は、まさに鶴の湯の生き証人そのもの。
この本陣に泊まってから、あっという間の9年。軒下に吊るされた干し柿や鷹の爪が呼び起こす、その時の鮮明な記憶。あの時と変わらぬ姿でいてくれることに、ちょっとした安心感を覚えます。
突き当りの帳場でチェックインを済ませ、早速お部屋へ。今回泊まるのは、ひとり旅OKの2号館。2階建ての渋い姿に、これからここで過ごす時間への期待が膨らみます。
雪に埋もれそうな玄関から中へと入れば、空間を包み込む温かな木の存在感。飴色の木材はきれいに磨かれ、一朝一夕には出せぬ鈍い輝きを放ちます。
そしてこちらが、これから3泊お世話になる部屋。小ぢんまりとした、華美な装飾のない素朴な部屋。懐かしさを感じさせるガラスの電気傘に、温かく光る裸電球。この空気感が、今の僕には堪らない。
部屋で浴衣に丹前を着込み、早速お風呂へ。6年半前の秋に立ち寄りで訪れた時までは撮影できましたが、今回は撮影禁止の札が立っていたため遠景のみを。(2012年・2010年昼/夜もご覧ください。)
鶴の湯の主な浴場はこの一画に集まっています。橋を渡り左手が、内湯の白湯と黒湯。それぞれ成分のことなる硫黄の濁り湯が掛け流され、香りと浴感の違いを楽しめます。
右の建物が、露天風呂への脱衣所と小ぢんまりとした浴槽のある中の湯。そして中央に広がるのが、鶴の湯の顔ともいえる混浴露天風呂。広々とした浴槽の底は砂利敷きとなっており、掛け流される源泉のほか、足元からもぷくぷくと源泉が湧いています。
絵に描いたような美しい濁りを見せる鶴の湯の源泉。周囲を見渡せば厚く積もった雪に抱かれ、自分がまるごと白い世界に迷い込んでしまったかのような錯覚が。
温度はこの時期若干ぬるめですが、所々熱い源泉が湧いているため浴槽内の湯温には幅があります。その広い露天の中で、自分好みの場所を見つけるという楽しさ。湯温と視界の好みが合致した一点を探しあてれば、そこでどっぷりとこの世界感に浸かれるというご褒美が。
水墨画の世界で温もりに抱かれる、至福の瞬間。9年前とは若干雰囲気は変わりましたが、それでもこの湯この景色の持つ魔力は変わらない。これから3泊も湯浴みを繰り返すことができるという贅沢に、ひとり祝杯をあげます。
窓から流れ込む冷たい空気と同じように、喉を下る冷たい刺激。これだから温泉巡りはやめられない。最高にして最強の趣味を持ってしまったものだと、静かな愉悦に満たされるのでした。
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