旨い地酒に美しいうどんを愉しみ、満腹満足感に包まれつつ再び角館さんぽへと繰り出します。
お店の前の通りを川へと進むと、オレンジ色が目を引く古そうな橋を発見。古老の持つ風格に誘われるようにして橋上へと立てば、冬晴れに輝く銀糸のような桧木内川の流れ。春待つその姿に、雪国育ちではなくとも胸に響く何かを感じずにはいられない。
ふと河原へと目をやれば、雪を溶かす火炎の名残。何かと不思議に思い調べてみれば、400年以上もの歴史を持つ角館の小正月行事、火振りかまくらの跡のよう。雪夜を焦がす炎に思いを馳せ、いつかはその温もりをこの眼で見てみたいとよからぬ妄想を抱きます。
桜並木の続く桧木内川沿いをのんびり進み、再び武家屋敷通りの入口へ。いつしか雲は過ぎ行き、空には抜けるような冬の青と、それを一層鮮やかに照らす温かいお天道様が。
先ほどまでの曇天の冬らしい風情から一変、冬の太陽が照らす武家屋敷はいずれ来る春の気配を感じさせ、連なる黒塀の渋さを一層際立たせるかのよう。
温かいお日様は全てを平等に照らし、早くも春の息吹を北の古町へと連れてきます。足元の用水路沿いには、雪解けに濡れ輝く緑。こうして少しずつ、雪国は冬の衣装を脱いでゆくのでしょう。
歩く旅の者までをも浮足立たせるような、冬の柔らかな陽射し。他の季節にはない穏やかな青さを持つ冬晴れの下、存在感を増す黒塀と古き良き郵便ポストの対比が美しい。
訪れたのは2月半ばの厳冬期。白き雪に埋もれる武士の街を期待して訪れましたが、思いがけず出会えた春へと着実に踏み出す瞬間は、忘れ得ぬ鮮明な想い出に。
日本の季節は4つではない。無限のグラデーションが紡ぐ四季がある国に生まれたことの幸せを噛みしめ、江戸時代から続く人々の想いで守られた武家の街に別れを告げます。
時代の流れを刻みつつ歩んできた角館の街。ところどころに歴史を感じさせる建物が残され、江戸から平成までの移り変わりを味わえます。この伊保商店も、そんな趣き深い建物のひとつ。雪に濡れる重厚な石造りが、大正時代のモダンというものを現代に伝えます。
6日に渡る奥羽の旅も、残すところあと僅か。その時間を噛みしめるように、のんびり、じっくり歩む角館の街。そしてたどり着いたのは、僕のお気に入りのお店である『安藤醸造本店』。創業160年以上の歴史を持つ、味噌やしょう油の蔵元です。
ここでお気に入りのお土産をいつくか購入。味噌風味ごまだれは、しゃぶしゃぶや冷奴、うどんや冷やし中華にうってつけの旨さ。いぶりがっこは、いやらしい甘ったるさのない潔い味わい。酒のあてにも料理にも使えるこの味付けは、僕の中でのいぶりがっこの理想形のひとつ。
東京への土産を背中に感じ、その重たさに募る旅の終わりの実感。そんな切なさを一層掻き立てるようにひっそりと佇む、木の電信柱。8年前、初めて角館を訪れた時にも眺めたこの電信柱。僕の心の中に眠る古き良き記憶を思い出させてくれる、言わば郷愁の象徴。
その後西宮家でさらにお土産を買い、あてもなく何となく駅の方向へと進みます。すると遠くから、鼻をくすぐるいい香り。町中に佇む材木店からは、豊かな木の芳香が漂います。
あたりを染め始めた夕暮れの気配。近づく夜に背中を押され、たどり着いた角館駅。夏や秋に比べ、観光客の少ないであろうこの時期。待合室には帰宅列車を待つ人々が集い、その中に紛れつつも自分だけが違う場所へと帰らねばならないという切なさがこみ上げる。
そしてついにやってきた、僕を東京へと連れて帰るこまち号。夜の気配を切り裂く灯りとともに、妖艶な赤いボディーをホームへと静かに滑り込ませます。
列車はことりと動き出し、ゆっくりと山岳路線へと踏み出します。だんだんと速さを増す、夕暮れ時の雪原に染まる車窓。この景色と再び会えるのは、10ヶ月後。今年最後の冬を噛みしめるように、色を失いゆく姿をいつまでも眺めます。
暮れゆく車窓に浸る穏やかなひととき。そんな静かな時間のお供にと開けたのは、鶴の湯の滞在中にも味わった秀よし純米生酒。クセがなく飲み飽きない、それでいてしっかりとした日本酒の旨さに、雪と湯の白さに染まったことが走馬灯のように思い出されます。
日本の背骨を越え、東北新幹線へと進路をとったところで次のお酒を。秋田は美郷町の栗林酒造店、春霞純米酒を開けることに。穏やかで柔らかい口当たりながらも、お酒ならではの飲み応えある味わいが印象的。
心地よい酔いと共にお腹もすいたところで、この旅最後の東北の味を。今回選んだのは、創業120年を誇る大館の花善が調製する、比内地鶏の鶏めし。言わずと知れた大館名物駅弁の比内地鶏版です。
ふたを開ければ、目に飛び込む王道の駅弁の佇まい。その中でも目を引くのは、中央に載せられた白い鶏肉。普通は茶色い照り焼きが多いため、あれ?と思いつつひと口。すると強い弾力の後に広がる、地鶏の旨味。どうやら塩焼きのようで、素材となる鶏に自信がなければできない技。
下には甘辛く炊き込まれたご飯がたっぷりと詰められ、同じく少々濃い目に仕上げられた鶏そぼろがいい一体感を醸し出しています。添えられたおかずも秋田らしい味付けで、ご飯もお酒もどんどん進みます。
素朴ながら王道の、心の琴線に触れる駅弁。最後の東北グルメを最後の一粒まで残さず味わい、あとは新幹線に身を委ねるのみ。そして降り立つ、6日ぶりの東京駅。肌を刺す冷たさはなく、地域を越え現実へ戻ってきたことを実感します。
雪に逢いたい、冬と戯れたいと願い、思い立ったこの旅。奥羽山脈の懐で過ごした6日間は、僕のそんな欲求を見事に満たしてくれた。やっぱり僕は、東北が好き。桜乱れる春に、目を焼くような緑の夏。錦に彩られる秋もさることながら、雪に染まる冬が一番東北らしいのかもしれない。
そんな愛する土地に、新幹線1本で行けるという好立地。色々と思うところのある今の暮らしですが、もう少しだけここ東京で頑張ってみよう。ここ数年、ここへ降り立つときの心境は揺るがない。
願えば行ける、あの場所に。重ねてきた旅という実績が自分を強くしてくれているということを、確かな手ごたえとして実感するのでした。
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